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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年9月

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488/1131

2016.9.5 1998年

 札幌の中心部から西にかなり歩いた所。『橋本古書店』の前に、奈々子は立っていた。店は今にも崩れそうな様子で、薄くて黒っぽい木の板で出来ていた。北1条か2条のはずれあたりによくある古い家と同じような黒い木造だ。入り口の横には古い本、古すぎて、触ったら手が汚れそうな本が入った木箱がいくつも野ざらしになっていて、背表紙のいくつかは、日に焼けて白っぽく色が抜けていた。

 創くんに初めて会ったとき、茶髪の幽霊が隣に見えた。ここの息子だと言っていた。確かめなくてはいけない。しかし奈々子は迷った。私は余計なことをしているんじゃないだろうか。本人は『やめとけ』と言っていたのに。

 入り口に立っていると、姿勢の悪い、身なりの粗末な老年の男が店の中に入って行った。奈々子はその男性のうしろからついて中に入った。

 店内は薄暗かった。時代遅れの大きな電球が本棚を照らしていて、奥に、家と同じくらい黒い色の机があり、そこに店主らしき老人が座っていた。しかし、奈々子が注目したのは店主ではなく、彼の後ろの棚に飾られている写真だった。

 赤茶色い髪の男の子が写っていた。

 たぶん小学生、いや、中学生だろうか。

 若い頃の父親と一緒に写っていて、場所はこの店の前のようだ。

 老年の客が店主と話し始めた。口調からしてこの店の常連のようだ。奈々子は様子をうかがいながら本棚を見て回った。意外と新しい本も並んでいた。河合隼雄の本を数冊見つけた。新道先生が勧めていた人だ。奈々子は値段を見た。買える金額だった。

「ブックオフはなあ、今じゃ手に入らねえ貴重な本を100円コーナーにぶち込んでるぜ。信じられねえ。見つけた俺は嬉しいけどよ」

 客が言った。

「まあ、時代でしょうなあ」

 店主は落ち着いた深い声をしていた。

「しかし本ってのは大量生産して大量消費して捨てるもんじゃない」

「そういう本が最近は売れてるんですよ」

「売れて、あっという間に100円で売り捨てられるのさ。やりきれねえ世の中だ」

 老人2人は、ブックオフが変えてしまった古本の世界を嘆いているようだ。客は古い全集のうちの一冊を買うと、姿勢の悪い歩き方で出ていった。身なりからして、裕福な人ではないなと奈々子は思った。

 河合隼雄の本を2冊、店主の机に置き、

「その写真、息子さんですか?」

 とストレートに尋ねた。

「ん〜?」

 店主は、今までその写真の存在を忘れていたかのように後ろを向き、

「ああ、これな」

 と言った。

「息子だよ。でももう亡くなった」

「どうして亡くなったんですか?」

「こいつ、髪が赤いだろう」

 老店主がしわだらけの指で子供の顔を指した。

「今じゃチャパツとか言ってるんだろうが、昔はそんな奴いなくてな。髪の色がこんなだといじめられるんだよ。それでなあ」

 店主はそこで言葉を切り、本の値段を見た。合わせて550円だったが、

「学生さんは50円おまけな」

 と言って、口元をニッと曲げた。奈々子は100円玉5枚を出した。店主は店主は2冊の本に、丁寧に紙のカバーをかけてくれた。

 奈々子は外に出てから、改めて店の方を振り返った。

 赤い髪の橋本は、本当に実在した。

 でも、なぜ死んだのか?いじめ?もしかして殺された?自殺?

 奈々子は昔本で読んだり、学校で聞いたりしたいじめ自殺のことを思い出した。中学生の時、同い年の子がいじめで自殺し、全国的に大きなニュースになっていた。学校でも『臨時アンケート』なるものが実施されていた。いじめられていたらここに書けという内容の。こんなものに正直に書ける子いる?と奈々子は疑問に思っていた。大人が上の人に『我々は言われた通りにやっていますよ』と示したいだけの、中身のない対策──。


 夕方5時。

 奈々子は創成川のフェンスで『創くん』が現れるのを待っていた。もし橋本の方が来たら、あの父親のことを話そうと思った。怒られるかもしれないけれど、構わない。そして、何が起きたのか話を聞くのだ。

 しかしその日、創くんは現れなかった。

 家を抜け出すのに失敗したのか、もっと厳重に閉じ込められてしまったのか?

 心配になって来た。何度も腕時計を見た。5時10分、15分、20分、25分、30分、32分……。

 6時になっても、来なかった。もしかしたらもう狸小路で修二と会っているのかもしれない。

 奈々子は狸小路に向かって歩いた。1丁目から7丁目までを何度も往復した。しかし、創くんどころか、修二の姿もなかった。

 帰るしかないか。

 奈々子は憂鬱な気持ちで、東西線のホームまで降りていった。この時間に帰っても、母が怒鳴って夕食抜きになるだけだ。この前遅く帰った時は、夕食の焼き魚が冷蔵庫の上のほこりの中に突っ込まれていた。母は妹のことしか自分の子だと思っておらず、奈々子を嫌っている。

 早く学校を卒業して、家を出たい。

 奈々子はそう思っていた。自立もできず、世の中からは『援助交際』なんてものを疑われる。女子高生なんてまっぴらだった。早く大人になりたかった。




 

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