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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年8月

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2016.8.27 土曜日 サキの日記

 朝、5時くらいに目が覚めてしまったので、朝食前にかま猫を探そうと思って研究所に行ってみた。所長がよく言う『朝6時のピアノ攻撃』というのも聴いてみたかった。建物の裏の割れ目をのぞきに行ってみたけど、いない。

 建物のまわりをぐるぐる回って一回帰ろうかと思ったその時、ピアノの音が鳴り出した。

 スマホで時間を確かめたら、6時ぴったり。

 ピアノ攻撃は本当に行われていた。確認した!

 曲名はわからないけど、朝は絶対聴きたくない怖くて激しい曲で、私は所長かわいそうと思いながら、一度平岸家に戻った。平岸ママは早起きなので、もう朝食はほとんど出来ていた。

 食べ終わった頃に修平が来て、いきなり、


 サキさ〜、神とか仏って信じる?


 と聞いて来た。私は、古い宗教は女性差別的だから信じる気になれないと言った。修平は何も言い返さずに席についてごはんを食べ始めた。本当は、パワースポットとかお祓いの話題でリオと盛り上がったこともあるし、新橋の家は仏壇がある浄土真宗で、それについて私はそんなに嫌だとは思ってない。でも、信じているかと言われると微妙だ。聖書や仏教の昔の経典は、女性を『妻』という単語でしか有用なものとしていなくて、女を欲の象徴みたいに書いているところも多いし、男から見て都合のいい視点で書かれているように思えるところばかりなのも気に入らないし。

 朝歩き回ったせいか、午前中勉強してる間に眠くなってきて、教科書の上でカクッとしてたらまたあかねに怒鳴り込まれた。私は平岸ママのアボカドサーモンサンドを持って、研究所に向かった。

 林の道を歩いていた時、私はふっと立ち止まった。別に何かが前を横切ったのでも、熊に出くわしたわけでもなく、ただ、立ち止まった。

 私は何かを感じた。

 いや、()()()()()()()

 あの、自分は宇宙で1人、みたいな感覚。自分がなくなって、世界だけがそこにあるような感覚。マンションの部屋に1人でいた時によく感じたあの。でも、それはつかもうとすると急速に消えていく。

 私はすぐ、いつもの私に戻った。

 そしてまた歩き出した。


 サキ君は哲学者になればいいと思うよ。


 私がその感覚の話をしたら、所長はそう言った。


 そういうことを感じたり考えたり出来る人って、

 この世界にはそんなにいないから。


 今日は晴れているのに気温は低い。放射冷却現象だねと所長は言った。2人でコーヒーを飲み、ポット君が保坂に教わって覚えた変な声の歌を聴いてから、また散歩に出かけた。

 私は歩きながらまたあの感覚を探した。でも見つからなかった。あれは何だろうと考えた。そして『女性が散歩出来ないことは、思考にとって不利だ』という考えが浮かんだ。男は考え事をしたければ夜中でも散歩に行ける。でも女性は『夜1人で歩くと危ない』のだ。治安の悪い所なら昼間でも1人で外に出れない。外出が自由にできないことは、女の知的活動を大きく妨げている。男は元から自由だからそのことに気づかない。

 今の私は自由に草原を散歩できる。

 これはすごいことだ。

 世界的に恵まれたことなのだ。


 畑の方から研究所を眺める。ピアノの音は聴こえない。結城さんは出かけている。所長に行き先を聞いても知らないと言う。やっぱり私を避けているのだろうか。それって奈々子さんのせい?それとも私自身のせい?


 サキ君はそんなこと気にしなくていいんだよ。

 あいつが逃げ回ってるだけ。

 修二さんも言ってたじゃない。


 所長は畑を見ながらそう言った。でも私は気になる。誰かのことを気にすると、一気に現実が近づいて来て体にぴりぴりした緊張が走る。そして、私はさっきの不思議な感覚を失う。私の精神は、あっちの方が大事だと言ってる。だけど心と体は、結城さんを気にしてる。

 これはどういうことなのだろう?

 私が考え込んでいる間、所長は畑の草を抜いたり、余分なトマトを袋に詰めたりしながら、ほっといてくれた。考え事に飽きて来て、私がまわりを見回し始めた時、『帰ろうか』と言った。

 私はトマトの袋を持って畑の道を歩き、さっきと同じ位置で立ち止まってみた。でも、あの感覚は戻って来なかった。そして、ここで待っていたらそのうち結城さんが帰って来るんじゃないかとか考え出した。私はその考えを振り切って平岸家に戻った。



 

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