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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年6月

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2016.6.8 水曜日 ヨギナミの家


 昔の話をされたくらいで怯えて引っ込んでしまうの?久方って人は。


 ヨギナミの家で、与儀あさみが、おっさんに向かってきつい口調で話していた。二人は向かい合って座り、隣では佐加が、好奇心いっぱいの顔で二人を交互に見ていた。


 「くらいで」って言うけどな、あいつは凄まじい体験をしてきたんだぞ。思い出しただけで発狂もののな。

 普通の奴と一緒にするな。


 おっさんが言うと、あさみは目を細めて笑った。


 言っておくけど、修羅場をくぐった回数で私に勝てるものはまずいないわよ。その私にも話せないようなこと?


 二人はしばらく何も言わずに、目だけで会話していた。佐加はこれから起こることに期待して興奮していた。なんだかすごい話が聞けそうだ。


 俺が悪いんだよ。


 おっさんが無表情でつぶやいた。



 俺が、初島の目の前で、ビルの窓から落ちて死んだ。

 それであいつは、頭がおかしくなった。


 

 初島。

 佐加は高谷修平に見せてもらったノートを思い出した。確か、所長の母親だと言っていなかったか。思わず身を乗り出した。


 ビルから落ちたの?


 あさみの表情が険しくなった。


 ああ、そうだよ。

 おかしくなった初島は、自分の息子を犠牲にして、俺を蘇らせようとした。でも、そんなこと、うまくいくわけないだろ?子供には子供本人の心や、魂がある。でもあいつは、それを認めなかった。

 どういうことかわかるか?母親に自分の全存在を否定されて、あいつはまともな子供時代を送れなかった。

 ……ああ。


 おっさんは深い深いため息をついて、手で顔を覆った。とても辛そうだったので、佐加は「お茶いれてくる」と言って席を立った。来たときに火にかけておいたやかんが音をたて始めていた。


 あいつは完全に狂ってた。

 俺がこうやって出てくると機嫌が良くなる。でも創のままだと、無視だ。息子なのに、自分の子供なのに。一言も話しかけない。存在が見えてないかのようにふるまう。近寄ると突き飛ばす……創は、表情のない、動こうとしない子供になっていた。生きているのに死んでいるような。

 それは全部俺のせいだ。


 その初島って女は今どこにいるの?


 あさみは尋ねてから、佐加が持ってきたお茶を飲もうとして、熱さに吹き出して顔をしかめた。佐加はすまなさそうな表情で肩をすくめた。


 毎日がそんな感じだ。地獄だぞ。創にとっても俺にとっても。こんなことは間違ってる。俺は気づいた。俺が出てこなければあいつは諦めるだろうと。だからストを始めた。どんなに懇願されても出てやらないことにした。辛かったよ。あいつが創を殴る蹴るするのをじっと見ていなくてはいけなかったからな。しかもそれを冷静に計算してやるからな、あいつは。

 そのうち、俺がどうあがいても出てこないとわかったのか、創を捨てていった。神戸にある倉庫に子供を閉じ込めて、置き去りにして姿を消した。危うくそこで死ぬところだったんだ。だから創は今でも、閉じ込められるのを恐れて、玄関に鍵をかけられない。

 そのあと運良く発見されて、神戸で優しい、かなり忍耐力のある里親に引き取られた。あいつはやっと人間性を取り戻した。

 でもな……。


 おっさんは口ごもり、視線を窓の方にそらせた。


 でも、何?



 去年の夏、初島が来たんだよ。あの廃屋に。



 佐加が驚いて飛び上がった。


 マジ?

 つまりその悪い女がこの町に来たってこと!?

 マジで!?うわ怖っ!!


 叫ぶ佐加に、あさみは手振りで「落ち着いて座れ」と命じた。佐加は大人しく座り、おっさんをじっと見た。


 創は初島を見た瞬間に、ショックで気を失った。

 初島は何もせずに帰っていった。

 おそらく、俺がまだ存在しているか確かめに来たんだ。



 おっさんはそこで話すのをやめた。あさみも佐加も何も言えなかった。

 外から風の音が聞こえてくる。そろそろ日も落ちて来る頃だ。佐加は室内が暗いことに気づき、電気をつけた。


 お前、帰らなくていいのか?バスは?


 おっさんが思い出したように尋ねた。


 今日自転車。でももう帰ったほうがいいかな。暗いし。


 おっさんは、途中まで送っていくと言った。あさみも、


 そのほうがいい。女の子だし。

 暗闇で何かあったら困るもの。


 と言って送り出した。


 ヨギママさ〜、あの優しさを自分の娘にも出せばいいのにね。ヨギナミのほうが危ないと思わね?毎日レストランまで歩いてんだよ?何もない道を一人でさ〜。


 歩きながら、佐加はずっとヨギナミの話をしていた。本当は先程聞いた話にいろいろ突っ込んでみたかったのだが、今はそうしないほうがいいような気がした。

 大きな通りに出て別れるとき、


 今日の話、早紀と高谷にも聞かしてやれ。


 おっさんが言った。


 え?いいの?怒らない?所長。


 佐加は一応聞いてみた。おっさんは目を伏せた。少し寂しそうに。


 いずれ突き止められることだ。

 あの二人は当事者だ。知る権利があるんだよ。

 じゃあな。

 寄り道すんなよ。真っ直ぐ家に帰れ。


 おっさんは言い終わらないうちに研究所への道を歩き始めた。佐加は、


 今のおやじくせ〜!


 と笑いながら、勢いよく自転車をこぎ出した。帰ったらすぐヨギナミに、今日聞いたことを知らせようと思いながら。


 




 

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