2016.7.29 金曜日 研究所
ねえ!なんで黙っちゃうのさ!
教えてよ!昔何があったか知ってるんだろ!?
久方が叫んでいる。ここ数日ずっとこうだ。どうやら『中の人』とケンカしているらしい。結城は時々様子を見ながら、いつ札幌の精神病院に連絡しようかと考えていた。いや、本当は、そんなことをしても無駄なのはわかっていた。ずっと前から。しかし、今の久方を見ると、幻聴か幻覚にでも陥っているようにしか見えない。建物の中をうろつきながら、別人に向かって文句を叫びまくっている。しかし、相手からの返答はないようだ。
いいかげん静かにしてくれや。
うるさくてピアノも弾けねえって。
たまりかねた『助手』はとうとう文句を言った。
勝手に弾いてりゃいいじゃないか。
いっつもそうしているくせに。
今日のガキんちょは、ひときわ生意気だった。
あいつずっと僕にとりついているから、
昔起きたことも見てたはずなんだ。
奈々子って人のことも知ってるはずだよ。
そういえば、お前はなんで奈々子さんのことを隠すの?
矛先が自分に向いたので、結城は顔をしかめた。
いや、確かに知り合いでしたよ。
でもなあ、幽霊になって近所のガキに取りついてるって言われてもなあ。
信じないだろ普通。
そう答えると、久方は失望したような顔で結城をにらんでから、キャビネットを開けて顕微鏡を取り出した。どうやら気晴らしを始めたらしい。とにかく叫ばなければ何でもいい。結城は2階の自室に戻ることにした。
バイトで疲れて動けません。
今、BBCのlearning Englishをぼけ〜っと聞いてます。
夕方4時頃、早紀からそんなメールが来た。疲れているが、夏休み明けに前期末試験があるので、今から勉強したいらしい。けっこう真面目だ。
久方はその文面をしばらく眺めてから、
幽霊と話そうとしたけど、向こうが逃げてしまったよ。
と返信した。
話したくないことがあるんでしょうね。
怖い場面を見たとか。
とすぐに返ってきた。別人は何を見てしまったのだろう。暴力だろうか。誰かが殺されるのを見たとか?奈々子さんか?高谷に取りついている先生か?
久方は自分で思い出そうとしているのだが、頭の中のどこを探っても何も出て来てくれない。
高谷についている先生に聞いてみるか。
久方はそう思いついた。あの人なら何か知っているはずだ。
すると、
新道はやめてくれ。
ほっといてくれ。
声が戻って来た。
なんでダメなの?
久方は叫んだ。しかし返事はない。
僕の体を勝手に使ってたくせになんだよ!
どうして肝心な時に引っ込むんだよ!
久方はまた叫びながら廊下を歩き始めた。2階からあの邪悪なスカルボが響いてきた。久方は別人に話しかけるのをやめた。代わりに、不吉なピアノを聞きながら、建物じゅうをうろうろと歩き回った。雨のせいか、かま猫が入ってきて廊下を走っていた。久方は追いかけて抱き上げた。猫は小さな虫をくわえていた。
捕まえたのか。いい子だね。
久方は優しく笑いながら、エサを与えるためにキッチンに向かった。




