2016.7.1 金曜日 サキの日記
結城さんと車に乗った。2人きりで何時間も。信じられない。でも、喜べるような状況ではなかった。札幌の病院に行っていた所長が、帰り道で体調を崩して助けを求めて来たからだった。
私はそれを知らずに研究所に行った。建物には誰もいなくて、ポット君に聞いてもデカケタヨーと言うだけ。畑の方に行ってみたら、結城さんが水まきをしているところだった。ホースを持って。なんだか似合いませんねと言ったら水をかけられそうになった。
最近暑かったから、植物も疲れてんだろうな。
結城さんが所長みたいなことをつぶやいた。所長に会ってから、私は自然を見る目が少し変わったけど、結城さんはどうかと聞いてみた。
久方のあれは病気だぞ?
やれ雨が降った、雪が降ったっていちいち感動して立ち止まってる。あいつは絶対都会では暮らせないな。
でも所長、神戸にいたんですよね?それに、結城さんも札幌の人ですよね?都会の中では自然が多い街じゃないですか?公園とか。
何言ってんだ。札幌の奴は全道からバカにされてるんだぞ。自然の本当の厳しさを知らないって。
普通に話せるようになってきて嬉しかった。そういえば、外で、日差しの下で結城さんを見ていると、自然の中では浮いて見える。すごく目立つのだ。髪が金色だからではなく、全身が、雑に切り取って貼り付けたコピー画像みたいに、まわりと合わない。すぐに風景の一部になれてしまう所長とは真逆だ。
水やりを終えて研究所に戻ろうとした時、結城さんがスマホを見て険しい表情をした。それが、所長からの、助けを求めるLINEだった(この2人がLINEやってるの初めて聞いた。いや、私以外の全ての人が普通に使ってるか。再開しようかな、でもまだ怖い)
結城さんは建物横の駐車場に直行し、私もついていった。『お前は帰れ』と3回くらい言われたけど、私はなぜか、帰る気がしなかった。結城さんは本当に嫌そうな顔をしながらも、私を助手席に乗せてくれた。車の中は空気が蒸していて、ファブリーズの匂いがした。途中一回だけサービスエリアに寄ったけど、トイレに行っただけですぐに出発した。週末のせいか車が多く、高速にしては動きが鈍い。
あいつが素直に助けを求めてくるのは珍しいんだよ。
いつもは黙ってぶっ倒れて町の人に発見されるか、俺に発見されて怒られるとか。
何なんだよって。あんなに困ってんのに、一人で生きていけると思ってんだからな。
結城さんはたまにそういうことをひとり言のようにしゃべった。
すぐ隣りにいる。
体の熱が感じられるくらい近くにいる。
私はそのことしか考えられなかった。時計を見て、平岸家に連絡したほうが良さそうだと思ったが、何を言われるかわからないのであかねに事情を送った。
それ、あんたが行く必要あるのかわからないんだけど。
まあ、いいわ、パパとママには伝えとく。
男の人と2人きりで車に乗りました、なんて言ったら、あの夫婦は怒るかもしれないと思った。実際『危ないよ』と帰ってから言われた。私だっていつもならそんなことしない。でも今はこうするのが正しいと思った。何故かはわからないけど、体が勝手に動いたのだ。
所長は、創成川沿いの公園にいた。意味のわからない芸術的な石みたいなのの近くに立って、植木をじっと見つめていた。いつもの白衣ではなく、灰色のパーカーを着て、黒いショルダーバッグを持っていた。秋倉にいる時よりもさらに小さく、子供っぽく見えた。
何か思い出せるんじゃないかと思って。
私達が近づくと、所長がつぶやいた。
このあたりだと思ったんだけど、
こんな公園じゃなかった。
違う川なのかな。
何の話かすぐにわかった。あの夢の話だ。
夢の中で、女の子と、小さな男の子が歩いていた場所だ。
川沿いの、真っ直ぐなフェンス。
私はあたりを見回してみた。そこは真っ直ぐな道と言えなくもないが、整備され、植木などで整えられた人工的な公園で、シンプルな川沿いの道とは言い難かった。
で?何かわかったの?
結城さんが尋ねると、所長は首を横に振った。
帰り、所長はずっと無言だった。途中で結城さんが『腹減った』と言い出して、サービスエリアで夕食をおごってもらったんだけど、所長は何も食べようとはせず、私達が食事している間、ずっとテーブルを見つめたまま虚ろな目をしていた。結城さんがラーメン好きだということを今日聞いた。でも、太るから普段は食べないようにしているそうだ。
帰ってから平岸パパと面談になった。やっぱり『男の人と車に乗るのはどうか』というお説教が始まった。別にやましいことは起きてませんよと私は言った。
でも、やめた方がいいよ。大人だって間違えることはあるんだからね。車が必要なときは俺を呼ぶか、町のタクシーを使いなさい。女性の運転手が一人いるんだよ。いつもはお年寄りをスーパーまで送り迎えしたり、デイサービスに運んだりしてる人なんだけどね。
平岸パパはきっと、結城さんの話をしたくなかったのだろう。町で唯一の女性タクシードライバーの話を始めた。名前は宇海愛美さん。50代、はきはきしていて客とのおしゃべりが好きな人だという。私はぼんやり聞いていた。長く車に乗ったせいで疲れていた。
アパートに戻る前、平岸ママに、
サキちゃん、実は、所長さんか結城さんと深いお付き合いがあったりしない?
と探りを入れてきた。私はわからないと答えた。実際、前からよくわからないと思っていた。所長と私は何なのか、結城さんは何者なのか。
とにかく今日は疲れてしまった。もう寝る。




