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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年7月

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2016.7.31 日曜日 高谷修平の部屋

「そこでとりあえず一度、あなたは、彼の命を救ったわけね?」

 スマコンが静かに微笑んだ。

『そうです。あくまでその時点では……ですが』

 新道先生がそう言って目を伏せた。修平は自室の床に座って2人を交互に見ていた。自分以外の人が『先生』と話しているのをじっくり見るのは、これが初めてだった。

 昼過ぎにスマコンが突然平岸家を訪ねてきて『先生とお話したい』と言ったのだ。そして今、修平の部屋に堂々と入りこみ、ベッドに座っていた。

「どうして彼は死にたがっていたのかしら」

『それは私にもわかりません。そういう時期だったとしか言いようがないと、まわりの人々は言っていました。人は若い頃、みな、そういう時期を通過するものだと、大人達は口々に言ったものです。しかし、私にはそれが理解できなかった。私自身は、自ら積極的に死にたいなどと思ったことは、一度もなかったのです』

「一度も?」

 修平が尋ねた。

『はい。ただの一度もありません』

 新道先生ははっきりと答えた。

『ですから、本当の意味で、私が橋本を理解するのは不可能だと思います。わかっているのは、あのとき、彼は本気で窓から身を投げようとしていたということです』

「ビルから出たあと、あなたは橋本の家に行ったのね?」

『はい。古本屋というものに、私は初めて入りました。非常に古い、当時の基準から言っても危なげな、黒い色の木造の平屋でした。入ってすぐ、中が本だらけで、ほとんど足の踏み場もないことがわかりました。石炭ストーブがあて、その近くにも本が積んであったので、内心危ないと思ったものです。橋本は私とナホちゃんに、ここにある本で読めるものはあるかと聞きました。お恥ずかしながら、その時点では、私は本を読んだことがありませんでした』

「記憶がなかったからだよね」

 修平が補足した。

『そうです。私は店中にある『四角い紙の塊』が何なのか、その日初めて知ったくらいですから。ナホちゃんは、文学の棚にある本はほとんど知っていると言った。そして、橋本と2人でその小説の内容について話し始めた。私には訳がわからなかった。あの時の心細さは今でも忘れられません』

 新道先生は昔を思い出したのか、一瞬切ない表情をしたあと、すぐ笑顔に戻った。

『私が全く本が読めないことに気づいて、橋本はもう、そりゃあひどく私を罵りましたよ。低脳だの白痴だのとね。ナホちゃんはそれを見てかわいそうだと思ったのでしょう。『私が教えてあげるね』と言ってくれました。それから2人で簡単な本から読む練習をしたものです』

「あなたはとても、人に恵まれていたようね」

 スマコンが言った。

『ええ、とても』

 新道先生は優しく笑った。

「愛する人に囲まれて、満ち足りた人生を送った」

『はい。もちろん』

 新道先生は心から嬉しそうに笑った。

 修平はそんな先生をじっと見た。この世に『満ち足りた人生でしたか?』と聞かれて『はい。もちろん』と答えられる人はどれくらいいるだろう?

「でも、残りの2人はそうではない」

 スマコンが難しい顔をした。

「高谷。あなたが先生と仲良くできるのは、相手が大人だから。きちんと成熟していて、満ち足りた人生を送って、それなりにやることはやって人生を終えた方だからよ。でも、橋本と、神崎という人は違うわね。2人とも、若くして、やりたいことは何も成さずにお亡くなりになった。きっと人生に執着があるでしょう。迷いも多いはず。だから上手くいかないのよ。自分と同じようにいくなどと考えてはいけないわ。あの2人のほうがはるかに大変よ」

「それは俺もなんとなく感じてた」

 修平は下を向いてつぶやいた。

「橋本に憑依されている久方を見て思ったんだよね。こんな奴に取りつかれたらたまったもんじゃないって」

『修平君、橋本は……』

「いや、わかってるよ。悪い奴じゃないってことは」

 修平は手を少し上げて、先生をなだめるように見たあと、スマコンの方を向いた。

「これから奈々子さんがサキを乗っ取りにかかる可能性は十分あるよね。主に結城のせいで」

「彼のせいと言えるかどうかはわかりませんけれど、そうね。わたくし思うのですけれど、クラスの人にも事情を話して、協力を仰いだほうがよろしいのではなくて?」

「クラスぅ!?」

 修平が裏返った声で叫んだ。

「あいつらが幽霊の話なんて信じると思う?ヨギナミと佐加はともかく」

「あの佐加にわかることが、伊藤にわからないと思って?」

 スマコンが意地悪な笑みを浮かべた。修平は言葉に詰まった。ここで伊藤の話をされるとは思っていなかったのだ。

「わたくしから、第2グループには話しておきますわ」

 スマコンは優雅に立ち上がり、修平を気高く見下ろした。

「あなたは、自分のグループにお話しなさい。それくらいできるでしょう?」

「一番難しいグループだろ、俺のとこが」

「でも考えてみていただけない?」

 スマコンが念を押した。修平は黙って目をそらせた。

「ところで、新橋さんはどちらにいらっしゃるの?」

「ヨギナミの誕生日プレゼントを買いに行ってる」

「あらやだ。わたくし忘れていましたわ。すぐに用意しなくては」

 スマコンは高みにいる人間の笑みを浮かべ、

「それでは、ごきげんよう」

 丁寧なあいさつをして帰った。

「あいつ怖いよ」

 修平は床に座ったままつぶやいた。

「伊藤に幽霊の話なんかしても絶対信じないよね?」

『しばらくは半信半疑でしょうね。しかし、可能性がないわけではない』

「そうかぁ〜?俺はないと思うけどなあ。それより、奈々子さんだよね。次に出てきたらどうするか……」



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