2016.7.22 金曜日 サキの日記 終業式
終業式。めったに見かけない校長が、おかしいほどゆ〜っくりした口調で、しかも長〜く長〜く人生訓をお話になった。私は強烈な眠気に襲われ、何度もカクッとなり、隣の杉浦に冷たい目を向けられた。
教室に戻ってから河合先生が、
休み中も何かあったら日誌書いて送れよ〜。
と言った。杉浦からは市場のバイト日程の説明があった。そうだ、ヨギナミの修学旅行のためにバイトするんだった!すっかり忘れていた。作業で使う軍手が、杉浦から参加者に渡された。伊藤ちゃんが、
ごめんね〜、私図書室にいなきゃいけないんだ〜。
とヨギナミに言い、ヨギナミはかわいそうなくらい縮こまっていた。伊藤ちゃんて、親切なのか意地悪なのかわからない所があるなと思った。私に所長のことを聞いてきた時の発言の仕方とか。嫌味と言えなくもない。微妙。
平岸ママがサンドイッチのバスケットを用意してくれていたので、研究所に行った。所長は私の顔を見るなり、緊迫した顔で、
お母さんいつ来るか決まった?
と聞いてきた。まだ来てません、落ち着いてくださいと言っておいた。食べ物の気配を感じたのか、結城さんが現れた。私を見て、目の端だけで笑ったように見えた。3人でサンドイッチを食べた。
ヨギナミ、生きてる?
急に所長が尋ねてきた。なんでだろうと思いつつ、私は佐加の誕生日プレゼントの話をした。ヨギナミが2500円ちゃんと用意していたことも。
実は、学校祭で保坂君のお母さんがヨギナミを探してるのを見ちゃって、目つきがおかしかったから心配してたんだ。何か起こすんじゃないかって。
所長が言うと、
女は怖いぞ。
嫉妬するとどこまでも追いかけてくるんだぞ。
結城さんが何かを思い出したように身を震わせた。何かやましいことでもしたんですかと聞いてしまった。
ないない。そんなことない。
相手が勝手に誤解しただけだって。
……怪しい。
お前はどうなのよ?今まで何かなかったのか?ん?
結城さんは所長に話を振った。
別に何もないよ。
所長は不愉快そうに言ってコーヒーを飲んだ。もう少し何か聞けないかなと思っている間に、結城さんは席を立って2階へ行ってしまった。
私は夏休みにバイトすると所長に話した。ヨギナミの修学旅行代のことも。一人7000円ずつ出して、11人で77000円になるから、それで行けるだろうというのが杉浦の計算だった。
偉いね。友達のためにそこまでするの。
だって、ヨギナミだけ置いて修学旅行行くの後ろめたいじゃないですか。ただでさえ人数少ないクラスなのに。
話していたらピアノが聞こえた。ラヴェルのソナチネだ。所長はすかさず、
散歩に行こう!
と叫んで立ち上がった。なんだかいつもより過剰に元気というか、空回りしているような感じがした。妙子の襲来が怖いからだろうか。
草原の夏。気温は25度くらいだけど日差しがあって暑く感じた。所長と一緒に畑を回って、水撒きを手伝ったりした。育っている野菜も、草も、何もかもが鮮やかな色をしていた。弱いけど風もあった。風。そういえば、あの壁から生えてきた幽霊のおじさんは、風を操れるとか言ってたっけ。私についているという奈々子という人は、最近姿を現さない。出てきたら、また結城さんのことを聞きたかったんだけど。
サキ君、またあいつのことを考えてるでしょう。
畑の隅に座っていた所長に考えを読まれた。
でも気になるのもわかるよ。夢に出てきたあの女の子はあいつの知り合い。それは高谷修二の話でわかってる。なのにあいつはあの子の話をしたがらない。
話したくないってことは、やましいことがあるんだ。
きっとそうだ。
所長はそう言ってから、しばらく遠くの山のあたりを眺めていた。どれだけ力を入れて弾いているのか、研究所の方向から、ピアノの音が畑まで届いていた。
ラヴェルのソナチネ。
あまり聞いたことがないはずなのに、懐かしい感じがする。なぜだろう?
よーし!!
所長が声をあげて、急に立ち上がった。
あいつの所に行って、奈々子さんのことを聞いてみよう!!
わざとらしいくらい大きい、芝居がかった声だった。それから所長は帰り道を早足で歩き始めた。私は、どうしたんだろうと思いながらついていった。何かを察したようにピアノの音が止まり。建物に着いた時には、車の発進音が聞こえた。
あっ!!逃げたな!
所長が走り去る車を見て叫んだ。今日の所長は何かテンションがおかしい。
結城さんがいなくなったので、2人でビスケットを食べながら、フリーマーケットで見つけたというチェロのCDを聴いた。所長は神戸の友達の話をした。隣に住んでいて、いつもチェロの練習をしていたという。一緒に古い音源を漁ったりしていたそうだ。所長にも楽しい思い出があるんだなと思った。そういう話を初めて聞いた気がした。




