2016.7.9 1998年
創成川沿いの真っ直ぐなフェンス。
神崎奈々子はそこに軽く手をかけて、景色を眺めていた。向こう岸には市場がある。観光客向けの、やや高めの所だ。
足元には小さな男の子が座っている。目つきがぼんやりしていて、立ち上がる元気もなさそうだ。
「今日、何か食べさせてもらった?」
奈々子は向こう岸を見つめながら尋ねた。返事はない。
「やっぱり何もくれないんでしょ、あの人」
やはり返事はない。
「私もおなかすいたし」
奈々子は革財布の中身を探った。フリーマーケットで安く見つけた年齢不相応な本物だ。中身は千円札一枚と、500円玉。10円玉が少し。
「マクドナルドでも行こっか」
奈々子はゆっくりと歩き始めた。男の子は慌てて立ち上がると、よろけながらついてきた。
「食べたら、修二のギターを聞きに行こうね」
奈々子は前を向いたまま、出来るだけ優しい声で言った。
この子の顔を見るのが怖い。
あまりにも空っぽで。
何にも表していなくて。
でも、ほっとくわけにはいかない。
奈々子は狸小路に向かって歩き始めた。彼女はよく、夕方に部屋の窓から抜け出して、大通りまで来ていた。家はビルの1階にあったので、抜け出すのは簡単だった。
夜の空気。
そう、札幌の夜の空気。
奈々子はそれが好きだった。
静けさと騒々しさ。
深淵と軽薄さ。
人気のない道の、
何かが潜んでいるような闇の気配。
そんなことを考えていたら、うっかり『創くん』のことを忘れそうになった。
立ち止まって振り返ると、足元にその子はいた。
歩いていたので急に止まった奈々子にぶつかった。
少しだけ、表情が驚いたように動いた。
奈々子はそれを見て、少しだけ安心した。




