2016.5.29 日曜日 松井カフェ 第3グループ
「ハンバーグランチをお願いします」
松井カフェで新橋早紀がそう言ったとき、修平は『ガキくせ〜』と思ったが、これ以上嫌われたくないので口に出さず、自分はカレーライスを注文した。それからすぐ、自分も大して変わらないなと思った。
「ハムサンドとコーヒー。コーヒーはすぐに持ってきて欲しいんですけど」
平岸あかねは今日、不気味なほど機嫌が良い。ニコニコしながら店内を見回している。きっと良からぬ妄想を抱いているに違いない。
「ちょっと手伝ってくれる?」
松井マスターが孫に声をかけた。高条勇気はカウンターに入ってコーヒーをいれ、平岸の前に持ってきた。慣れているらしく、特に嫌がったり照れたりする様子もない。修平はそこに感心した。自分だったら、同級生の女の子に『コーヒー持ってこい』と言われて、たとえ仕事だとしても素直にできるか疑問だと思った。なんとなく気まずくなり、皮肉か冗談を口から発してしまうに違いない。
「カフェの美少年に猫にコーヒー……ウフフフフ」
平岸がコーヒーカップを手につぶやいた。来た!と思った修平が新橋に笑いかけたが、新橋は空中を見ながらぼんやりしている。
おかしい。
いつもなら、平岸の妄想にはすぐに反応するのに。
「新橋さん、大丈夫?」
「ん〜、昨日の夜眠れなくて、夜中にうっかりコーヒーを飲んじゃって」
「なんで眠れないのにコーヒー飲むのよ?余計眠れなくなるに決まってるじゃないの」
平岸はコーヒーカップを掲げ、
「早紀のぶんはデカフェにして。ハーブティーでもいいから」
と、勝手に注文を変えた。それでも新橋は反応せず、ぼんやりしている。
修平は新橋のまわりをじっと観察した。また『奈々子さん』が出てくるのではないかと警戒していた。
今のところは、何も見えない。
「うちがコーヒーを出すとして、平岸ん家では何作るの?」
席に戻った勇気が尋ねた。
「ママは見た目が派手なデコデコのケーキを作りたいの」
平岸が、軽蔑の混じった声を発した。
「それでみんなに『まあ!すごくきれいなケーキね!あなたが作ったの?』って褒められたいだけなの。バカバカしい。そんなもん作られたら、売る方のあたしたちが大変じゃない。崩さないようにそ~っと運んでくださいねぇ、とか?超めんどくさい」
平岸はガチャッという音を立ててコーヒーカップを置き、カウンターの松井マスターがちらりとこちらを見た。
「私も、持ち運べるクッキーのほうが良くないですか、って言ったんだけど」
新橋がやっと口を開いたが、まだ表情はぼんやりしている。
「コーヒーにクッキーだけかよ。学校祭で客が来るのにさあ」
修平は言いながら思った。そもそも学校祭って何をするものだっけ、そういえば、自分は『お祭り』というものをそもそも経験したことがない。マンガやテレビで見たイメージをなんとなく持っているだけだ。
「いいじゃないの。第2グループでホンナラ組がたこ焼き作るでしょ?スマコンは言われなくても勝手に占いを始めるでしょ?杉浦は絶対『文学的ななんとか』を始めるし。祭りはあのバカグループどもに任せておけばいいのよ」
平岸は辛辣だ。よほど学校祭が嫌いなのだろう。
「それにあんたたち、忘れてるんじゃない?秋倉高校には3年生がいるのよ。先輩たちだって露店を出すんだから、食べ物で戦ったって売れ残ったらどうすんのよ。ここのコーヒーだけでいいじゃない。香りだけで、休憩したいおばあさま方が寄って来るんだから」
平岸は一気に喋ると急に立ち上がり、クッキーコーナーを見物し始めた。席に残った3人は黙っていた。確かに先輩たちの存在は忘れていた。でもそれは、3人とも転校生で、学校のことをあまり知らないせいだ。
「あのさあ」
修平はふと気になって尋ねてみた。
「第1と第2って昔からグループだったんだよね。俺ら来る前って、平岸は一人……」
「あたしは単独行動が好きなの!」
間髪入れずにきつい口調を返された。修平は軽く身を引いた。勇気はごまかすように『コーヒーおかわりしたい人いる?』と聞いてきた。修平は黙って手を上げた。新橋はあいかわらず反応しない。
平岸はメープルクッキーを手に取り、『これください』と言いながらカウンターに代金を置いた。レジの『スマホ決済』というシールを指さし、
「へー、現金だけじゃないんだ」
とわざとくさい口調と上目遣いで言った。松井マスターは慣れているのか特に気にする様子もなく、
「最近は、トラックの運転手たちもスマホで払いたがるのよね。時代よねえ」
と言って微笑んだ。上品な人だな、と修平は思った。
修平はまた新橋の様子を見た。やはりぼんやりと、どこだかわからない所を見ていた。窓辺でねこが微かに鳴き声を上げると、やっと反応して窓の方を向いた。
その後も学校祭の話は進まず、平岸は親の悪口を言い続けた。松井マスターは苦笑いしながら、
「うちの娘の反抗期を思い出すわあ」
と、孫の近くに来た時に小声でつぶやいた。
「お前のママ、反抗期あんなんだったの?へー」
修平がからかうと、勇気はケッ、と口を歪めて笑い、
「今もあんな感じだけど」
と言った。
新橋は窓を見たまま微動だにしないので、修平は気になって声をかけてみた。
「新橋さん、今日も久方のとこ行くの?」
久方の名前を出せば何か言うだろうと思ったのだが、
「今日は行かない」
と、表情に似合わないはっきりした口調で答えた。
あの建物で何かあったんだろうか?
修平は思った。このままはっきりしない状態が続いたら、もう一度会いに行って問いただしてみよう。
久方創と、あの幽霊に。




