2016.8.8 月曜日 サキの日記
朝、修平はまだ食事には出て来れないようだった。私は早めに研究所に行った。駒さんがまだいるかもしれないと思って。
林の道を歩くと、やっぱりチェロの音が聴こえてきた。ピアノも一緒だ。結城さん、元気になったみたいだ。一階で所長が麦茶を飲んでいた。気温は30度を超えていた。
僕、二人の演奏を聴いてて気づいた。
結城はものすごく自分勝手に見えるけど、
駒の演奏にちゃんと合わせられるんだよ。
協調性がないわけではないんだな。
私を見るなり、所長はいきなりそう言った。ずっと考えていたのだろう。
まだ朝早いですけど、うるさいと思わないんですか?
えっ?
あ、そうか。
僕、駒のチェロには慣れてるから、
うるさいっていう発想がなかった。
気違いのピアノソロとは全然違うもの。
とうとう結城さんを気違い呼ばわりし始めた。さっき少し褒めてたのに。
午前中いっぱい上の2人は合奏を続け、昼過ぎに、平岸ママが用意したチキンサンドを一緒に食べてから、駒さんは帰って行った。帰り際、私に連絡先を渡して、
久方になんかあったらすぐ連絡してくれる?
俺、やな予感すんねん。
とけっこう深刻な顔で言った。私はわかったと言った。所長に会うとみんな何かが心配になるのだ。しかも今回は、結城さんもおかしかったし。
駒さんの車が去ったあと、結城さんは気まずそうに、
ごめんね〜。
俺、酔っ払ってあんたにつかみかかったんだって?
よく覚えていないという口ぶりだった。別にいいですよと私は言った。あの言葉がどういう意味なのか聞きたかったけど、今はむやみに傷口を開けないほうがいいような気がした。
今日は素晴らしく晴れていて、所長と一緒に少しだけ畑に行って、日光にやられてすぐに戻って来た。2人で麦茶を飲んだ。
高谷くん、だいぶ悪いんだって?
所長が尋ねた。私と同じで、高谷修二に話を聞きたいと思ったそうだ。でも修平は今話ができない。私達はまた知ってることを話し合って堂々巡りをした。
でも、別人がなんで僕と話すのを嫌がるかわかったよ。
奈々子さんを巻き込んで、死んだ原因を作ったのが自分だからなんだ。
所長の話し方は苛立っているように聞こえた。
昨日駒に、わかったことを全部話したんだ。
あいつは言ったよ。
『もう神戸に帰ってこい。危ないと思わんか』って。
でも、今は帰れないよ。
もっとはっきりしたことがわかるまでは。
そこまで所長が言った時、上からピアノの音が聴こえてきた。リストの『ため息』だった。
あいつ元気ないな。弾き方でわかる。
みんな暑さにやられちゃったのかな。
所長は言いながら天井を見上げ『あ、蜘蛛の巣』と言った。天井の隅にきれいな六角形っぽい蜘蛛の巣が出来ていて、半分だけ日光に当たってきらきら輝いていた。
夕食のとき、やっと修平が姿を見せた。顔色がまだ悪かったけど、食事は普通にとれるみたいだった。
サキ、ちょっとこっちに来て。
食後にアパートに帰ろうと思ったら、修平に声をかけられたのでテレビの間に移動した。
俺、眠っている間に、先生の記憶をのぞいた。
修平が静かに言った。
たまに出来るんだ。
サキと久方さんが同じ夢を見るみたいに。
奈々子さんは、『創くん』を初島から引き離そうとした。でも、うまく行かなかったんだ。それで、担任だった先生に相談した。先生は『創くん』に会った。でもそいつは『創くん』ではなく、かつての自分の友人、つまり橋本だった。
ぞっとするんだよ。死んだ友達が、子供の姿で帰ってきたんだから。
そういう夢を見た。
修平はそう言ってからテレビをつけた。しばらく何も言わずにニュースを見ていた。私が帰ろうとすると、
2人とも、初島に殺された。
修平がつぶやいた。
だから、気をつけてほしいんだ。
俺達の前にも初島が現れるかもしれない。
何か変な力が働いていて、こうやって同じ場所に集まってしまったのも、そのせいかもしれない。
私はテレビの間を出て、外に行った。また、あの底のない闇が迫ってくるように思えた。私は走って自分の部屋に飛び込んで電気をつけた。
そう。私は殺された。
そんな声が聞こえたような気がして怖くなった。私はまたヘッドホンで『アンビリーバーズ』を一曲リピートしながらじっとしていた。1時間くらい経ったらさすがに落ち着いてきた。何も出現しないうちに寝ようと思ったけど、電気を消したくなくて、結局夜中の1時くらいまで本を見ながら起きていた。




