2016.9.2 金曜日 サキの日記
なんてこった。保坂が研究所に泊まってる。
2階の空き部屋に。
ちょうど駒さんが来た時に作った客間が空いてたから、そこを使わせることにしたんだよ。
は?何だその顔は。
大変だろ?テントなんかで暮らして指を傷められたら、ピアノ教えられなくなるんだぞ俺が。
あくまで自分のためみたいな言い方をする結城さん。『別に構わない』と言う所長。テーブルには平岸ママが焼いたパウンドケーキ。新しい住人に歌を教わって、変な電子音楽を発しながら走るポット君。
研究所はますますカオス化。加えて、気温も30度超え。
私は暑さとこの事態に混乱しながら、麦茶を何杯も飲んだ。
人には、
『他人の問題に首を突っ込むな』
って言ってたくせに、
さっそく自分も連れて来てるじゃないか。
所長が文句を言った。確かにそうだ。しかも、所長より結城さんの方が、やることがはるかにあからさまだ。
ここにいつまで泊まる気だろう、保坂。
私は『自分も泊まってみたい』という気持ちをおさえるのに苦労した。こんな時なのに保坂がうらやましかった。結城さんと一晩同じ所にいるのってどういうことだろう。
あんまりそういうこと考えないほうがいいよ。
奈々子さんの声がした。私は考えるのをやめようとした。結城さんと保坂が2階から下りてきて、4人でパウンドケーキを食べた。保坂は無口だった。結城さんはケーキうまいと言ったあと、すぐまたソファーでテレビを見始めた。私は『ここに住むのってどんな感じ?』と保坂に聞いてみた。
ん〜、晴れた日はテントの方が気持ちいいんだけど、やっぱベッドの方が寝るのは楽だべ。虫も少ないし。
少ない!?
結城さんが突然叫び、血走った目で保坂を見た。
ここは蜘蛛とかハエとかシミが出まくるってるんだぞ!
あれで少ないだと!?
お前が虫を怖がりすぎなんだって!
所長が笑って言った。
笑ったの久しぶりに見たような気がする。
保坂君。蜘蛛とか甲虫を見つけたら、捕まえて結城の所に持っていくといいよ。
面白いくらい怯えて逃げ回るから!
所長は楽しそうだった。保坂は『今度見たらやってみます』と答え、結城さんは『虫持ってきたら殺すぞ』と本気の目でうなった。
私はそういうやり取りがうらやましかった。なんか、男3人で仲良くしちゃって、私のこと忘れてませんか?って感じだった。散歩に行こうにも雨が降ってきてるし。
前期末試験も近いし、何となくつまんなくなって来たので、私は早めに帰って勉強を始めた。でも集中できない。今頃結城さんと保坂は何してるんだろうと考えてしまって。
これじゃまるで、夕食時のあかねの妄想だ。
親とケンカして家出した少年。テントで暮らしていたら優しいピアノ教師に拾われ、泊めてあげる代わりに毎日愛のレッスンを体で受けることになるのよ。やがて2人は新たな快楽に目覚め──。
このへんで平岸ママがテーブルをバン!と叩き、『いい加減にしなさい!!』と怒鳴った。あかねは黙ったけどずっとニヤニヤしていた。
お前他に考えることないの?
修平は本気で嫌がっていた。
私は部屋に戻ってからもあかねの妄想話が頭から離れず、勉強に全く集中出来なかった。これで数学が60点以下だったらあかねを訴えてやる。
昔読んだ本に、若い頃に性的なことに触れすぎると、勉強の妨げになって進学率が下がり、望まない妊娠や貧困につながる早婚が増えると書いてあった。だから、大人は子供に性的なものを見せないようにする。それは保護者の最低限の義務であるはずだ。
なのにあかねって。
あかねって!!
私は気持ちを切り替えるために由緒正しきBBCの音声を聴き、真面目な時事問題を英語で読んだ。少し気が普通に戻って来た。日本は人を惑わすものが多すぎる。
ひととおり宿題とか終わってから所長にメールしてみた。保坂は自室で真面目に勉強しているそうだ。他の男子と比べても礼儀正しくて静かで、
父親には全く似てないね。
眼鏡しか似てないよ。
と所長は書いていた。
これからどうするんだろう?
ずっとあそこで暮らし続けるつもりだろうか。
それは困る。




