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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年8月

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2016.8.13 土曜日 研究所→図書室 高谷修平


「あの頃は、ほぼ毎日そんな感じだったな」

 修平のスマホの中で、父、高谷修二が笑った。午後、札幌から戻った早紀と一緒に研究所を訪れ、久方創と一緒に父にテレビ通話を試みた。そして、昔の話を聞いた。

「夜になると、そういう行き場のない奴らが路上に出て来て音楽を聴く。その中に、奈々子と、あなたがいたんだ、久方さん。小さかったから覚えていないかもしれないけど」

「覚えてないんです」

 久方が答えた。悲しげな顔で。せっかく高谷修二と話が出来たのに、語るべき思い出が自分の頭から失われていた。

「一時期、毎日のようにそうやって狸小路に現れてたんだけど、ある日を境にぱたっと来なくなった。2人とも。後でナギに聞いたら、奈々子は死んだって言われた」

「そのナギが、結城さんなんですね?」

 早紀が尋ねた。

「そうだ。結城はそこにいるのか?」

「いないんだよ。出かけてるって」

 修平が悔しそうに言った。

「まだ逃げ回ってるんだな」

 画面の中の修二が笑った。

「あいつは奈々子を殺したのが初島だと思ってる。俺も同意見だ。しかし、証拠はなく、初島も行方不明。きっと、久方さんの近くにいれば初島が出てくると思ってるんだろうな」

「でも、あいつは僕に引っ越せって言ってますよ?あの人が来たら危ないからって」

 久方が言った。

「そうか。それはよくわからないな。何か考えがあるのかもしれない」

 修二はそう言ってから、

「でも、あなたが生きていてよかった。久方さん。少なくとも、奈々子のやったことは無駄にはならないんだ。あなたが生きてさえいれば」

 そう言って優しく笑ったが、久方は暗い顔でうつむいてしまった。

「夏休みなのに帰って来ないのか?」

 修二が息子に尋ねた。

「気になることが多すぎて帰れないよ、今は」

 修平は言った。『帰る体力がないかもしれない』とは言えなかった。

「そうか。じゃあな。また何かあったら連絡してくれ」

 通話終了。3人とも、しばらく黙って、聞いた話を頭の中で反芻していた。

 かま猫が部屋に入って来た。久方が駆け寄って抱き上げた。それを見た修平は、子供にしか見えないなと思った。この久方という人物は、18年前からほとんど成長していないのではないだろうか。そんな気がした。

「ラヴェルのトッカータ」

 早紀がつぶやいた。

「やっぱり奈々子さんと関係があったんですね。そうじゃないかと思ってた」

「幻のトッカータだよね」

 修平が言った。

「あの結城がそんな純粋なことするとは思えないけどなあ」

 久方はそう言いながら、かま猫を早紀に渡した。

「あ!そうだ!思いつきました!」

 早紀がかま猫を撫でながら言った。

「結城さんに、酒を飲ませるんです!」

「酒?」

 修平が聞き返した。

「そうです!こないだ酒に酔って、私を奈々子さんと間違えたじゃないですか。だからまた酔わせれば何か吐くかも……」

「駄目だよ、サキ君。それは危ないよ」

 久方が反対した。

「ただでさえ危ないピアノ狂いなのに、酔っ払って暴れたら手がつけられないよ!!」

「大人の協力が要りますね。平岸パパじゃ駄目かな」

「あのさ、その案は絶対やめた方がいいと思う」

 修平は強い口調で止めた。早紀はどうしても結城本人から話を聞きたいようだが、修平はそんなことはどうでもいいと思っていた。問題は、初島がどこにいるか、本当にまたここに来るかだ。しかし、ここでお子様のような2人と話していても、何もわかりそうにない。

「俺帰ります。図書委員の仕事もあるし」

 修平は立ち上がった。少しめまいがした。

「ありがとう。わざわざ通話つなげてくれて」

 久方が言った。修平は軽く笑って、足早に建物を出た。



「今日は誰も来てないの。土曜日だけど」

 図書室に入るなり、伊藤百合がそう言った。手に『アートギャラリー・ハルス』と書かれた、美術系らしき雑誌を持っていた。

「それ、何?」

「フランス・ハルス。この人の絵、人の表情がすごくいいの。今にも動き出しそう。だけど、画集が全然なくて、デアゴスティーニとか、うすーい雑誌くらいしか手に入らない。なんでかなあ。日本語で画集出たら5000円でも買うのに」

「そんなに好きなの?」

「だってこういう表情描いてる画家、他に1人もいないし」

 伊藤が『笑う騎士』を修平の方に向けた。含み笑いを浮かべた男の顔だ。確かに、今にも声を上げて笑い出しそうな絵ではある。

「今日何かやることある?」

「今日はお休み」

「休み?」

「顔色が良くない。帰って寝たら?」

 伊藤が上目遣いで修平を見た。修平は戸惑った。

「大丈夫だって。もうだいぶ休んでたしさ〜」

 修平はわざと軽く言った。本当は休むどころか、新橋親子と久方に翻弄されて疲れ切っていたのだが。

「じゃ、図書委員らしく、本を読んでください」

 伊藤はハルスの絵に目を戻した。もう話す気はなさそうだ。修平は図鑑のコーナーに行き、宇宙の写真を眺めた。誰か、先輩が入って来る音がした。席に座ってノートを広げる物音。受験勉強だろう。

 進路。

 河合先生には一応進学すると言ってはみたが、修平はそれまで生きていられるか確信が持てない。

 伊藤がカウンターから出て、窓際の下にある本棚を見始めた。何をする気だろうと思ったら、棚の雑誌を全部取り出してテーブルに乗せ始めた。それから、全てを番号順に並べ替えて戻した。

「そういうの、俺にやれって言ってくれない?」

 修平は近づいてそう言った。

「でもこれ、けっこう重くて疲れるし」

「それくらい平気だって!」

 それから、2人で一緒に並べ替えをやった。伊藤の言った通り、紙の雑誌は集まるとかなり重かった。それでも全てやり終えた。

「ありがとう」

 作業が終わると、伊藤がそっけなく言った。

「でも、無理はしないで」

「あのさあ、その『無理はしないで』が人を傷つけてるって知ってる?」

 修平が感情的な声で言った。伊藤は驚いたようだった。

「俺は体力つけたいの。多少無理してでもやらなきゃいけないことがあるんだよ。歩けるようになるには歩くしかない。勉強できるようになるには勉強するしかない。『無理しないで』なんて言ってたら何も出来るようにならねえよ」

「ごめん」

 伊藤は当惑したようだ。たぶん親切で言っただけだったからだろう。

「いいよもう。俺床掃除する。ここ少しほこりっぽい気がする」

 修平は掃除用具を取り出して、荒っぽく床を掃き、ゴミを捨てて、ついでに本棚にほこりがないかどうか確かめた。棚には塵ひとつなかった。きっと伊藤が1人で拭いているのだろう。

 伊藤は修平がそうしている間、カウンターに座っていた。ただし、手には何も持たず、腕を組んで、難しい顔で何かを考えていた。



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