2016.7.18 月曜日 サキの日記 学校祭
学校祭にやってきた。
ただし、幽霊の方が。
変な歩き方で教室に入って来て『よお』と言ったので、所長じゃないってわかった。もちろん、隣には赤い髪の男が見えた。慌てて廊下の隅まで引っぱっていった。なんでお前が来るんだと聞いたら、
しょうがないだろ?
創は朝から引っ込んじまってるんだからよ。
それよりお前、杉浦って奴知らねえか?
顔が見てえんだよ。
なんで杉浦やねんとつっこみたくなったが、そんなことを言ってる場合じゃない。
所長の人生をこれ以上取らないでくれます?
ここに来るのは所長のはずだったんです!
だから言ってるだろ?
創が引っ込んで出て来ねえんだって!
そんな感じで言い合ってたら、
あ〜所長じゃ〜ん!!
と叫びながら、佐加が走ってきて、所長に体当たりを食らわせた。所長の体は、後ろの柱に思いきりぶつかった。
今カレーライス持ってくっからさ〜!席座ってて!
これから混んで来っから場所取っといたほうがいいよ!
佐加は必要以上にさわやかに笑いながら、どこかに走り去って行った。
あのう、大丈夫?思いっきり頭打ったんじゃない?
ヨギナミが近づいてきた。所長は何だかよくわからないという顔で目をしばたかせた。赤い髪の幽霊は消えていた。
サキ君?えっと……あのー、
所長が無事に戻って来たようだ。
佐加ってすごい。強引すぎるけど。
ようこそ学校祭へ。
私はわざとおどけて言った。
不本意でしょうが、もう来ちゃったみたいなので、
カレー食べていってください。
えっ?
所長さん、こちらにどうぞ〜。
ヨギナミが上手く乗って、所長を中に案内してくれた。藤木と高条が同時に『いらっしゃい』と言ったが、所長を見て怪訝な顔をした。
あ〜、久方さん来たんすね。
鍋を混ぜていた修平が陽気な声を出した。所長はぎこちなく笑いながら、ヨギナミが引いた椅子に座った。
あの〜、僕、いつここに来たの?
所長に聞かれたので、幽霊の仕業ですと小声で耳打ちした。私は藤木に頼んで早めに昼ごはんを食べることにした。所長と一緒に。今日は朝から平岸ママのケーキ作りを手伝っていたので、疲れてきていたし。
あら、久方さん。
隣の席でケーキを食べていたおばあさんが所長に話しかけた。
去年はありがとうねえ。雪かきしてもらっちゃって。
所長はピクッと体を震わせて数秒止まったあと、ぎこちなく笑った。きっと本人の話じゃなくて幽霊のことだろうなと思った。
大きな通りは幸福商会さんがやってくれるけど、裏の窓のあたりはねえ、なかなかやってくれる人がいなくて、部屋の中が暗かったのよお。
おばあさんはひとしきり雪かきと窓の日差しの話をしたあと『バザーに行く』と言って席を立った。
あれ?あんた久方さんだろ?
今度はおじいさんが現れた。
こないだカフェで倒れてただろ?大丈夫かい?
所長は『もう大丈夫です、すみません』と言ってから、
サキ君が来る前の話だよ。
と言った。カフェでコーヒーを飲んで帰ろうとしたら、意識がなくなったという。
やっと客が途切れてゆっくり食べられると思ったら、
あー!あんたも来てんのかァ!!
ひときわ大きな声がして、いかにもクセの強そうな眼鏡のおっさんが現れた。廊下でたこ焼きを売っていた奈良崎が飛んできて『うちの親父』と言った。噂の『奈良のとっつあん』の登場だ。
いやァ〜最近見かけねえからどうしたのかと思ってな〜。俺も最近暑くてあんまパチンコ行かねえのよ。
間違いない。幽霊の話だ。所長が凍りついてる!
とっつぁんは昔の良い出玉を懐かしんだ後、
気ィつけろや。
保坂の奥さんが来てるぞ。
与儀の娘を探してんじゃねえべか。
と、所長に顔を近づけて低い声で言った。そして、
じゃあ、俺は他んとこも見てくるべ〜!
と、あくまで陽気に言いながら出ていった。私は藤木を見た。藤木はこっちへ来いと手で合図していた。
保坂の母親が来たら、ヨギナミをウェイトレスから外して隠れてもらうから、お前が接客してくれ、頼む。
と言われた。やりたくないけど何か起きそうで怖いのでOKしといた。藤木はそれからヨギナミを呼んで、佐加を探して交代するように言った。
僕なら一人で見て回れるから大丈夫だよ。
所長はカレーを食べながらそう言ってくれた。戻って来たヨギナミが、じゃあ一緒に杉浦の展示を見に行こうと言い、2人は一緒に出ていった。私はカレーの残りを急いで口に詰め込み、佐加と一緒にウェイトレス業にいそしんだ。人が多くてひっきりなしに運んでいたので、接客大丈夫かなとか、あまり悩んでる余裕もなかった。秋倉は小さな町だけど、今日は町民ほぼ全員学校に集結しちゃったのかと思うくらい、どこも人だらけだった。
レストランのメニューは1時前に完売。たこ焼きはとっくの昔に売り切れて、第2グループはフリマや寸劇を見にどこかへ行ってしまっていた。
保坂の母親はレストランには現れなかった。しかし、保坂が年配の女性と言い争っているのを廊下で発見した。保坂はしつこく『もう帰れよ!帰れって!』と叫んでいた。女性はどこにでもいるようなちょっと小綺麗な奥様という感じ。私は『もうステージの時間じゃないの?』とわざと話しかけた。保坂は『やべっ』と言いながら走っていった。
奥様が、私を血走った目でにらんだ。
あなた、お名前は?
低くて怖い声が聞こえた。
新橋早紀です。東京から来ました。
私は深々と頭を下げてみた。すると、
あら〜!東京から来たのぉ?いいわねえ〜!
急に態度が明るくなった。さっきの目つきは、私をヨギナミと間違えたのか。
ところで、あなたのクラスに与儀って子いない?
来た!どう返事しようか迷っていると、
あら〜保坂さんお久しぶりぃ〜。
間延びした声とともに、長いブロンズ色の髪で、ピンクのエプロンをつけた女性と、たくさんの小さな子どもたちが現れた。話を聞くと、秋倉幼稚園の園長さんと子どもたちらしい。大人と子供が話してるすきに、私はその場を逃げ出して、所長とヨギナミを探した。
杉浦の展示には年配のおじさんたちが集まっていた。パネルの説明を読みふけったり、どこから持ってきたのか、大正時代のアイロンや生活用品が展示してあって、それを熱心に眺めている人がいたり。真面目な人の集まりだ。
杉浦に保坂の母親の話をしたら、驚いて、手に持っていた『晩年』を落としそうになっていた。
それは良くないな。学校祭で事件を起こされては困る。彼らは体育館のフリーマーケットにいるはずだ。探しに行きたまえ。
ああ、そうだ。僕は久方さんを誤解していたようだ。彼はとても知的な人だね。色々といい質問をしてくれたよ。
杉浦は所長が気に入ったようだ。私は体育館に急いだ。町ではあまりない大規模なフリマイベントだけあって、すごい数の客と、他の町から来たのであろう業者っぽい店がたくさん並んでいた。こんなに人が多いところに所長がいるのだろうか。私は服や、変な置物やアクセサリー、そして人間の間を通り抜けて2人を探した。
所長はCDがたくさんある所にいて、一枚一枚熱心にチェックしていた。近くの店でヨギナミがお皿を物色していた。私はまずヨギナミに近づいた。
私、隠れたほうがいいのかな?どう思う?
ヨギナミが不安そうに聞いた。私は舞台を見た。スマコンと保坂がステージの上でマイクの準備を始めていた。私は思いつきで舞台横の更衣室に入り(学校祭の荷物置き場になっていて、鍵はかかっていなかった)、ヨギナミにアイスボックスクッキーを渡した。ここに隠れて、スマコンの歌をこっそり聞こうというわけだ。一応所長の所に戻って事情を説明した。所長はCDを5枚くらい買ったらしい。
僕はこの辺にいるよ。でもヨギナミ、大変だね。
所長は心からヨギナミに同情しているようで、何か飲み物でも買いなよと500円玉をくれた。先輩のブースでお茶を2つ買い、早足で更衣室に戻った。
佐加にメールしといた。探してたら困るから。
ヨギナミがクッキーをつまみながら言った。私はさっき会った保坂の母親と、幼稚園の園長の話をした。
それ、杉浦のママだよ。幼稚園の人でしょ?
いつも私をかばってくれるの。
ヨギナミが言った。お母さん同士で交流があるらしい。
そのうち、スマコンの歌が聞こえてきた。
ね〜むれ〜 ね〜むれ〜
税金泥棒 ダメ議員
つ〜ぎの〜 選挙で〜
お〜としてあげるよ〜
み〜んな〜が〜納めてる〜
た〜かい税金は〜
あんたの居眠りの〜ために〜
あるわけじゃない〜のよ〜
なぜだ。
なぜこんな歌を真面目なオペラ声で歌うんだ!?
佐加はあかねと服を買いあさっているみたい。
ヨギナミが携帯を見ながら言った。スマホじゃないんだと言ったら、
これ、レストランから借りてるの。
うちには電話がないから。
建設談合〜(フォウ!)
ズルしてボロ儲け〜(ホウッ!)
スマコンの変な歌と、保坂の間抜けな掛け声が響く中、私はヨギナミが語る悲しい生活の話を傾聴したのだった。お母さんは病気で寝てて常に機嫌が悪く、しょっちゅう娘に当たり散らす。うどんを作ると『そばが食べたい』と言う。牛肉が食べたいとごねるから仕方なく買ってきたら、無駄遣いするなと怒鳴られる。お金がなくてアルバイトして町の援助も受けてるけど、家事も勉強も一人でしなきゃいけない。成績はいいけど進学する余裕はない……。
政治家にまかすと金は(ドロン!)
政治家にまかすと船は(ドボン!)
間抜けな歌と生活苦の話が私の頭の中で混ざり合い、だんだんよくわからないトランス状態になってきた。正気の世界にとどまるために、私はクッキーの残りをむやみに口に入れ、むせた。ヨギナミが背中をさすってくれた。落ち着いてきた頃に歌は終わった。
いたいた!2人とも!
佐加が更衣室にやってきた。紙袋をたくさん抱えて。
ヨギナミ災難だったね〜。
保坂のババアはもうどっか行ったからもう大丈夫!
それよりこれ着てみね?
サイズ、ヨギナミにぴったりだと思うんだけどさ〜。
佐加が紙袋から赤チェックのワンピースを取り出した。それからしばらく、2人でフリマで買った服をヨギナミに着せて遊んだ。そのあと、所長のことをすっかり忘れていたことに気づいて探しに行った。
所長は体育館の隅で修平と話をしていた。私が近づくと、修平は逃げていった。
修平くんの幽霊の話をしてたんだ。
サキ君と話したことがあるって言ってたけど。
あの壁から生えたおじさんのことか。
私は、部屋で起きたことを説明した。
今度は超能力か……。
所長は私と同じ所にうんざりしていた。人が多くて疲れてきたよと所長が言ったので、一緒に教室に戻った。高条とあかねが2人で余ったコーヒーを消費していた。私と所長にも一杯ずつくれた。
あーつまんない。何で学校祭なんかあるのかしらね。
あかねはまだそんなことを言っていた。高条はひたすら黙っていたけれど、私と所長の方をちらちらと見ていた。何か気になるんだろうか。所長はあかねが嫌なのか、無言でコーヒーを飲み続けていた。
あ〜!コーヒー!私にもちょうだい!
伊藤ちゃんが来た。そして、所長を見て不思議な顔をした。あかねが『久方さん』と言うと、『ああ!あの!』と伊藤ちゃんが声をあげた。
こないだはすみません。杉浦が辞典盗んで。郵便受けに入れておきましたけど大丈夫でした?
また知らない話が出てきた。所長は『ちゃんと受け取りました』と小さな声で答えたけど、伊藤ちゃんの方は見なかった。
どうする?花火までここで時間つぶす?
高条が聞くと、あかねが『ケッ』と顔をしかめた。
外を見なさいよ。雨が降ってんのよ雨が!
花火なんて上がんないでしょ?
あかねの言葉通り、外は暗い雨になっていた。
この雨はひどくなりそうだなあ。
所長がちらっと窓の外を見てそう言った。私はさっき幽霊が、所長が朝から引っ込んでしまったと話していたのを思い出した。もしかしたら来たくなかったのかもしれない。町の人は実際に、所長と幽霊を区別出来てないし。
でも、所長は本当に、どこの風景にでもとけこんでしまう。今、学生しかいない教室に座っていても全然浮いてない。それどころか、教室の空気にぴったりとはまりこんでしまっているように見える。なぜだろう?存在感が薄いんだろうか。
おっ、いたいた。
平岸パパと、河合先生が一緒に入って来た。あかねは急に立ち上がり、反対側のドアから逃げてしまった。
見て見て!フリマでガンプラ見つけちゃった!
平岸パパが、昔のプラモデルの箱を見せつけて、顔を赤くして笑った。修平と藤木、奈良崎が戻って来て『それ何すか!?何すか!?』と騒ぎ始めた。所長はそんな男子たちとパパを、無言でじっと眺めていた。
新橋、レストランの接客どうだった?
河合先生に聞かれたので、忙しすぎて苦手を感じる暇もなかったと正直に答えた。
どうだ?やってみればできなくもないんじゃないか?
できなくはないけど目指してないです。
私と先生は、お互いの目を見てにやけた。花火は雨のため別な日に延期となり、予定より早く学校祭は終わった。思ったよりあっさりした祭りだった。きっと、神輿とかパレードみたいなのがなかったからだ。
帰り道で、所長に聞いてみた。
本当は、来たくなかったんじゃないですか?
そうだね。町の人が来るから気が進まなかった。
でも、来てみたら楽しかったよ。
チェロのCDも見つけたし。
今度来た時に一緒に聴こうか。
とりあえず良かったらしい。少し安心した。そういえばあの幽霊、杉浦の顔が見たいって言ってたけどなぜだろう?ヨギナミならともかく。所長に聞いてもわからないだろうから黙ってた。代わりにヨギナミにメールした。
本が好きだからだよ、きっと。
おっさん、古本屋の息子なんだよ。知ってた?
古本屋の子。
私の理想郷の生まれだったのか、あの幽霊。
もしかしたら本の話も詳しいのかもしれない。不覚にも少し話してみたくなった。でも駄目だ。あいつは所長の人生を奪う敵なんだから。
ヨギナミとやり取りしてたら佐加の誕生日を思い出した。プレゼントをいつ買いに行きたいか聞いたら、バイトは火曜日しか休めないという。つまり明日しかない。私は平岸パパに、明日の夕方にショッピングモールまで車を出してくれないか頼み、あっさりOKをもらった。所長にも一応事情を説明して明日は行けないと言っておいた。
いいものが見つかるといいけど。




