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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年7月

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2016.7.4 月曜日 図書室 高谷修平

 図書室。

 修平は、カウンターでTASCHEN出版の『ホッパー』を見ている伊藤百合に近づくと、甘栗の袋をそっと目の前に置いた。伊藤は不審者を見る目とともに顔を上げた。

「何?」

「食べる?」

 修平はまた椅子をカウンターの前に持ってきて座り、親しみのこもった笑みを浮かべた。

「俺昨日誕生日だったんだけどさ〜」

「だから?」

「サキとヨギナミが2人でこれプレゼントって」

 修平は甘栗の袋をつついた。

「ひどくない?」

「もらえるだけありがたいと思えば?」

「いや、でもさあ〜」

「たぶんめんどくさいからてきとうに目についたものを手に取ったんでしょうね」

「……はっきり言われると傷つくんだけど」

「それより、図書委員の仕事する気ある?」

 伊藤が修平の顔をのぞきこんだ。挑発的な顔だ。

「もちろん!何すんの?棚の整理?」

「いいえ、もっと大事な仕事があります。やる気は?」

「あるよ〜もちろん!」

 修平はカウンターに両手をついて身を乗り出した。伊藤はカウンターの下をごそごそと探り、一枚のメモを取り出した。

「これ、杉浦の住所」

「はい?」

「本が10冊以上、もう何ヶ月も返却されていません。回収してきてください」

 伊藤は言いながら意地悪くにやけた。修平は顔をしかめた。

「大丈夫。スギママは私達の味方です。増え続ける本にうんざりしているから、喜んで中に入れてくれます。問題は、杉浦本人が家にいた場合です」

「いた場合、どうなんの?」

「間違いなく戦闘になります。がんばってください」

 伊藤が『図書委員のスマイル』を浮かべた。

「えぇ〜俺やだよそういう乱暴なの。伊藤が行けば?俺がカウンターで留守番してるからさあ」

「図書委員になりたいんでしょ?」

 伊藤がメモを修平の顔面に突き出した。修平はしかたなくそれを受け取った。

「あ、これはもらっておくね。めったに食べれないから」

 伊藤は甘栗の袋を素早くカウンターの下に隠した。修平は少し笑ってから、図書室を出た。

 メモの住所は駅の近くだ。かなり歩かねばならない。

『平岸さんに車を出してもらった方が良いのではないですか?』

 新道先生が尋ねた。

「いや、いいよ。歩く。これからに備えて体力つけたいし。にしてもさあ、伊藤って、こういう用事押しつけたくて、図書委員にしてやるって言ったのかなあ」

 修平は内心がっかりしていた。スマコンに『図書委員になるのは、伊藤の中に入るようなもの』と言われて、少々期待しすぎていたのだ。どうやら、彼女の『中に入る』のは容易ではなさそうだ。


 修平がメモの住所に到着したときには、日が暮れかけていた。少々歩き過ぎたと感じながら番地を確認して、おかしいなと思った。メモには『秋倉町駅前通り7番地』と書いてあって、今まさに同じ番地表示の前にいるのだが、そこには『秋倉幼稚園』という文字の入った門があって、奥には子供が遊ぶであろう広場と、四角い建物があった。折り紙で作った花や虫が窓に貼り付けてある。

「伊藤、住所間違って書いてんじゃないよね?」

 修平がつぶやいたとき、建物から女性が出てきた。真っ直ぐに長いブロンズの髪に、ピンク色のエプロンをつけている。

「あっ!」

 女性は修平を見るなり、笑いながら駆け寄ってきた。

「もしかして図書委員さん?伊藤さんが言ってた人?」

「あ!はい!」

 修平は慌てて返事をした。

「図書委員の高谷修平です!」

「よかった〜!ささ!涼くんが帰って来る前に中へ」

 女性はまわりの様子をうかがいながら、修平を建物の中へ、さらに奥の、木の板でできた古い通路に案内した。

「ここがお家につながっているの。あ、忘れてた!私、杉浦の母です。スギママって呼んでね?」

 振り返って笑った顔が若いので、修平は驚いた。20代にしか見えないが、息子が高校2年なのだから、30代にはなっているはずだ。

「若いですね」

「あらやだ〜。これでもこの幼稚園の園長なんですよぉ」

 話し方も見た目通り子供っぽかった。

「ほら見てよ、あの本棚」

 見るまでもなかった。通路を半分過ぎたあたりから、両側の壁が本棚になっていて、びっしりと古い色あせた本が詰まっていた。さらに、床にも本がたくさん積まれていて、大量の本が溢れるように入っているダンボールが所狭しと並んでいた。

「な、何だこりゃ」

 修平は変な声で叫んだ。

「毎日増えるのよぉ〜、もうやんなっちゃう〜」

 スギママが甘ったるい声で文句を言った。

「借りた本と言わず、欲しいのは好きなだけ持ってっちゃっていいから!」

 修平は家の、おそらく居間だったであろう部屋に通されたが、ここも本と本棚で壁どころか窓も半分塞がれている有様だった。

「なんか、俺、めっちゃ圧迫されてる感じがするんですけど……」

 修平は顔色が悪かった。

「でしょ〜?暗いもの〜、本だらけだもの〜、しかも古いのばっかでしょ〜?せめてもっと新しくておもしろい本にしてくれればいいのに〜、私が買った本はみんなくだらないってケチをつけるのよ〜?それで自分は明治時代の本ばかり探してるのよ〜」

『修平君、あの本棚を見てください』

 新道先生が現れて、窓の反対側の本棚の上段を手で示した。修平はそこへ行ってみた。他の古本よりさらに古い、所々劣化した本が並んでいる。

『これはすごい。明治時代の文豪の本棚を再現したかのようだ』

「明治?」

『私も詳しく知っているわけではありませんが、おそらく、憧れの作家たちが読んだであろう当時の本を集めたものですよ。これは……すごいな』

「へ〜」

「どうしたの?ひとり言?」

 スギママが不思議な目で修平を見た。

「あ、いや、すみません。この棚が明治時代なんで呆れてたところです。それより、図書室の本を取り返したいんですけど。10冊ほど」

「8冊は探しておいた!」

 スギママが、テーブルの下から次々と、背表紙に図書室のラベルがついた本を取り出した。

「でも、残りが見つからないのよ〜」

「探しましょう」

 修平は疲れを感じながらも、部屋にある本の背表紙を点検し始めた。居間、キッチン、廊下、二階へ続く階段……どこもかしこも、本に埋まっていた。

「先生、この家どう思う?」

 本をよけながら階段の踊り場に出た所で、修平は尋ねた。

『いやあ、うっかり昔を懐かしんでしまうな』

「昔?」

『橋本の家もこのような状態でした。もう少し小さい家でしたが』

「橋本の家?あ〜!そうか!古本屋だからか!」

『それにしても、普通の家でこれは異常ですね』

「異常っつーか異様だよこれ」

 修平は階段にしゃがみこんだ。

「俺、本自体は嫌いじゃないけど、なんかさ、ここの本はものすごく重たい感じがする。息が詰まるっていうか。何なんだろう?単に暗いせい?古いから?」

『時代の重みかもしれません。修平君、まずいことになった』

「何?」

『下から杉浦君の声が聞こえませんか?』

「げっ」

 修平は慌てて階段を駆け上った。急ぎすぎて、段に積んであった本がいくつか崩れた。下から杉浦とスギママが言い合いをしている声がする。階段を上ってくる足音も。修平は2階の部屋の明かりをつけ、念入りに見回してみたが、やはり本しかなかった。他の家具はことごとく本の山に埋もれてしまっている。

 一体ここは何なんだ?

 どうやって暮らしてるんだ?こんな部屋で。

「高谷君!ここで何をしているのかね!?」

 杉浦が来てしまった。

「おー来たか!よーし!本返せ本!」

 修平は開き直ることにした。ケンカをする自信はなかった。口先で丸め込むしかない。

「何を言っているのかな?君に本を借りた覚えはないんだが」

「あれ〜?知らないの?俺、図書委員なんだけど」

 修平はわざと軽い口調で言った。杉浦が奇妙な顔をした。

「伊藤が言ってたぞ。10冊返してないのがあるだろ?今すぐ出せよ」

「君、本当に図書委員になったのかね?」

「そうだけど何?」

「あの伊藤さんが、認めるとは思えないんだが」

「ところが認めるんだなこれが!」

 修平は嬉しくなってきた。伊藤に認められることはどうやら、このクラスではすごいことらしい!

「ほら、ここの住所のメモ。伊藤がこれを俺に渡して、本を回収してこいって言ったんだって」

 修平はメモを杉浦に見せた。

「言っとくけどな、俺はずっと入院してて、その間ずっと古典ばっか読んでたから、居間にある本が明治時代の文豪が読んだ本だってわかるぞ。あんな貴重なものを持ってるやつが、学校の本を粗末に扱うんじゃねえよ。残りの2冊はどこに行った?出せよ」

 修平は出来るだけ怖い目で杉浦をにらみつけた。杉浦はしばらく動きを止めて、目を細めて修平を見つめていた。

「何?どうした?いいから早く本を出せ……」

「素晴らしい!!」

 杉浦が急に目を輝かせながら、修平の両肩をつかんだ。

「な、何だよ!何すんだよ!?」

「あの本棚の価値を見抜いたのは君が初めてだ!」

 杉浦は歓喜の叫び声をあげた。

「残念ながら、全て当時のものを揃えることはできなかったが、あれらの本はまさしく、文豪たちの精神の軌跡を辿るために集めたものだ。しかし、秋倉高の生徒は知能が低くて、そういった精神性を理解しない。『こころ』すら途中で挫折するような有様だ」

「あ〜」

 修平は気まずくなってきた。

「いや、あの、『こころ』は俺もあんま面白くないと思ったんだけど、あ、いや、その」

 杉浦が急に真顔になったので、修平は慌ててつけ足した。

「で、でも、先生が『手紙から先に読みなさい。自分宛ての大事な知らせだと思って読んでみなさい』って言うから、手紙だけ先に読んだんだよね。そしたら意味わかってきた」

「ほう」

 杉浦はあごに手を当てた。

「なるほど、その手があったか。よろしい。さっそく佐加と奈良崎に勧めてみよう」

「いや、あの2人はやめたほうが……いや、そんな話はどうでもいいんだよ。本返せよ本!じゃないと伊藤が来るぞ!ここに!」

 一緒に来てみたいものだと思ったが、杉浦は『それはまずい』とつぶやいて、本に埋もれているベッドの下から、本を2冊取り出した。

「なんでそんなとこに隠してんだよ?そんなに好きな本なら買えよ自分で」

「あいにく絶版になっていてね」

 修平はこれ以上杉浦と話したくなかったので、本を受け取ってすぐ1階に戻った。スギママが残りの本を2つに分けて、紙袋に入れておいてくれた。

「重いわよぉ。大丈夫?」

「大丈夫大丈夫!図書委員ですから!」

 修平は愛想笑いをしながら2つの紙袋を持って、幼稚園の外に出た。そして、少し離れた所まで歩いて、すぐに地面にしゃがみこんだ。

「やべえ……本の重さを想定してなかった!」

『修平君』

 新道先生が現れて苦笑いした。

『今日、君は長い距離を歩いて、十分がんばりました。もう平岸さんの車を呼んでもいいでしょう』

「あ〜腹立つ!!でもそうだよな〜!これ持って何キロも歩くの無理だ。あ〜!!」

 修平は苛立ちを叫んで表現しながら、平岸家に電話をかけた。




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