表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

495/1131

2016.9.9 金曜日 図書室 高谷修平 伊藤百合

 伊藤は図書室のカウンターで、外山滋比古の『乱読のセレンディピティ』を読んでいた。それにはこう書いてあった。

『新刊は新しすぎる。古本は古い。ちょうど読みごろの出版後五、六年という本は手に入れることもままならない。図書館はここで役に立つ』

 伊藤はこの箇所を読んでニヤニヤしていた。そう、図書室は役に立つのだ。しかし、その後の『知的信仰の危うさ』の所まで行って、自分も気をつけようと思った。本を読むのは必ずしも良いことだけではないと、その本には書いてあるのだ。

 頬杖をついて考え込んでいると、高谷修平がやってきた。いつものようにカウンターの前に来て、

「幽霊の話聞きたい?」

 と言って笑った。

「図書室の私語は禁止なんだけど」

 伊藤が言ってから、急に小声で、

「新橋さんが佐加としゃべってるのが聞こえた。所長さんが眠ったまま目を覚まさないって」

 と言った。珍しい。伊藤が自ら噂話に乗ってきた。

「昨日無事に目覚めたらしいよ」

「そうなの?良かった」

「先生が久方を追い出した話、聞きたい?」

 修平は新道先生から聞いた昨日の出来事を話した。

「なんだかおとぎ話みたいに聞こえるけど」

 伊藤が腕を組みながら言った。

「おとぎ話だと思っていいよ」

 修平は少し弱ったような笑い方をした。

「でも悪い話じゃないよね」

「そうね。先生の言ってることは正しいし。でも久方さん、なんだか、自殺しようとしているように聞こえるけど大丈夫なの?」

「だから結城とかサキが見張ってるんだって。今は保坂もあそこにいるし」

「保坂ね」

 そうだ、その問題もあった。伊藤はまた考え込んだ。スマコンに聞いた話だと、保坂の母親の症状は良くなるどころか悪くなる一方で、まだ『あの女を殺す』と言っているらしい。父親も何をするかわからない。しばらく家には帰らない方がいいだろう。しかし、そんな大変な保坂が、伊藤はうらやましかった。

「所長さんの所に住んでるんだよね?」

「そうそう。食事もちゃんと出てタダ。ピアノうるさいし、幽霊も出るけどね」

「いいなあ」

 伊藤はつぶやいた。自分もそこに泊まりたい。母と弟が怒鳴り散らして物を破壊している家には帰りたくない。

「いいなあって何?」

「なんか楽しそうじゃない?」

「なんで女子はみんなそう言うかなあ。サキも『私も研究所に泊まりたい』って言って平岸家のみんなに怒られてたし、佐加もスマコンも行きたいって言うんだよね。なんで?」

「みんな家に帰りたくないんじゃない?」

「伊藤も?」

「図書室の方が面白いから」

 伊藤は少し嫌そうな顔をした。家のことは話したくないんだろうなと修平は思った。

「もうすぐ修学旅行だけど、第3は行きたい所とか決めてる?」

「え?俺らみんなやる気ないよ。全然話してない」

「少しは相談しなさいよ」

「第2は何すんの?」

「長崎が一番楽しみ。平和公園とグラバー園は行く。でも、大浦天主堂には絶対行かなきゃいけないし、一泊しかないからあまり郊外には行けない」

「そうか」

「長崎は坂が多いけど大丈夫?」

「坂?」

 修平はまずいと思いつつ、平気を装った。

「あんま俺に気を使わないでくれない?」

「あのね、普通の人でも腰痛になるくらいきつい坂が多いの」

 伊藤は真面目な顔で言った。

「そういうことは心配しなくていいよ。いざとなったら置いて行ってくれればいいし」

 今度は修平が話すのを嫌がる番だった。

「そう」

 伊藤は何かを察知したのか、また後ろの棚から、タッシェン社の『ロックウェル』を出して眺め始めた。フランス・ハルスに美女の絵にロックウェル。伊藤は、表情豊かな人物画が好きなのだろうか?修平はしばらく彼女をじっと見て、何も言わないのがわかると席を立って、また本棚を見て回った。また宇宙の棚に植物図鑑が入っていたので元に戻した。同じ奴の仕業だなと思った。

 体調のことを心配されるのは嫌だ。でも、先生のことを話せるようになったのはいいことかもしれない。修平は思った。病院では誰も信じてくれなかったし、親も未だに半信半疑な所がある。一度、重い症状から持ち直した時、そばに先生がいた話をしたら、母ユエは『観音様の使いかもしれない』と言って熱心にお参りに行くようになってしまった。

 とにかく、伊藤と話せるのはいいことだ。でも、肝心の()()()()()()が聞けていない。修学旅行に期待しよう。

「また良からぬことを考えていたわね?」

 スマコンが背後に現れた。もう慣れたので修平は驚かなかった。振り返って余裕の笑みを返した。

「まあ!生意気ですこと!旅行中に伊藤に手を出そうとしても無駄よ?第2グループが全力でお邪魔しますから」

「でもみんな行き先は同じだよね?」

「長崎は神聖な場所ですから、まあ、仕方がないわ。ご存知?わたくしの母は長崎生まれなのよ?」

「へ〜」

 修平はどうでもいい返事を返した。

「つまり宇宙の全ては長崎から生まれたことになるわ。少なくともわたくしにとってはね」

「スマコンがよく言う宇宙って何なの?」

「この世の全てよ。人も、物も、大地も、時間も、人の心も」

 スマコンは言いながら去り、また伊藤に声をかけて帰って行った。

「人の心ね」

 修平はつぶやきながら本棚の点検を再開した。先生が久方に会ったという『心の底』─生者は行けない場所─に、自分もいつか行くことになるのだろうか。

 カウンターに戻ると、伊藤はまだ『ロックウェル』を見ていた。

「それ、好きなの?」

「うちにも小さな四角い画集がある」

 伊藤は本から目を話さずに言った。

「面白いの。男の子がダンベルを持って、筋肉質で強そうな男の絵をじっと見てる絵があるんだけど、それ、描かれたのは1930年くらいなんだよね。今でも筋トレしてる人っがたくさんいるじゃない?マンガに出てくるような割れた腹筋に憧れて。90年前から、人のやることは変わってないんだなって」

「ふ〜ん」

「他の絵もみんな、今でもあるなこういうのっていう場面を、昔の雰囲気で見れる」

「へ〜」

「高谷、絵はあんまり好きじゃないでしょう?」

 伊藤が顔を上げて修平をにらんだ。

「いや、好きだけど、あんまり画集とか見たことなかったんだよね」

「じゃあ、これからじっくり見てください。図書委員なんですから」

 伊藤は偉そうに言って、また『ロックウェル』に目を戻した。修平は言われた通りに美術の棚に行き、背表紙の画家の名前をじっくりと見て、どれを手にしたらよいか迷った。しばらく棚のあたりをうろついたあと、カウンターに戻って、

「その本貸して」

 と言った。伊藤は上目遣いで修平を見ると、素早く手続きをして、『ロックウェル』を修平に渡した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ