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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年6月

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2016.6.25 土曜日 サキの日記

 雨の音で目が覚めた。頭痛は治まっていた。きのう私は学校で倒れたらしい。でも、よく覚えていない。平岸パパが診療所に連れて行ってくれたけど、医者は、特に悪い所はなさそうだと言った。ただ、夜はずっと頭痛がして何もできなかった。

 朝食のとき、みんなに大丈夫か大丈夫かと過剰に心配されてうっとおしいと思ったけど、『友達が教室で倒れてた』なんて聞いたら私だって心配する。しかたないと思った。


 小雨の中、傘をさして研究所に行った。昨日倒れたことは所長には話さないことにした。また心配されて、帰って休んだほうがいいとか言われるのは嫌だった。

 所長は部屋にはいなかった。結城さんがCDを何枚かテーブルに並べて、ピアノ曲を聴いていた。


 たまには他人の演奏も聴かないとさあ。


 結城さんはCDプレーヤーを見つめたまま、言い訳のようにつぶやいた。


 保坂に教えてて気づいた。あいついろんなピアニストの演奏を参考にしてるらしくて、俺も知らないような名前をやたらに口に出すんだよ。先生としてはあせるじゃない?

 それにしても見てよこれ。なんで久方、こんなにクラシックのCDを大量に持ってんの?おかげで買ったり探したりする手間が省けたけどさあ、何なんだよこれ、どんだけ好きなんだって。


 結城さんが示したのは、いつも表に出ているJPOPや歌曲、交響曲が入っている棚の裏側だ。そこにはクラシックのCDだけか、3列くらいびっしりと並んでいた。ぱっと見では、ピアノとチェロが多かった。私もこの棚は初めて見た。


 結城さんがピアノをうるさく弾きまくるから、ピアノのCD出すの嫌になったんじゃないですか?


 と私は言った。そしたら、


 あ〜、それはありうる。

 もうピアノなんて聴きたくね〜、みたいな?


 と言って、結城さんが私に笑いかけた。こんなの初めてだ。顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。こんなことは畠山に会った時以来だ。

 畠山。






















 どうした?いきなり止まっちゃって。


 という声で我に返った。

 いけない、またまずいことを思い出して心が止まった。

 もういじめのことは忘れようとしていたのに。

 

 そう、あれはいじめでしかなかった。

 恋でも愛でもなかった。



 もっと元気な曲ないですか?


 と私は言ってみた。言葉を出すことで、結城さんと話すことで、過去を逃れたかった。


 元気?いや〜、ここにあるかな。

 リリー・クラウスのモーツァルトにしてみるか。


 結城さんが厚いCDケースを棚から取り出した。全集のようだ。演奏が始まると、独特の軽やかさが部屋を包んだ。


 やっぱモーツァルトはこの人がいいな。

 

 結城さんはスピーカーの前で音に耳を傾けていた。


 ところで、所長はどこに行ったんですか?


 畑にいるよ。


 しばらく見ていたけど、結城さんはスピーカー前から動かない。やっぱり、ピアノが好きすぎてピアノのことしか考えられないピアニストなんだろうか?なら、なぜ、こんな所で所長の世話なんかしてるんだろう。

 

 あれ?サキ君来てたんだ。

 あ〜!また人の物を勝手に!


 所長は、戻るやいなやテーブルに駆け寄って、散らばっているCDケースを片付け始めた。結城さんは反応しなかった。リリー・クラウスの音に取りつかれてしまっているみたいだ。


 サキ君、コーヒーはキッチンで飲もう。


 私たちは一緒にキッチンに移動し、また結城さんの噂話をした。保坂がピアノを習いに来るようになったせいか、結城さんは最近ますますピアノの練習に熱を入れ始め、


 ここの仕事全然してないんだよ?

 給料返せって言いたいよ。

 しかも毎日うるさいし。


 所長は不満だらけのようだ。掃除はポット君にさせてみたが、なぜか、どうしてもモップを床に置き忘れる。作った人に問い合わせたら、誰かの真似をしているんじゃないかと言われたそうだ。


 きっとあいつだ。時々掃除するふりしてサボってる。


 と所長は言ったが、それが本当かどうかはわからない。こないだ幽霊が出た時にモップを振り回していたから、それも影響してるのかもしれないし。

 また上からピアノが鳴り出した。さっき聴いていたリリー・クラウスと同じ曲だ。弾き方を似せているようにも聴こえたけど、何かが少し違った。


 あいつ一体、何を目指してるんだろうなあ。


 所長が天井を見上げながらつぶやいた。たぶん、弾くのが楽しいだけ、上手くなりたいだけなんじゃないか。

 私はスピーカーの前でリリー・クラウスをじっと聞いている結城さんの姿を、夜までずっと何度も思い出しては、あれくらい打ち込めるものが自分にないのを残念に思った。文章は好きだけど、何かが違うような気がする。



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