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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年8月

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2016.8.2 火曜日 ヨギナミの家


 夜10時頃、佐加がヨギナミのベッドで転がっていると、窓を叩く音がした。外にはおっさんがいた。


 あ〜!おっさんだ!

 久しぶり〜!来てくれたの〜?


 佐加は窓を開けながら笑顔で叫び、キッチンにいたヨギナミも走って来た。寝ていたあさみは、顔だけ窓の方に向けた。


 金ねえから何も買えねえけどよ、これ。

 ピアノの馬鹿が隠してたマフィン。


 おっさんは、札幌の菓子メーカーの印が入った袋を佐加に渡した。


 え〜!マジ!盗んできたの?

 やるねおっさん!

 ヨギナミの誕生日プレゼントでしょ?ありがと〜!


 佐加はマフィンの袋をヨギナミに渡した。ヨギナミも『ありがとう』と言って笑った。


 中に入ってもらいなさい。


 あさみが起き上がりながら言った。佐加が外に出て、遠慮するおっさんを引っ張って来た。ヨギナミは『所長はどうしたんだろう?』と思いつつ、お茶を入れにキッチンに行った。マフィンは3つ入っていたので、佐加は自分のものを半分に割り、おっさんに渡した。

 おっさんはあさみを見るなり、


 今日、大人気なく荒れたんだってな。

 サキに聞いたぞ。


 と怒った顔で言った。あさみは何も言わず、娘が運んで来たお茶を飲み、マフィンをちぎって口に入れた。誕生日のケーキは食べなかったのにとヨギナミは思った。


 お前は何が不満なんだ。言ってみろ。


 おっさんがあさみをにらんだ。


 別に不満なんかないわよ。ただ……。


 何だよ?


 洋子が幸せそうだったから、腹が立ったのよ。


 その答えに、ヨギナミと佐加は顔を見合わせた。洋子というのは平岸ママのことだ。

 

 なんだそりゃ。それが子供に八つ当たりする理由か?

 娘の誕生日だぞ?


 おっさんは呆れていた。ヨギナミは『もういいよ、それは』とつぶやいた。母が自分に当たり散らすのはいつものことだ。決して珍しい現象ではない。


 私がこの子達くらいの歳の頃はね、洋子も私も同じだったのよ?年頃の、生意気で、でも未来がある学生だったのよ。それが今じゃどう?洋子は立派な家で夫と、自分の子でもない生徒たちの面倒まで見てる。なのに、私は娘の修学旅行の費用まで、よその子ども達に出してもらってるのよ!


 ヨギナミは驚いた。母が修学旅行の代金をそんなに気にしているとは夢にも思っていなかった。だって自分には『旅行に行きたい?わがまま言うんじゃないわよ』と言っていたのに。


 それは気にしなくていいんだよ。

 あたし達は好きで勝手にやってるんだからさ。


 佐加が気を使っている表情で言った。


 そうよ。あなた達も洋子も『好きで勝手にそれができる』のよ。それが強いってことなのよ。……ごめんね美月ちゃん。おっさんも。あなた達に腹を立てているんじゃないの。自分に腹が立っただけ。


 お前はまず娘に謝れ。俺でも佐加でもなく。


 おっさんが強い声で言った。あさみは少々まごつくと、ヨギナミに向かって小声で『ごめんなさい』と言って、ベッドに戻って布団に隠れてしまった。

 佐加が『やるね、おっさん』という目をして笑いかけた。おっさんは佐加の着ているパジャマを見て、


 そのパジャマは何なんだ?

 どっから見つけてくるんだよそんな服をよ。


 と目元を歪めて尋ねた。佐加のパジャマは、全てのパーツが違う柄の生地で出来ていた。


 え?これ?自分で作ったんだ〜。クレイジーパターンっていうの。ダブルガーゼの余ったやつをかき集めて縫い合わせたんだよね。でもさ、縫い目破れやすいから気をつけなきゃなんだけどさ〜。

 今度おっさんにも作ったげよっか?


 いらねえよそんなもん。


 おっさんが笑った。ヨギナミはマフィンを小さくちぎって食べながら、佐加とおっさんが手作りの服について揉めるのを聞いていた。

 まともな父親がいたら、家の中はこんなふうだったかもしれないとふと思った。でもすぐに『所長』の存在を思い出した。サキはきっとおっさんの話を聞いたら怒るだろう。『その人は本当はそこにいちゃいけないの。所長の人生が奪われるから』と彼女はいつも言っている。


 おっさん、たまにここに来て。


 ヨギナミは考えとは逆のことを口にした。


 何も持って来なくていいから、ただここに来て。

 そしたらお母さんの機嫌が良くなるから。


 おっさんはヨギナミを強い目で見た。『それは無理だ。これは俺の体じゃない』とその目は言っていた。


 所長と相談してみれば?


 佐加はなんでもないことのように言い、大きなあくびをした。



 

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