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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年6月

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2016.6.1 水曜日 研究所

 やや時期外れの寒気がやってきた。外は雨が降ったりやんだりしている。

 しかし、久方は気にせず外を歩いていた。朝6時に例のピアノ攻撃が始まったからだ。それに、雨の日は晴れた日とは違う自然の姿が見える。カタツムリやナメクジが現れ、葉についた雨粒はどんな宝石よりも美しい。ときおり日差しが雲間から覗くと、雨に清められた林や草原が一斉に輝きを放つ。

 こんな素晴らしい光景を見ずに、家にこもっている人の気持ちは、久方にはわからない。


 いつも通り自然に溶け込んでいた『所長』だが、気になっていることもあった。


 サキ君の様子が変だ。

 しかも、あのピアノ狂いのせいで。間違いない。


 昨日早紀が来たとき、やたらに助手のことを聞かれた。『結城さん』と早紀が発音するときの独特の響き、ピアノの音を聞きながら天井を見上げるときの目つきや表情、あらゆるところに、それまでになかった色を感じる。それが久方を不安にさせた。

 もしかして。

 でも、確信があるわけではない。

 いや、確信したくない、と言ったほうがいい。


 そんなことになったら大変だ。


 考え込みながら研究所に戻ると、助手はテレビの前にいた。


 借りた金ちゃんと返したの?


 久方が呼びかけると、助手は顔だけ振り向いて、


 そもそも借りてないって言ってるだろ?

 あのなあ、電話番号を聞き出すための嘘なんだって。

 簡単に引っかかってるんじゃねえって。


 そこまでして連絡を取りたがる友達って何者?と久方は尋ねてみた。何か良からぬことに関わっているのではないかと思ったからだ。賭け事、ススキノ、女、この助手の性格と態度の悪さから言って、どこで何をしていても不思議ではない。


 昔の仲間だよ。音楽の。

 高谷修二って知ってる?


 助手が何気なく言った。久方がピクッと揺れた。



 あれ、修二なの?フェザーザップの高谷修二?



 久方の顔が急に喜びに輝いたので、助手は驚いた。


 なんだ、そうならそうと言ってくれればよかったのに。名乗らないんだもの。お前の友達だって言われたから反射で悪い人だと思っちゃったじゃないか!

 僕、修二に会ったことあるんだよ!はっきりとは覚えてないけど小さい頃に……。


 一気に話してから、久方は真顔で言葉を止めた


 どうした?


 助手はテレビを消し、ソファーから立ち上がった。



 

 もしかして、神戸に来る前から、僕のこと知ってた?




 久方の表情に不安が走った。助手は腕を組んで彼を見据えた。


 修二から何か聞いてたの?僕のこと。


 久方は怯えた顔をしていた。助手はあえて馬鹿にしたような笑い顔を作り、変な息を吹いてから、


 何も聞いてない。そもそも何年も会ってない。

 あいつは落ち目でも有名人だぞ?お前に会ったことがあるとしても、いちいち覚えてないだろ?今はともかく、昔はファンが日本中にいたんだぞ。


 そう言った。そして部屋を出ていった。

 久方はしばらくその場に立っていたが、また天井からピアノの音が聞こえてきたので、ため息とともにカウンター席に座った。


 絶対、会ったことはあるんだ。


 久方は心の中でつぶやいた。電話に残っている着信履歴を見てかけてみようかと思った。『僕のこと覚えてますか』と聞いてみたかった。しかし、今の久方にはそんな勇気はなかった。はっきりとは思い出せないからだ。

 しかしなぜ、よりによってあの高谷修二と、性悪な助手が友達なのだろう。本当に何も知らずに自分に近づいたのか?久方は怪しいと思っていた。

 ピアノはなかなか鳴り止まない。出かける用意をしながら『サキ君のことを聞き忘れた』と思ったが、あの助手に何を聞いてもはぐらかされてまともな答えは返ってこないだろうと思い、またため息をついて、外に出ていった。


 もし、助手と早紀が付き合うようになったら。


 そんなことは考えたくなかった。今のままがいい。

 早紀には今まで通り、何も気にせずに、

 自分に、『久方創』に会いに来てほしい。

 

 でも、人は変わっていく。


 

 そもそも、自分がこんな目にあっているのは誰のせいなのだ。いや、ある程度は、自分で選んだことだとわかっている。だけど。



 自分が『あいつ』であることを選んだんだ。



 久方は草原の真ん中で立ち止まった。自分が今思った言葉が信じられなかった。

 そんなはずはない。

 あんなものにつきまとわれることを選ぶわけがない。

 しかし、一度浮かんだ言葉は、予想以上に強い力を持って久方の頭の中に居座った。



 自分からあいつであることを望んだんだ。

 そうしなければ、見捨てられる。




 どういうことだ?


 久方は草原をやみくもに歩き回った。また雨が降り出していたが、雨粒を気にせずに進み続けた。一度浮かんだ思想にとりつかれたように、久方は同じ道をぐるぐるぐるぐると回り続けた。しかし、何も良いことは浮かばない。

 

 何も変わってほしくなかった。

 でも、何もかも変わっていく。

 

 それが、自然というものだ。





 暗くなった頃、助手は、玄関でぐったりと倒れている『所長』を発見し『こんな天気の日に外に出るなよ、バカじゃないのか』と文句を発しながら彼を部屋のベッドまで運んだ。それから、


 お前のせいで疑われてんだけど、どうしてくれんのよ?


 と、高谷修二に抗議のメッセージを送った。


 正直に話さないお前が悪い。


 という返事がすぐに来て、助手は舌打ちをした。




 


 

 

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