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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年8月

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2016.8.14 日曜日 サキの日記

 北海道の夏休みは短い。来週にはもう始業式。そのあとすぐ前期末試験。そろそろ勉強しなきゃいけない。本当はいつでも勉強してないとまずい時期。前の学校では、一日10時間勉強する人なんて普通にいた。私はこちらに来て少しだらけすぎたかもしれない。

 午前中、BBCを聴いて、世界史の教科書を読んで、数学も少しやった。それから、いつも通り、平岸ママのバスケットを持って研究所に行った。

 今日は晴れで、雲ひとつない。暑い。

 所長はいなかった。


 今日は朝から別人だったぞ。

 また与儀の家でも行ったんじゃない?


 結城さんはテレビを見ながら、なんでもないことのように言った。それ、止めなきゃ駄目なんじゃないですか?と聞いたら『めんどくさい』と。何のために雇われてるのか本当にわからない。サボってる。

 ヨギナミの家に行ってみようかと思ったけど、めずらしく結城さんがピアノを弾かずに1階にいたので、ソファーの隣に座って一緒に画面を見ていた。アイドルが歌ったり踊ったりするのを、結城さんはじーっと見ていた。ああいう女の子好きなんですか?と聞くまでもなく、画面から目を離せないみたいだった。なんとなく嫌な感じがしたので、ピアノ以外で好きな音楽って何ですかと聞いてみた。


 俺、音楽嫌いなんだよね。人を狂わせるから。


 変な答えが返ってきた。


 昔から『音楽は素晴らしい』とか『NO MUSIC NO LIFE』とか言ってる奴はみんな馬鹿だと思ってるから。

 あいつら、やわな明るい音楽しか聴いてないんだよね。

 シロウトがなんとなく作ったような、底の浅い単純なやつ。

 本当に深いところに踏み込んだ音楽ってのはさ、怖いんだよ。クラシックなんか、精神不安定な時に聴いたら発狂しそうな曲がたくさんあるからな。聴くだけで狂いそうになるんだから、それを演奏して全身で感じたらどうなると思う?


 そんな真面目な話を、アイドルが踊るのを見ながら、結城さんは続けた。


 だから音楽って、本当は人を選ぶんだよ。誰でも聴いたり弾いたり出来るもんじゃないんだよな。だから俺、教えといてなんだけど、子供にむやみにピアノ習わせるのには反対。でもピアノの辛いところはさ、向いてるかどうかわからないくらい小さい時に始めないと、間に合わないとこなんだよ。


 アイドルが歌い終わって、一番人気のあるかわいい子がアップになった。結城さんはそれを見てニヤニヤしていた。話してる内容と態度がまるで合ってない。私は混乱した。ピアニストなのに音楽が嫌い。なのに、薄っぺらいアイドルの歌を喜んで聴いてる。かわいい女の子のせいはあるにしても。

 別なアイドルが歌い始めた。結城さんは動かずにそれをじっと見ていた。私はその隣にずっといて、自分に興味を示さない男を観察していた。

 そう。結城さんは男だ。

 今、私は男と2人きりなのだ。

 急にそのことを意識した。

 触れていないのに隣から熱を感じる。前に目が合った時のことを思い出した。リオは『それは恋、絶対恋』と言った。私は結城さんに恋をしているらしい。でも、隣にいる当人は私を見ようとしない。

 アイドルグループが歌い終わり、CMに入った。結城さんは立ち上がり、


 コーヒー飲まないの?


 と私に聞いた。所長はまだ帰ってきていなかった。

 ポット君が、なぜか白けた楕円形の目を表示しながら、いつものコーヒーを運んで来た。私達はソファーに並んでそれを飲んだ。無言で。結城さんが一言もしゃべらないので、私も話し出すきっかけがつかめなかった。ただ、熱だけはずっと感じていた。結城さんの肩にもたれかかってみたいと思ったけど、なんとなく嫌がられそうだから出来なかった。画面にはまた、大人数のアイドルグループが映りだした。

 スマホが鳴った。何かと思ったら佐加が『おっさんと一緒にマンボーにいる』と言ってきた。ヨギナミの家じゃなくてゲーセンなのか!私は結城さんにそれを伝えた。

 結城さんは珍しく深いため息を吐いた。


 その、遊んでるのが久方本人だったら良かったんだけどな。

 あいつは人を避けすぎるから。


 いいんですか、放っといて。


 下手に刺激して公共の場で暴れられても困るからなあ。


 結城さんはテレビを消し、2階に上がっていった。追いかけようとしたその時だった。


 駄目!


 声がした。

 振り返ると、そこに、奈々子さんが立っていた。


 結城に近づいては駄目。


 なぜ?


 駄目なの。みんなが傷つくことになる。

 あなたも、彼も、私も。


 だから、理由は?


 私がそう尋ねた時、上からピアノの音が聴こえた。

 またラヴェルだ。『古風なメヌエット』。


 ああ!駄目!駄目なの!!


 奈々子さんが大声で叫んだ。耳をふさいで身悶えしながら。私は怖くて飛び上がった。


 早くここを出て!!お願い!!


 その叫びと同時に、私は外へ飛び出した。林の道を抜けて、ピアノが聴こえなくなったあたりで立ち止まってみた。奈々子さんはもういなかった。

 今のは何だったんだろう?

 奈々子さんの様子があまりにも必死だったので、しばらく怖さが抜けなかった。

 やっぱり結城さんのことが好きなのか?

 それで私の邪魔をするのか?

 だとしたら大変だ。どうしよう?




 たぶん、昔を思い出して辛いんじゃない?

 若くして殺されてるわけだから。


 夕食の帰り、修平に奈々子さんの話をしたら、そういう答えだった。


 奈々子さんのことは置いといてもさあ、あんまあいつと一緒にいるの、良くないと思うけど。


 修平はそう言って、自分の部屋に戻った。

 私はどうしたらいいんだろう?

 部屋に戻って、幽霊とか心霊現象のことをググってみたけど、信用できない話ばかりで何の参考にもならなかった。

 奈々子さん。結城さんのピアノを聴くのが辛そうだったな。やはりそれは『幻のトッカータ』の思い出のせいなんだろうか。

 考えていたら、母からメールが来た。


 所長さんに何か聞いた?


 聞いた。理解した。

 これからは私の誕生日、

 無理に当日に祝わなくていいから。

 一回カウンセリング受けに行きなよ。

 よその家で泣き叫ぶなんて普通じゃない。


 ちょっときつかったかもしれないけど、そう送った。

『わかった』という返事が来た。

 それからまたあの『母の死んだいとこ』の話を思い出して腹が立って来た。いろいろ考えているうちに、全てがあの赤い髪の男の死で始まっているような気がしたからだ。それさえなければ、全てのことは起こらなかったのではないか。

 所長は嫌がるだろうけど、やっぱり橋本に話を聞かないと駄目かもしれない。

 全ての原因を作った男に。



 

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