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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年8月

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2016.8.10 水曜日 サキの日記

 昼前、平岸家の前に、見覚えのあるパールピンクの車が停まった。

 中から、二宮由希が出てきた。黒地に花柄のワンピースを着て、赤いハンドバッグを持っていた。母は私を見ると口元に笑みを浮かべたが、目は遠くを見ていて、何か別なことを考えているようだった。念入りにヘアケアしてきたのか、髪はつやつやに光っていた。秋倉の風景の中で見ると、そこだけ浮いて見えて奇妙だ。

 私が久しぶりと言ったら、母は鳩サブレの袋を私に渡してあたりを見回し、


 新橋はまだ来てないの?


 と言った。あのう、私も新橋なんですけど。

 平岸ママがいつもの調子で、大げさに喜んでお出迎えしてくれて、母は平岸家の昼食の席についた。あかねがニヤニヤしている。修平はなぜかすごく緊張しているように見える。外出から帰ってきた平岸パパは『いや、どうもどうも〜!』と軽いノリで例の名刺を渡す。純也さんと林音さんは揃って顔を赤らめて、目の前の『女優』を見ている。


 サキちゃんは本ッ!当!に!いい子なんですよ!!


 平岸ママが、私のことを力を入れて褒め始めた。


 礼儀正しいし、言葉遣いも丁寧だし、皿洗いとかうちのお手伝いもやってくれるし、もう、うちの娘に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいなんですよ!


 そんな汚いもの飲まないから。


 あかねは反撃しながらも私を見てさらににやけ笑いを強めた。私はどうしていいかわからなくなってきた。


 そうそう。明日誕生日なんでしょう?サキちゃん。

 早朝にケーキを作りますから、

 由希さん、一緒にやりません?


 危ない!40代の娘にケーキ作りは危ない!なのに。


 ええ。喜んでご一緒します。


 母が『女優の笑み』を浮かべた。それから、あかねと純也さんが仕事についていろいろと質問し、母はインタビューに答えるようになめらかにしゃべった。付き人がうるさいから今日は置いて来た。12日までは完全にプライベートだ。久しぶりに車を運転した。今月末には次のドラマの収録が始まる……などなど。

 妙子の話題を誰も出さないのが不思議だった。でも、演じてる本人に向かって、

『よくあんな、イカれた気味の悪い役が出来ますね』

 とは誰も言えないのだろう。

 私は席を外し、廊下で『母が来ちゃいました』と所長にメールした。でも、『なるべくそちらに近づけないようにします』とも送った。母が所長や結城さんに会ったら何を言い出すか、それを想像すると──、

 いや、何も想像できない。

 あの人、行動が予測できないから。

 話が途切れたのか、母も出てきて、


 部屋を見せて。


 と言った。アパートに案内し、無理やり片付けた部屋に母を入れた。


 思ったよりも狭いけど、

 ワンルームのアパートなんてこんなもの?


 部屋を見回しながら母が言った。母は一人で暮らしたことがない。高校卒業後すぐに家出してバカと一緒に暮らし始め、当時アイドルだったので『かなりモメて』そのせいで母親と絶交したとか聞いてるけど、詳しくは知らない。

 母はひととおり部屋をチェックした後、私の椅子に座り、


 私もここで暮らしたいわあ。


 と、歌うような声で言って、伸びをして天井を見上げた。めっちゃ子供っぽく見えた。まるで、ここに住んでいる学生みたい。

 ところで、私のお母さんって誰だっけ?


 眠いんだけど、ベッド使っていい?

 夜はちゃんと平岸さんに泊めてもらうから大丈夫。


 私はいいよと言った。母は私のベッドに入り、あっという間に眠ってしまった。私は『外出中』とメモに買いて机に置き、そっと部屋を出た。アパートを出たら、そこにあかねがいた。母は疲れて寝てますと言ったら、


 あんたの母親、不気味ね。


 あかねが無表情で言った。どこが?と私は聞いた。

 心臓がバクバク鳴った。


 ()()()()()


 あかねは一文字ごとに強調してそう発音すると、平岸家に走って行った。私は所長のところに行こうかと思ったけど、あかねの言葉が気になって、平岸家のまわりをうろうろ歩き回った後、中に入った。純也さん達はいなくなっていて、平岸ママが歓迎のごちそうを作り、平岸パパは誰かと通話していた。声がなんとなくうちのバカっぽかった。そろそろ奴も来そうだと思った。



 サキ〜久しぶり〜!!パパピョ〜ン!!


 大声で叫びながら飛びついてきたバカ、新橋五月。カウンターパンチを食らわせる私。玄関で死んだふりをする大根役者。爆笑する平岸パパ。ネタのように真面目な顔でバカに向かって塩を撒き、ほうきでまわりを掃き清める平岸ママ。


 魔除けが必要です。イワシの頭はどこですか!?


 私は叫び、平岸パパはさらに大きく笑い狂い、平岸ママは真面目な顔で『南無阿弥陀仏』をつぶやいて手を合わせた。私は倒れているバカを引きずって、テレビの間に転がしておいた。ほっとけば、そのうち寂しくなって自分から出てくるであろう。

 私は野菜の下ごしらえを手伝い、皿を用意し、いくつかの料理をつまみ食いした。そのうちバカがやってきて『由希はどこ行った?』と聞いてきたので、アパートの部屋に行った。母は起きて、池田晶子の本を何冊か勝手に出して読んでいた。


 これ、借りてっていい?


 母が私に本を見せて笑った。いいよ別にと私は言った。しばらくしたら付き人の付箋とともに郵送されて来るだろうなと思いながら。


 そうだ、カントクからこれを預かってたんだ。

 壊れてないといいけどな。

 あのさあ、さっきのパンチはちょっと強烈すぎたぞぉ。

 俺じゃなかったら死んでるぞぉ。


 バカがスーツの内ポケットから、リボンのかかった細長い箱を取り出した。

 開けてみたら、万年筆が入っていた。

 すごく重い雰囲気の。

『お誕生日おめでとう。

 そろそろシナリオが書ける年頃よ?書きなさい』

 と書かれたカードも入っていた。


 いいよな〜カントク。味のあるプレゼントしちゃってさあ。俺ももっと気合の入ったもの買いたかったなあ。なのにサキのリクエストは金かアマゾンだもんなあ。


 だってバカに選ばせたらろくなもん買ってこないじゃん。


 そうねえ。新橋は昔、クリスマスにビートたけしの写真をくれたことがあるわぁ。


 何それ!?


 いつの話だよ、昭和の話はやめてくれよ。


 まあ、男からは金を取るか、後で売れる貴金属を買わせるのが一番かもねえ。


 妙子が歌うように黒いことを言った。それから、赤いハンドバッグを開けて、中から小さな箱を取り出した。

 ペリドットのネックレスだった。誕生石だ。

 一応ありがとうと言って受け取ったけど、まだ10日だ。誕生日は明日。やっぱり微妙によけられてる気がする。本当にケーキ作るの?と聞いたら、


 やったことないけど、

 平岸さんがいればなんとかなるでしょ。


 思いっきり人任せにしそうな予感。

 それから2人は『杉浦さんに会いに行く』と言って出ていった。私が落ち着かない気分なのをなんとなく察したようだった。

 所長の所に行きたかった。このモヤモヤ感を誰かに聞いてほしかった。でも今行くのはまずいと思った。今日と、明日もたぶんやめといた方がいいだろう。でもその間、私はあの2人と何をして過ごせばいいのだろう?


 夕食の間、2人は夫婦というより若い恋人みたいに仲良くしていた。『うおいち』の寿司を、母は一人で二人分、つまりバカの分も食べ尽くしていた。バカはそれを当然のことだと思っていて、全く気にしていなかった。純也さんと林音さんが『いいですねえ。お2人のようになりたいです』といらぬお世辞を言ったため、バカは偉そうに『仲がいいのはいつも一緒にいないからだ』という、白洲次郎・雅子夫妻の名言をうろ覚えで引用して『それはこれから結婚する人に言う言葉じゃねえよ』と平岸パパに突っ込まれていた。やっぱりこの2人、結婚する予定だったのか。

 あかねは食べ終わるとすぐに姿を消してしまった。修平も珍しく何も言わなかった。まだ具合が悪いのかもしれない。私もなぜか、一人だけ場違いな気がしたので、2人とも平岸家に置いてアパートに戻った。本を読む気も起きない。


 なぜ私は、

 自分の親と一緒にいるとこんなに疲れるのだろう。


 やることもなく、私は天井や壁をむやみに見つめた。いつか壁から生えてきた新道とか、奈々子さんの声が聞こえないかと思って。でも、何も起きなかった。

 私はさっきまで母が寝ていたベッドに転がって、家族って何だろうと考えていた。明日は誕生日なのに、明るい気分になれない。今までの人生を振り返っても、いいことはほとんど浮かばない。前の学校を思い出して嫌な気分になっただけ。

 自分の誕生日は複雑なのだ。

 人生や家族が、いろいろな形で絡んで来て。






 

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