2016.9.3 土曜日 サキの日記
土曜の朝から暗い曲を一曲リピートで聴くことになった。目を覚ますと、奈々子さんがベッドの隅に正座していた。そして、
聴きたい曲があるんですけど。
と言った。
globeのtwo keysを探してみて。
そう言われたから探して一曲リピートにしたら、ずーっと聴いてる。朝食の時一度中断したけど、部屋に戻ったらまた聴きたいと言い出した。結局午前中ずっと、黒い永遠みたいな曲をかけっぱなし。私は気にせず勉強しようと思ったんだけど、まるで集中出来なかった。とにかく暗い曲だ。変な男の声も入ってるし。
この曲の何がいいの?
私は聞いてしまった。
自分のことみたいな所。
と奈々子さんは言った。スマホに耳を傾けたまま。そう、これのせいで私は午前中スマホを使えず、佐加から来ていたメールを見逃してしまった。
昼に平岸家行くね〜!
というメールを。
12時過ぎにやっと奈々子さんが消え、黒い永遠を止めてから、私は昼食に行った。そこにはもう佐加とあかねがいて、佐加はたらこパスタをお代わりしていた。私も二人分食べた。奈々子さんのことはふせて、黒い永遠のことを話したら、
あーglobe。うちのママが好きだったから知ってる。
暗いっていうか、『せきりょうかん』があるって言ってた。でも『せきりょうかん』って何だろうね?むなしい感じ?
私は気づいた。奈々子さんが生きていたら、けっこうな歳の大人だということに。
うちのパパが、昔の曲はもっと真面目だった、2000年代からバカ明るい曲ばっかになったとか言ってた。
でも明るいのがなんでダメなのかな?わかんね。
うちケイティのポジティブな曲好きだし。
暗い曲が流行していた時代があったのか。もしかして、これから奈々子さんは何度も出てきて、暗い曲を聴きたいと言い出すんだろうか?考えただけで心が黒い永遠に飲まれそう。
佐加があかねとセレブの恋の話をしているすきに、私はtwo keysの歌詞を見た。誰かと熱烈に愛し合ってダメになったような曲だった。その相手ってやっぱり結城さんなんだろうか。もしかして、遠回しに私に警告してたりする?
佐加は2時間くらい好きなことをしゃべってから、『ヨギナミん家見てくる』と言って出ていった。
研究所には3時頃行った。ピアノの音が聴こえてきたけど、途中で何度も引っかかっているから保坂が弾いてるなと思った。所長はソファーに座って天井を見つめていた。
僕、大変なことに気づいた。
所長が上を見たまま言った。
僕がこの『廃墟』に住んでるのって、橋本が廃ビルを隠れ家にしていたのと関係があるんだよ。無意識に影響されてここを選んでしまったみたいだ。
それから私を見た。
自分だと思っていたものが、今考えると自分じゃなかったって、ここ数日そんなことばかり気づくんだ。
僕自身ってどこにあるんだろう。
考えれば考えるほどわからなくなる。
たぶんもう考えない方がいいのかな?
散歩に行きましょう。
私は言った。外を歩いたほうがいいと思った。
空は曇っていた。最近天気がはっきりしない。草原も全体的に暗く見える。前を歩く所長もなんだか元気がない。途中で立ち止まって山の方向をじっと見ている。また『山に行きたいなあ』というつぶやきを発するんじゃないかと思ったけど、
あぁ、なんてどうでもいいんだ。
所長は草原を見ながら言った。
僕に何が起ころうと、
ここの景色は何も変わらないんだ。
草原のはるか向こうに、意識が飛んでいるみたいだ。私も同じ方向を見た。少し風が出始めていた。雲が速度を上げて移動していく。光が強まったり弱まったりする。私は光を眺めながらあたりを見た。
橋本と奈々子さんがいた。
私は所長を見た。向こう側を見て、2人には気づいていないようだった。2人は並んで、所長と同じ方向をじっと見ていた。そこに言葉はなかった。でも、何か同じものをこの2人は持っている。そんな感じがした。
私は2人に話しかけた方がいいのかどうか迷った。話しかけるにしても、どちらに?何を?
考えているうちに、所長が道を進み始めた。私は慌ててついていった。歩きながら後ろを見たら、もう2人は消えていた。
あれは何だったんだろう?
サキ君、見て!また光の筋が降りてる。
雲の切れ間から光が地上に降りていた。所長はとてもうれしそうだった。私は、今起きたことは黙ってようと思った。話しても意味がわからないし、せっかく所長が世界の神秘に浸っているのを邪魔したくなかった。
光の筋はすぐに消えてしまった。雲は様々な形を作りながら移動していく。この世の何も、とどまることなどない。そう教えに来たかのように。所長もそのうち景色に溶け込むのをやめて、
帰ろうか。
と言った。
私達はいつもの世界の、いつもの部屋に戻った。いつものコーヒーを飲みながら、2階でピアノを弾いている2人の噂話をした。
今日、結城さんは姿を現さなかった。




