表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年8月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

449/1131

2016.8.9 火曜日 サキの日記


 明日秋倉に着くから。


 夜、母からメールが来た。

 とうとう妙子が秋倉町に上陸してしまう。


 はとサブレ持っていくね。好きでしょ?


 いつから私の好物が鎌倉名物鳩サブレになったんだ。全く記憶ないんですけど。あえて言えば、クッキーとかビスケットはだいたい好きだし、クッキー缶をまるごと消費するのは得意だけど。

 私は所長にそのメールを転送しておいた。あと、少し迷ったけど、11日が誕生日だということも伝えた。


 早く言ってよ。これからプレゼント探しに行って来る。


 という返事が来た。だから伝えないで隠しておこうと思ってたのに。他人に『今日、私の誕生日なの!』と無邪気に言えるのは、小さな子供と佐加くらいだと思う。だって、いかにも『プレゼント買って』ってねだってるように聞こえるではないか。

 リオから『マカロン送っといたよ』というメールが来た。母よりリオの方が、私の好きなものを知っている。


 恋の進展はどう?


 何も進んでない。謎ばかりが深まってる。


 そう返信しておいた。特に詳しく聞き返しては来なかった。代わりに『パパと道後温泉にいる。ここ、夏目漱石と関係あるらしいよ』と、古びた日本風の建物と、なぜか鍋焼きうどんの写真も送ってきた。名物らしい。


 午前中は雨が降って雷の音もした。私は精神を集中して、奈々子さんと話ができないか期待した。でも、昔読んだハーゲンダッツの話とか、愛だの恋だのの洋書の内容とか、自分自身でいるってそもそも何だっけ?とか、関係ないことばかり考えてしまった。結局、彼女についてわかっているのは、修平や新道に聞いた話と、夢で見た、おそらく創成川沿いであろう真っ直ぐなフェンス。それだけだ。


 昼にまた、平岸ママがサンドイッチのバスケットを生産したので、私は研究所に出かけた。所長はもう野菜スープを作ってしまっていたので、一緒にいただいた。所長も橋本と話そうとしているけど、返事はないという。結城さんが珍しく、昼食を食べ終わっても2階に行かず、ソファーに座ってこちらの様子をうかがっていた。テレビもつけていなかった。


 僕はその先生に会ったの、覚えてない。

 当時のことは何も記憶に残ってない。


 所長はそう言って窓の外に目をやった。雨はあがって、弱々しいながら光が差し込んできていた。


 雨上がりに空を見ると、

 雲が面白い形をしているよ。外に出よう。


 所長は立ち上がると、


 一緒に行こう。結城。


 と言った。結城さんは驚いて急に振り返った。私もびっくりした。こんなことは初めてだったからだ。

 断るんじゃないかと思ったら、結城さんは黙ってついてきた。所長はいつも通り、まず空を見て雲を眺め、アジサイの所に行ってカタツムリを探した。ナメクジを発見した。それから畑の道を通って草原に出て、立ち止まった。雲間から光が差し込んで、細いヴェールのようになって見える。とてもきれいだ。天使が降りてきそうだった。私がそう言うと、


 そう。雨が降らないとこの輝きは見れない。

 天使も降りてこないんだ。


 所長は光を見上げたまま言った。結城さんはずっと黙っていた。天の光ではなく、所長をじっと見ていた。険しい目をして。一体何を考えてついてきたんだろう?いつも通り自然に没入してる所長とは違って、結城さんはその場に全く馴染んでいなかった。すぐ近くにいるのに、離れた所から物事を見ているような感じがした。


 結城さん、今、どこにいるの?


 私はつい聞きたくなった。もちろん何も言わなかった。代わりに『所長、楽しそうですよね』と言ってみた。


 わからん。


 結城さんがつぶやいた。


 何がいいんだかさっぱりわからないんだけど。


 顔には心からの困惑がはりついていた。私は愛想笑いを返した。



 帰って、今私は部屋を片付けている。この4ヶ月でここもすっかりマンションのカオス部屋に近い状態になっていた。床に散らばった古本や、ネットで衝動買いして使ってないコスメを、一度机とベッドの上に投げ、しまえる場所があるものはしまい、ないものはクローゼットに突っ込み、入れる場所もなくなったので、平岸家の裏口に置いてあるダンボールを分けてもらい、その中に残りを放り込んで、部屋の隅に追いやった。

 母がここに来る。

 来てどんな言動を始めるか、それを考えるとけっこう怖い。相手は40代の娘だ。よそのママとは違う。

 部屋が片付いても私は落ち着かなかった。所長に訳のわからないメールを送ってしまい、『大丈夫?』と心配された。ある意味、あの母は幽霊よりもよくわからない存在だ。普通の子は母親に会うのにこんなに不安にならないはずだ(と思うけど、よくわからない)。

 私はやっぱりコーヒーに手を出してしまった。もういい。今日は徹夜で読んでない本を読む。あ、片付けてクローゼットに入れちゃったんだった。やっぱり慌てると何も上手く行かない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ