2016.8.11 木曜日 深夜 高谷修平
修平は10時頃眠ったが、11時過ぎに目を覚ましてしまった。新道先生が珍しく実体化し、険しい表情で窓の外を眺めていたからだ。
「何してんの先生」
『あれは、新橋さんのお母様ではないでしょうか』
「え?」
『懐中電灯を持って道を歩いておられる。どこへ行く気でしょうか』
「見てくる」
修平は起き上がると手早く着替え、パーカーをはおって外に出た。懐中電灯の光が、林に向かって移動しているのが見えた。
久方の所に行く気だ。
修平はそう思ってあとをつけていった。二宮由希はその足音に気づき、振り返って懐中電灯の光を修平に当てた。修平は眩しさに手で顔を隠した。
「あら、さっきパーティーにいた子ね。何をしているの?」
「それはこっちのセリフですよ。女の人が夜中にこんなとこ一人で歩いちゃ危ないですよ」
「大丈夫よ。あら?そちらはお父さん?ずいぶん背の高い方ね」
二宮が修平の後ろを見て言った。修平は驚いて新道先生を見た。
『私の姿が見えているのですか?』
新道先生が尋ねた。
「暗いけど、かろうじてね」
二宮は的はずれな返答をした。
「ちょうどいいわ。案内していただけない?これから『研究所』っていう所に行くの」
「こんな夜中に?もうみんな寝てますよ!」
修平が叫ぶと、二宮は『シッ!』と口元に指を当てた。そしてまた道を歩き始めた。
「止めても無駄か。あ〜めんどくせぇ!!」
修平は文句を言いながらも、気になったので彼女の後をついていった。
夜の林は、暗い。道はあっても電灯はないのでなお怖い。しかし、二宮はためらわずに進んでいく。前に来たことがあるんだろうか?修平は疑った。それくらい、二宮の動きからは手慣れた印象を受けた。入り口の階段も止まらずに上がっていく。修平が気をつけながらゆっくりと進んでいるうちに、二宮は入り口の戸を勝手に引いて、中に入っていってしまった。
「おい、誰だ?」
奥から声がした。修平は動きを止めた。
やべえ、この声は橋本だ。
廊下の電気がつけられた。向こうに久方が立っていた。しかし、その隣には、全く同じポーズで、赤茶色い髪の橋本がいた。
二宮は立ち止まり、じっと動かなかった。
修平はそ〜っと近づいた。
「高谷か、こんな時間に何しに来た──」
「あきらちゃん?」
二宮の声がした。橋本が驚いて二宮を見た。
「お前、もしかして」
橋本の顔に狼狽の色が浮かんだ。
「二宮由希さんです。サキの母親の」
修平が言った。
「なぜ?」
二宮が、かすかな声を発した。
「なぜここにいるの?あなたは死んだはずよね。1980年の今日」
橋本がひるんで、久方の体とともに一歩後ろに下がった。顔には驚きというよりも、恐怖がはりついていた。
「二宮さん。橋本を知ってるんですか?」
修平が尋ねた。
「私のいとこよ。私が小さい頃に亡くなったの。そうよ。私の目の前で死んだのよ!廃ビルの上から私のすぐ前に落ちてきて!!」
二宮の声は徐々に大きくなり、最後には叫びとなった。
「どうしてくれるの!あなたが死んだせいで幸平がおかしくなって結局自殺してしまったのよ!私もあの日が忘れられないのよ!あなたが目の前で死んだから!毎年この日になると思い出すのよ!娘の誕生日なのに!どうしてくれるのよ!!どうしてくれるの……」
二宮は叫びながらしゃがみこみ、大声で泣き始めた。まるで子供のようだった。修平はその様子を呆然と見ていた。
気がつくと、橋本の姿は消えていた。久方創だけが、ぼんやりした目つきでそこに立っていた。
久方は泣いている二宮に近づくと、自分もしゃがんで、二宮の肩に手を伸ばした。二宮は顔を上げた。そこにはもう『あきらちゃん』はいなかった。
「はじめまして。僕は久方創といいます」
久方は静かな声で言った。
「僕がこの体の本来の主です。サキ君のお母さんですよね?娘さんにはいつもお世話になっています。あなたが『あきらちゃん』と呼んでいた奴は、ショックで引っ込んでしまいました。自分のせいであなたの友達が死んだことは、今まで知らなかったようです」
冷静な話し方だった。
「あなた、所長さんね?」
「そうです」
「おい、何の騒ぎキャアアアア!!」
結城が降りてきたが、二宮を見るなり走って階上に逃げ戻った。
「あ、今のは使えない助手なんで、気にしないでください」
久方がにこやかに笑った。修平は階段を見ながら呆れた。
「あの人、きっと、私を妙子と間違えたわね」
二宮もそう言って笑い、涙を手の甲でぬぐった。
「今、コーヒーをいれてきます。飲んだら少し落ち着きますよ。眠れなくなるけど」
「今日はもう眠れないから問題ないわ。ありがとう」
二宮は立ち上がった。
「高谷君もよかったら」
久方は1階のいつもの部屋に電気をつけて、奥のテーブルを手で示した。
「おじゃましまーす」
修平と二宮は部屋の、大きなテーブルの椅子に座ってじっとしていた。
久方、妙に冷静だな。
修平は不思議に思った。まるで二宮さんが来るのを知っていたみたいじゃないか。
「ごめんなさいね。高谷君、で、いいのよね?名前」
二宮がつぶやいた。
「いいですよ別に」
修平は投げやりな声で言った。
「こんな時間に起きてて大丈夫?」
「今夏休みなんで、明日昼寝ますよ」
軽く答えたが、本当は疲れ切っていた。明日は一日中寝込むことになるだろう。
久方が2人分のコーヒーを持って来た。二宮はすぐに一口飲んで『おいしい』と言った。修平は手をつけなかった。
「ねえ、なぜあなたの隣に、あきらちゃんがいたの?」
「僕に取りついてるんです。成仏できなくて」
久方はこともなげに答えた。
「さっきあなたが叫んだ時、奴はショックを受けて僕と入れ替わりました。その瞬間に見えたんです。彼の記憶の一部が。あなたは小さい頃、あいつと一緒に遊んでいましたよね?幸平君という男の子も一緒に」
二宮はしばらく無言で久方を見つめた。それから。
「そうよ。一番仲のいいいとこだったの」
と言った。
「あきらちゃんは髪が赤くて、近所ではいろいろ悪く言われていたようだけど、私にとっては優しいお兄ちゃんだった。だけど……」
「さっき、目の前で死んだって言ってましたよね?それは本当ですか?」
久方が聞くと、二宮はうなずいた。
「私、ビルの上を見たわ」
二宮の目がするどく光った。
「一番上の階の窓に、ショートカットの女がいたの。あいつが突き落としたに違いないのよ!なのにみんな私の言うことを信じてくれなくて、自殺って言うのよ!?」
二宮はまた興奮して叫んだが、
「ごめんなさい」
下を向いて謝り、またコーヒーを一口飲んだ。修平は、そのショートカットの女は初島に違いないと思った。
「その話、サキ君にしましたか?」
「できないわ。こんな恐ろしい話」
「あなたはサキ君に話すべきです」
久方がきっぱりと言った。二宮と修平が同時に久方を見た。
「久方さん、それはやめた方がいいよ」
修平が言った。
「そんな話する必要ないよ」
「いいえ、話すべきです。あなたが話せないなら、僕が話します」
修平は焦った。今日の久方はおかしい。いつも怯えて弱気な態度をしているのに、なぜ今日はこんなに冷静に、強い口調で話しているのだろう?
「お母さん。サキ君はね、ずっと変だと思ってたそうですよ。あなたがいつも自分の誕生日をわざとずらしたり、一緒に外出するのを避けたりしているから、悩んでいるんです。本人が僕にそう言ったんです。さっきのお母さんの話でわかりました。何十年も前の今日、あなたの大切な人が目の前で死んだ。そして、サキ君は運悪く同じ日に産まれてしまった。あなたはそれを気にせずにいられない。でも、それはサキ君のせいじゃない。サキ君には何の責任もない」
二宮は黙って、両手でマグカップを挟んだまま、動きを止めていた。
「だから僕が話します。僕は、サキ君には一切隠し事をしたくない。いや、出来ないんです。サキ君は何でも見破ってしまうから」
外から風の音がした。日付が変わる時刻になっていた。
「あなた」
二宮が不意に口を開いた。
「早紀にそっくりね、今気づいたわ。同じ子の別バージョンみたいよ」
「よく言われます」
久方は嬉しそうに笑った。
「実は新橋の隠し子だったりしない?」
「それも、サキ君本人に聞かれました」
「どうなの?」
「違いますよもちろん」
「ホントに?やだ、私、知らないうちに男の子を産んだのかも」
二宮がそう言って笑った。久方の表情が固まった。
「二宮さん、久方さんをからかうのはやめましょうよ」
修平が半笑いで言った。
「だってあまりに似てるんですもの」
二宮は立ち上がった。
「ごめんなさいね。夜中に押しかけて大騒ぎしてしまって」
「いいんです」
久方は笑った。さっきから穏やかに笑っている。不気味なほど。なぜだろう?修平は気になったが、自分も疲れて眠くなってきたので、一緒に帰ることにした。
「あの人、絶対、早紀のこと好きだわあ」
帰り道で、二宮が歌うような声を上げた。
「そうですか?」
「そうよぉ。わかるわ。私にはわかるの」
その言い方は、占いをしたときのスマコンに似ていたので、修平はうんざりした。
「ところで、あなたのお父さんはどこに行ったの?」
二宮が変な質問をした。
「あれは父じゃありません。先生です」
「先生?学校の?あらやだ。きちんとご挨拶しておけばよかった」
また誤解が生まれたが、もう訂正する気もしなかった。修平はアパートに戻ると、ベッドに倒れて深く眠り込んでしまい、次の日、平岸あかねが怒鳴り込んで来るまで、目を覚まさなかった。




