2016.7.3 日曜日 研究所
朝からカッパが『今日俺の誕生日!誕生日!』ってうるさいんですよ。プレゼントが欲しいという欲が見え見えで何もあげる気がしません。まるでバレンタインデーのバカピョンのようです。でも平岸ママに『何か、千円くらいのものでいいから買ってあげて』と言われてしまいました。あとで駅前のセコマに行きます。
早紀が来るなりこう言った。久方は苦笑いしながらカウンターの席を勧めた。
ところで、所長の誕生日はいつですか?
正直に6月14日だと答えた。
えっ?
もう過ぎちゃったじゃないですか!
なんでもっと早く言わないんですか!?
自分でも忘れてたんだよと答えた。
本当は覚えていた。特別祝う気がなかっただけだ。
自分が生まれた日は、呪いが始まった日だ。
何を祝うことがあろう。
逆に忌まわしい。
お祓いをしたいくらいだ、効果はないが。
あの日サキ君は、修二が僕のことを覚えてるって教えてくれたじゃない。すごく嬉しかった。あの日は幸せだったな。だからそれで十分だよ。
久方はそう答えた。誕生日の話はここで終わりたかったのだが、早紀が今日祝おうとうるさい。
カッパの義理チョコみたいなのもどうせ買いに行こうと思っていたんです。一緒に駅前のセコマに行きましょう。あれ?嫌ですか?じゃあ、ヨギナミがいるレストランに行きましょう!散歩ついでに。
あまり行きたくなかったが断れなかった。雨の予報が出ていたので、助手に車を出してもらおうと思ったが、狙ったようにクライスレリアーナを弾き始めた。自分を追い出そうとしているとしか思えない。
早紀はちらっと天井を見て残念そうな顔をした。きっと助手も一緒に連れて行きたかったのだろう。
草原は雲に覆われて薄暗い。風もある。これから何か不穏なことが起きる前触れではないかと久方は思った。早紀はまた、
草原を一人で歩くの、怖くないですか。
と尋ねてきた。なぜそんなことを聞くのだろう?都会の人ごみのほうが怖いに決まっているではないか。何をするかわからない人間が何千も何万も何十万も、自分のことばかり考えてうようよしているのだから。
レストランまでの道はけっこう長い。途中で早紀が、
この辺本当に何もないですね。草と山が見えるだけで。
ヨギナミさん、こんな道をいつも一人で歩いてるんですかね?危ないと思うんですけど。
と言った。久方は景色を眺める方に意識が向いていて、それに答えるのを忘れてしまったが、残りの道でずっとそのことを考えていた。確かにおかしい。親もまわりの人間も、そこに気づかないのだろうか。気づいて放置しているのだろうか。
1時間ほど歩くと、やっとレストランの建物が見えてきた。レンガ色の外観に、遠くから見えるよう高い位置についたシンボルマーク。入り口に立っている手書きのメニュー表には『冷やしラーメン、冷製パスタ』の文字があり、赤いチョークで花柄に囲われている。入り口の横には『トイレあります』の文字。このあたりは店がないから、ここで休憩するドライバーも多いのだろう。
いらっしゃいませ〜。
あれ?サキ?えっと……。
ヨギナミが久方を見て戸惑った。きっと『別人』かどうか考えているのだろう。久方はそれを不快に思ったが、愛想笑いに徹した。
あ、所長ですね?
2名様、こちらにどうぞ〜。
ヨギナミは営業スマイルを浮かべながら、2人を窓際の席に案内し、水とメニューを運んで来た。それから、決まったら席のブザーを押して下さいと言って、いったんいなくなった。
久しぶりにレストランに来たせいか、早紀はメニューを見ながらはしゃいでいた。わあ、ステーキ!あっ!ガトーショコラ!というふうに。何が面白いのか久方には全く理解できなかったが、楽しそうな早紀を見るのは悪くない。何が目的でここに来たのか、2人とも忘れかけていた。
う〜ん、マルゲリータとカルボナーラ両方頼んじゃダメですかね?でもこの『からあげの山』ってすごくないですか?これ頼む人どれくらいいるの?
早紀はヨギナミを見た。富士山状に大盛りになった唐揚げの写真を指差しながら。ヨギナミは『親子が多いかな』とテーブルを拭きながら言った。ちょうど、子供を2人連れた夫婦が入ってきた。男の子は小学生、女の子は幼稚園くらいに見える。
早紀はしばらく、その4人をじっと観察していた。久方はメニューを見るふりをしながらもそれが気になっていた。時々、ヨギナミもちらちらとこちらを見ている。自分のバイト先に同級生が男(一応自分も男に入っていると久方は思いたかった)を連れてきたら、誰だって気になるだろう。久方はメニューに目をもどした。洋風を装おった、油まみれの日本風メニューが並んでいる。正直言って、シーザーサラダ以外食べたいものが見当たらない。せめてサンドイッチはないかと探してみたが、ごはんをパンに変更できるだけだった。
あっ、すみません。所長の誕生日を祝いに来たんでした!おごりますから、好きなもの頼んでください。あ、でも、ケーキは強制しますね。誕生日ですから!
早紀はにっこり笑いながら、ショートケーキを指差した。
久方は困った。メニューをいたずらにめくって悩んでいると、ヨギナミが近づいてきて、
今月のおすすめは夏野菜の冷製パスタですよ。
と言った。久方はそれを頼むことにした。早紀はマルゲリータと、唐揚げの小皿を頼んでいた。
ヨギナミが注文を取って去ったあと、早紀はまた親子連れの方をちらちらと見ながら、
所長、神戸のご両親と一緒に外食したことはありますか?
と尋ねてきた。
あるよ、何度も。
私、母と一緒に外食したことがないんですよ。バカとか、劇団の人とはよく行ってましたけど。なぜか母はそういうことをしたがらないんです。なぜでしょうね。
なぜと言われても。忙しいのではないかと言ったら、
そうですよね。でも、ドラマとか、仕事の打ち上げとかには出て、楽しそうな画像を送ってくるんです。なぜなんでしょうね。あ、こんな暗い話やめましょう。
女の子が水の入ったコップをひっくり返した。ヨギナミがふきんを持って飛んできた。年配のウェイトレスも近づいてきて、子供の濡れた服を拭いた。母親は機嫌が悪そうだった。父親は何も起きなかったかのように黙って食べ続けていた。小さな男の子も、父親のコピーのように同じ態度だった。あの親子は上手く行っていないなと、久方は思った。
ところでサキ君、今日って本当は高谷君の誕生日でしょう?プレゼント買わなくていいの?
家族のことを考えるのが嫌になってきた久方がそう言うと、早紀は大げさに頭に手を当てて、『あ〜!!』と大声を出した。父親と男の子が揃ってこちらを見た。久方が笑いかけると、2人とも前に向き直った。
忘れてましたそうですそうでした!!あ〜めんどくさい!でも、平岸ママに買ってこいって言われちゃったんですよね。さっきのからあげの山とかどうですかね。え?からあげのテイクアウトは小箱?もうそれでいいかなあ。
いくらなんでもてきとうすぎるよサキ君。セコマでお菓子を買ったほうがまだいいよ。
でもここからまた駅まで歩くんですか?
何キロあるんですか?
早紀はスマホで駅までの距離を調べ始めた。しかし、出て来た数字を見て、スマホケースをパタンと音を立てて閉じた。
ダメです。無理です。
カッパのためにこんな距離歩けません。
早紀は立ち上がり、レジの隣にあるお土産のコーヒーやお菓子を物色し始めた。そのうちヨギナミが近づいていって、二人で高谷修平のプレゼントを選び始めた。自由だな、と久方は2人を見て思った。いや、若いのか。久方は2人の女の子を眺めながら、高谷修平が言った『早紀に取りついている女の子』の話を思い出した。その子が出てきたら、早紀は自由ではなくなってしまう。自分のように、もう一人の存在に苦しめられる。
そうなってほしくない。
しかし、どうしたらいいのだろう。
久方が思い悩んでいる間に、早紀とヨギナミは焼き栗を選んでいた。一袋千円くらいのおみやげ用だ。ヨギナミが早紀に500円玉を渡していたのが気になった。戻って来た早紀によると、
2人で連名のプレゼントにしました。1人500円です。
カッパにはこれで十分です。
久方は急に、高谷修平に深い深い哀れみを感じた。本当なら彼がここでお祝いされるべきなのだ。今日は彼の誕生日なのだから。自分も何か買ってやろうかとすら考えたが、それを理由にまた研究所に来られても困るので、やめた。
食事している間、早紀は口数が少なかった。冷製パスタは予想よりも美味だった。久方は夢に出てくる女の子の話をした。解明のために努力しているところを少しは見せたかったからだ。でも、今の所わかっているのは、小さい頃に『高谷修二に会った』ことと、『女の子と一緒に歩いていたのは創成川沿いではないか』と、札幌に行った時に不意に思ったことくらいだった。
高谷君から何か聞いてる?彼の幽霊のこととか。
尋ねると、早紀はぼそぼそと、別人の高校時代の友達で、高校の先生になった人らしいと言った。それから、
でも私、所長のこと、あまり学校で噂してほしくないんですよね。
早紀は身を乗り出して小声で言ってから、ヨギナミの方をちらっと見た。ヨギナミは新しい客を案内していて、こちらの会話は聞いていないようだ。
だけど、佐加とヨギナミは知りたくてたまらない。修平もそれを利用して所長のことを探っている、そんな感じがします。気をつけた方が良いかもしれません。あ、でも、私と一緒にここに来ちゃったから、また噂になるかもしれませんね。
早紀はちょっと目元を歪めて、ごまかすように笑った。とても親しみを感じさせる態度で、久方は噂の心配をしつつ、安らいでいた。しかし店内は客が増え、先程の夫婦もぎすぎすした会話を始め、あちこちでうるさい声や音が立ち始めた。
そろそろ帰ろうか。
久方が立ち上がると、早紀はすかさず伝票をつかんでレジに走って行った。そうしないと先に払われてしまうと思ったようだ。久方にはそんな気はなかったのだが。
支払いの時、早紀はクレジットカードを使っていた。おそらく親のものだろう。かなり甘やかされている。でもなぜ早紀の母親は、娘と一緒に外食したがらないのだろう?
母とバカに、マルゲリータの写真を送っておきました。
帰り道で早紀が歩きながら言った。
どうですかねえ。娘が男の人と一緒に食事してたら、親は少しは反応するものじゃないですかねえ。平岸パパなんて、こないだ結城さんと車に乗っただけで『間違いがあっては困る』みたいなこと言ってましたよ?
それは本当に困る。久方は思わず、
サキ君。こないだみたいなことがあっても、結城と2人きりで車に乗るのはやめたほうがいい。僕はあの日、自分のことで手一杯で忘れていたけど、確かに危ないことだったんだよ。僕に何かあっても、危険なことはしないでほしい。
と言った。実際、久方は、早紀があの助手と二人で車に乗っているのを思い出しただけで、助けを求めるんじゃなかったと、激しい後悔に苛まれたのだから。
しかし、早紀は立ち止まり、振り返った。顔から表情が消えていた。
所長も、結城さんのこと危ない人だと思ってます?
ああ、これ以上言うと怒り出しそうだ。久方は『そうじゃない』と言いながら早紀を追い越して草原の道を進んだ。雨がぽつぽつと降り出している。急いで帰ったほうが良さそうだ。
小雨の中を、ほとんど話さずに研究所に戻ると、助手はソファーでテレビを見ていた。2人を見るなり、
また雨の中外うろついてたの?何で?バカなの?
と言った。久方も早紀も雨に濡れて、服が重くなっていた。助手はさんざん嫌味を言いながらも、タオルを持ってきて2人に投げ、ポット君にコーヒーを持ってこいと命じた。ポット君は嫌そうな顔を表示しながらも、2人分のコーヒーを運んできた。
早紀はコーヒーを飲みながら、ソファーでふんぞり返っている助手をちらちらと見ていた。顔が上気していて、いつもより女らしく見える。コーヒーの熱のせいだと思いたかったが、たぶん違う。
いや、いいんだ。
久方は自分のコーヒーに目をやりながら思った。
今日、サキ君と一緒に食事したのは僕なんだから。
わざわざ僕の誕生日を祝ってくれたんだから。
他の誰でもない『久方創』の誕生を。




