2016.6.10 金曜日 放課後の教室 高谷修平
当番の第2グループが掃除を終えて帰ったのを確認してから、高谷修平、佐加美月、新橋早紀の三人が教室に残った。ヨギナミはバイトがあるので残れず、佐加があとで会話の内容を伝えておくと言った。修平は、浮かない顔で席についた新橋と、好奇心で飛び跳ねそうな佐加を交互に見てから『ここに伊藤もいればいいのに』と思った。本当は図書室で集まりたかったのだが、中間試験が近いため、先輩たちで座席が埋まっていた。仕方がない。
「新橋さんは初めて聞く話が多いかもしれない」
修平は新橋を見た。なんとなくぼんやりしているように見えた。
「久方に取りついている『おっさん』、こいつの名前は橋本旭。1980年に亡くなった高校生。生まれつき髪の色が薄くて、染めてるやつが全くいなかった当時は『赤毛』と言われてまわりから目をつけられていた。まわりとはけっこう揉めていたらしい。学校も出席日数ギリギリまで休んで、ほとんどの時間を、廃ビルの最上階に勝手に侵入して過ごしていた。ここまでは佐加には話したよね?」
「うん!聞いた!」
佐加が元気よく返事をした。新橋は少々目元をゆがめて佐加を見た。
「それと、俺の『先生』が、今も後ろにいるんだけど、見えてないよね?」
修平は控えめに言ってみた。佐加と新橋は同時に『見えない』と答えた。『先生』は何かを遠慮して、今日は姿を見せていなかった。だが、修平には近くにいるのがわかる。
「だろうね〜。その先生は新道隆という名前で、橋本の友達。大人になってから高校の現代文の教師になって……」
神崎奈々子の担任だった。
新橋五月も教わっている。
修平はそう言いたくてたまらなかったのだが、新橋早紀の顔色を見てためらった。そもそも、修平にこの町の存在を教えたのは早紀の父である新橋五月なのだが、それを知られたらますます嫌われそうな気がした。
『奈々子さん』の話はまだやめておこうと修平は決めた。
「所長のお母さんなんでしょ?二人の幽霊を呼んだの」
佐加が言い、新橋がまた佐加の方を見て表情を歪めた。さっきから何かが気に入らないようだ。なんだろう?修平は不思議に思った。佐加が元気すぎるせいか、いつものように自分をウザいと思っているのか、久方が心配なのか。
「そう、そのお母さんは初島緑という名前で、二人とは高校の友人同士。この初島って女のやることが、俺もちょっと信じがたいんだけど」
「所長に赤毛の幽霊を押しつけて、存在を無視し続けた」
新橋がやっと口を開いたが、声が異様に冷たかった。修平と佐加は少しの間、驚いて声が出なかった。
「とにかくさ〜」
佐加が話し始めた。
「二人の幽霊が、その女に勝手に呼び出されて、成仏できなくて困ってるんだよね?なんとかできないかなって思ったんだけど。お祓いとか効かなかったんだっけ?」
「祓うほど悪霊じゃないんだよね、先生の場合」
「いい人なんだ?」
佐加が笑いながら言った。修平も微笑んだ。
「いい先生だよ。でも久方の幽霊はそうじゃない……え?何?」
修平はいきなり後ろを向いて、誰もいない壁に向かって話し始めた。
「あ、ごめん。先生が『橋本は悪い奴じゃない』って言ったから」
修平が正面に向き直ると、佐加がニヤッと笑った。しかし新橋は『てめぇ、ふざけんな』と今にも言いそうな顔をしていた。
「あのさ、新橋さん。何か言いたいことある?知ってることとか」
「あんた、なんで所長のことをこんなに調べてんの?」
新橋の口調はとてもきつかった。
「え?あれ?聞いてなかった?俺に取りついてる先生が、久方についてる奴の友達だって。原因は初島って女なんだ。そいつを見つけないと解決できないからだよ。頼むから怒らないでくれる?」
「別に怒ってません」
新橋は子供っぽい言い方をして横目を向いた。
「あ!思い出した!」
佐加が急に声を上げた。
「その初島って女さ〜!去年の夏に研究所に来たんだって!所長、ショックで倒れたらしいよ。その女見ただけでさ〜」
佐加は二人を交互に見て、真面目な顔になった。
「怖くね?そんな変な女がこの町に来たんだよ!この秋倉町に!所長の居場所、あっちはもう知ってるってことだよね?もしかしてまだおっさんのこと諦めてないんじゃね?だとしたら怖くね?また来るんじゃね?」
修平はなんと答えていいかわからなかった。ただ、これはチャンスだと思った。もし初島本人がまたこの町に現れれば、会って話ができるかもしれない。
「所長には会わせない」
新橋が強い声で言った。修平と佐加は思わず彼女を見た。
「そんな母親、来ても絶対に会わせない。研究所にも絶対に入れさせない」
決意したような言い方だった。修平はそれを聞いてぞっとした。異様な感じがしたからだ。まるで『所長は私のもの』と言っているようではないか。そういえば、前に研究所で会った時も、ひどく興奮して怒鳴っていた。
修平はその後、知っていることを(奈々子と新橋五月のこと以外)ほとんど全て二人に話したが、その間も、新橋はずっとムスッとした顔で黙っていて、佐加だけが一人で盛り上がっていた。
「よし!決まり!うちと早紀で研究所見張る!できる日だけだけどね〜!」
佐加が勝手にそう決めたとき、河合先生が教室に入って来て、
「おまえらもう帰れ。玄関閉めるぞ」
と言った。修平と新橋は平岸家まで一緒に歩いたが、新橋はずっと無言で、修平と目を合わせようとすらしなかった。修平は『もう少し仲良くしてくんないかなあ』と思いながら、早足の彼女についていった。




