2015.8.17 サキの日記
田舎で道に迷う怖さを、その日初めて知った。
道を聞こうにも人がいない。
建物すらない。
道はあるけど草に紛れたりして、ほんとに人が通っていいか判断に迷うくらい微かな筋があるだけ。
遥か向こうに山。
途方もなく無限に広がっていそうな草原。
青すぎる空。
『北海道の風景』というタイトルの絵ハガキかカレンダーなら、
ありきたりながらも美しい風景だけれど。
広大に広がる空間に、ぽつんと1人。
慌ててもと来た道を引き返した。けど、分岐に当たってもどちらから来たか覚えていない。
強いイラついた感情に気をとられ過ぎて、来た道順を全く記憶していなかった。
あたりを何度見渡しても、
なにもない。
慌ててスマホを取り出すと、
圏外。
あのまま遭難しても全然おかしくなかった。
幸い、通行人が現れた。
遥か向こうの地平から。
白衣を着て、小さめの麦わら帽子を被っていた。
小柄で、たぶん子供だと思った。
私はまるで地獄に落ちた者がクモの糸をはい上るような感じで、その人のところまで走り、こう言った。
『人家はどこですか!?』
家を見つければ、そこから平岸家に電話して迎えに来てもらえると思った。
言われた人(所長だ)は、何のことだかわからないという顔をした。
道に迷ったと説明すると、ああ、なるほど、と言いながら歩き出し、ついてきて、と言った。
林に囲まれた廃屋、つまり『研究所』に初めて入った。入り口の窓にはひびか入り、昔営業していた病院の看板が、色褪せたまま玄関の横に置かれていた。
所長は平岸パパを知っていたので、すぐに電話(古くて、黒い)してくれた。
すぐ来てくれるって。
白衣の小学生は、不思議そうな顔で私をじっと見た。
どこかで会ったことないかな?
私は所長の顔に見覚えがなかった。
父の演劇仲間かと思って聞いてみたけど、
人前に出るの苦手だから、演劇なんてやらないよ。これでも僕はいい年の大人なんだ。
黙ってりゃいいのに私は余計なことを喋った。小柄で内向的な人にしかできない役もありマス。悲しいピエロ、妖精、悪魔、エルキュール・ポワロ……。
所長は怒らず、苦笑いしながら聞いていた。平岸パパはすぐにやってきて、車で平岸家に帰った。
車だとあっという間につくくらい、近いところだった。
町に引っ越してきた人は必ず一度は迷うんだなあ。
平岸パパがこちらによそ見しながら、眉をつり上げてコミカルに目を見開いた。
ま、一種の洗礼だね。冬なら凍死してたかもしらんな。夏でよかったねサキちゃん。ハッハッハ!
平岸パパは楽しそうだったが、私は笑えない冗談だと思った。
そのまま忘れてもよかったのかもしれない。
でも、次の日、
私は、『研究所』を探し出した。
次の日も行った。
その次も。
暇だっただけかもしれない。
でも、あの『所長』には、どこか気になるところがあった。
今思うと、二人とも内向的で、頭がイカれてて、
何かから逃げてここに来ていた。
なによりも、あの夢。
でもそのときは、何も知らなかった。
ただ、昼間の膨大な時間を使うのに、
都合のいい場所を見つけただけだと思っていた。