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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年6月

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2016.6.16 木曜日 サキの日記

 昨日研究所に行ったら、所長も結城さんもいなかった。ポット君が『コーヒーイル?』と近づいてきたので、所長のことを尋ねたら『ハレタヒハサンポダヨ』と答えた。前よりしゃべれる仕様になっているみたいだった。

 高谷のことは仕方なく修平と名前で呼ぶことにした。向こうがサキーねえサキってばーと学校でうるさく言ったせいで、みんなに『何が起きたのか』と聞かれてうっかり『名前で呼ぶことにしただけ』と答えてしまったせいだ。なんでそんなこと言っちゃったのかわからない。あ〜!私のバカバカ!!


 今日、研究所への林の道を歩いたら、もうピアノの音が聴こえていた。いつもと違うのは、玄関の前に保坂が立っていたことだ。しばらく見ていたけど全然動かないので、何をしてるの?と聞いてみた。


 このピアノすげえな。誰が弾いてんの?


 私はここの助手だと答えた。


 え?あの金髪の人?へ〜!


 そうつぶやいたきり、保坂はやはり動かずに曲に聴き入っているようだった。ほっとくのもどうかと思ったので、中に誘った。

 所長は保坂を見て、一瞬ビクッと体を震わせた。たぶん幽霊のせいだ。無理もない。私はこの時になって、ヨギナミの母親と保坂の父親と所長の幽霊の微妙な関係を思い出し、保坂を中に入れたことを後悔し始めた。遅いけど。


 ピアノが気になるなら、2階に行きなよ。


 所長は保坂に突き放すような口調でそう言った。保坂は言われたとおりに階段を上っていった。


 なんで保坂くんを連れてきたの!?


 所長が珍しく怒っているようだったので、玄関に立っていたから声をかけただけ、と言い訳した。所長は、自分とヨギナミの母親のことを探りに来たのではないかと心配していた。

 コーヒーを頼もうとしていたら、ピアノの音が急に止まった。

 それから、ぎこちない、聞いたことのない曲が聴こえてきた。


 これはあいつの演奏じゃないな。音でわかる。


 所長が天井を見上げながらつぶやいた。私もそう思った。保坂だ。確か作曲をやっていて、スマコンが政治批判ソングを歌うときはピアノで伴奏もしていたはずだ。

 シンプルで簡単そうだけど、けっこういい曲が何曲か流れた。そのあと、階段を降りてくる足音がしたので廊下に出てみると、保坂がこちらに歩いてきて、所長に、


 これから結城さんにピアノを習いに来ます!

 毎週木曜日に!

 どうぞよろしくお願いします!


 と言いながら勢いよく頭を下げ、相手がショックを受けていることには全く気づかずに出ていった。

 所長は数秒固まったあと、2階に駆け上がっていった。あとを追ったら、結城さんの声が聞こえてきた。


 いや、すっげぇ真剣だったからなんとなく断りにくくてさあ。この町にはいい先生もいないみたいだし。


 何言ってんの?相手が誰だかわかってる!?


 所長はかなり慌てていた。


 また変な噂になっちゃうじゃないか!!


 所長は文句を言い続けた。だけど、結城さんはしばらくそれを黙って聞いてから、


 お前な、この町に住み続けたいなら、町の人と少しは仲良くしろよ。別人のほうがよほど上手くやってるだろうが。それが嫌なら引っ越すんだな。昨日も言っただろ、もうここからは出たほうがいいってよ。


 結城さんはかなり不機嫌な低い声でそう言って所長を怖い目で睨むと、ピアノ演奏を再開した。それも以前の、乱暴な弾き方で『月光』の第3楽章を。


 私たちは仕方なく1階に戻った。


 そうなんだ。昨日あいつは引っ越す引っ越すってうるさく言ってたんだよ?

 なのに、今日はピアノ教室?訳がわからないよ。


 コーヒーを飲み始めたとき、所長がそんなことを言った。引っ越しですか?なぜ?と聞いたら、


 それは……あの人がここに来たから。


 あの人。


 また来るんじゃないかって。


 母親?


 そう。


 私だったらその時点で姿をくらましますね。

 二度と会いたくないなら。



 そう言ったら、所長の動きが止まった。



 所長、どうして玄関の鍵をかけないんですか?

 そんなことがあったのに。



 答えは何も帰ってこない。



 本当は、お母さんに会いたかったりします?






 パソコンがフリーズしたみたいだった。何を言っても、所長が動かない。反応がない。顔も無表情のまま凍りついてしまっていた。

 私はしゃべるのをやめた。もしかしたら、一番言ってはいけないことを口にしてしまったのかもしれないと思った。

 ピアノの音はいつのまにかなくなっていて、急に雨が降り出し、雨粒が窓に当たる音がうるさく響いてきた。

 所長は別世界から戻ってきたかのように急に動き出し、窓に近寄って外を見た。


 これはひどくなりそうだ。

 サキ君、帰ったほうがいいよ。

 傘は玄関にあるのを使って。


 私は黙って言うとおりにした。でも、私が余計な質問をした時の所長の様子が、しばらく頭にこびりついて離れなかった。


 所長、母親に会いたいんだろうか?

 自分の存在を無視した人に。


 それは、とても危ないことのような気がする。きっと初島という人は、またあの建物に現れるに違いない。なぜか、それは確実なことのように感じる。

 その人は、所長ではなく、幽霊を望んでいる。

 怖い。

 何が起きるんだろう?

 所長はどうなってしまうのだろう。




 


 


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