2016.5.22 日曜日 研究所
暑い日になった。今年の最高気温を更新した場所も多いと天気予報が報じた。
久方は早朝に起きて散歩していた。ちょうど日が昇るのを見ながら草原を歩いたことになる。北海道は今時期、自然の緑が美しくなる。朝日に照らされた草原と林、山の様子は、神々しいほどだ。
しばし光や、それを反射してきらめく草、時折それを引き立てるように吹く風に我を忘れていた。
しかし帰り道には、昨日までの暗い気分が戻り始めていた。よりによって佐加たちと早紀が一緒にいた。そして、昨日早紀は来なかった。佐加たちは一体何を話したのか。
早紀は昼頃にやってきた。サンドイッチが入ったバスケットを抱えて。
ヨギナミの家で雪かきを手伝ったりしていたそうですが、覚えてますか?
うっすらと記憶にあるような気がするよ、と答えた。気が付いたら日付が変わっていて、体がものすごく疲れて重いのに、何をしていたのか全く覚えていなかったことが、冬の間に何度かあったと。
それは大変ですね。知らないうちに肉体労働させられてたようなものですね。
まさにその通りだ。
久方はこの話題をやめてほしかったのだが、早紀は気になって仕方がないらしい。佐加たちも余計なことを話したらしく、
たまに別な方のほうが、ヨギナミのお母さんに会いに行っているそうですが。
一番嫌な話になった。『それは僕じゃないんだよ』と言ったが、早紀はなんだかつまらなさそうな顔をした。一体何を期待していたのだろう?
おい、裏の割れ目に汚い猫がいたぞ。
助手が廊下を通りながら叫び、そのまま二階に上がっていった。そのあとすぐに、ピアノの音が始まった。
またラヴェルだ。しかも夜のガスパールを最初から引き始めた。
これは、邪悪なスカルボまで走り切るパターンだ!早めに外に逃げよう!
久方は(話題を変えたかったのもあって)出かけようとコートに飛びついて手早く着た。
早紀に声をかけようとしたとき、久方は隣にいる誰かを見て叫びそうになった。
ぼんやりした目で天井を見上げている早紀。
その隣に、紺色のブレザーを着た、髪の長い女の子が立っていた。早紀と同じように天井を見上げている。
久方は、その子を知っていた。
あの夢で、いつも小さな自分を連れて逃げている子だ。
声を出そうとして、喉がひきつった。
久方の頭の中で、一瞬にして、
あらゆる記憶とできごとが繋がった。
恐ろしい連想が浮かんだ。
そうに違いない。
でも、そんなことありえない。
信じたくない。
今見ているものを信じたくない!
サキ君!
久方は、彼らしくない大声で叫んでいた。
早紀がビクッと体を震わせて驚いて久方を見た。
その瞬間、隣の女の子は消えた。
ごめん、でも、いくら呼んでも気づかないから。
久方は穏やかな声を作って話しかけた。早紀が泣いているのに気がついた。
あれ?私、なんで泣いてるんでしょうね?
早紀が手の甲で涙を拭いながら言った。
この曲、前に聴いたことがあるような気がするんですけど、どこで聴いたか思い出せないなあと思って。
早紀がまた天井を見始めた。邪悪なピアノが聞こえ続けている。
かま猫を見に行こう。
久方は無理やり笑顔を作り、早紀を外に連れ出した。
さっきのは見なかったことにしよう。
そうだ、きっと何かの間違いに違いない。
そうであってほしい。




