2016.4.30 土曜日 サキの日記
朝、平岸家に向かう途中、雪が日光の中を舞っていてすごくきれいだった。四月も今日で終わりなのねえと平岸ママが言った。朝食は名古屋風の小倉トーストだった。私たちが食べ始める前に平岸ママは出かけて行った。
食器洗うの手伝ってくれない?
平岸パパに頼まれたので手伝った。あかねと高谷はもういなかった。平岸ママはどこに行ったんですかと聞いたら、友達のところに小倉トーストを押し付けに行ったと言う。
久方君は最近様子どう?
こないだ会った時は元気でしたと答え、あの素晴らしく天気の良かった日や、所長が好きな大木の話をした。
山のあたりは本当に人もいなくて道もないから、一人で行くのは危ないんだよなあ。熊だって出るし他の動物もいろいろ持ってるし。一度言っといたほうがいいかなあ。
平岸パパはお皿をゆすぎながらひとり言のようにぼやいた。
言われたことを所長に伝えようかどうか迷いながら、雨と雪のにおいが混じる道を歩いた。研究所に行くと助手がテレビを見ていて、
今日は食いもんないの?
と、私が何も持っていないのを見て残念そうにしていた。所長は早朝から出かけてしまっていないと。雪に誘われて出て行ってしまったのだろうか。
新橋さんだっけ?久方を何だと思ってる?いや、責めてるわけでも説教でもなくて、女子高生があの久方に興味持つの何でかなって。
言い方が嫌味だし女子高生っていうのが嫌だったけど、私も所長を何だと思ってるのかよくわかりませんと正直に答えた。あえて言えば本と自然の話をする友達ですかね、と言ったら鼻で笑われたっぽい。客がいるのにテレビの前のソファーから一歩も動かない。
ここで何の仕事をしてるんですか?
あいつの監視。
所長ってここで何してるんですか?
パソコンでできる仕事してるからどこに住んでもいいんだって。
今日はどこに行っちゃったんですかね。
知らねえよ。来る前にここにいるかどうか本人に聞いてから来たほうがいいよ。あいつ気まぐれに外をふらふら歩いて夜中まで帰ってこなかったりするから。
何を聞いてもテレビから目を離さない。つまらないしちょっと怖いので、研究所を出て、少し遠いけどカフェの方向に歩いて行った。天気はだんだん良くなってきたけど、やはり北国だ。明日から5月なのに寒い。
カフェにはあいかわらず『ねこ』がいて、かごの中のクッションで丸まっていた。高条がいなくてよかった。松井マスターに学校どう?とか、うちの孫と仲良くしてる?とか聞かれた。同じグループなんですと無難に答えておいた。でも、掃除当番以外で高条と一緒に何かをしたことはない。コーヒーを飲んでいる間、松井マスターが他の客と話すのを聞いていた。ゴールデンウィークが花見の時期で、桜が良く見える位置を二日あたりから確保する人がいるそうだ。平岸ママあたりが張り切りそうだなと思った。
帰りにもう一度所長を探そうかと思ったけど、やめて帰った。帰って正解だった。平岸ママが私を見るなり、
久方さんがあさみの家にいたの!
と叫ばれた。誰かに話したくってしょうがないと言う感じで。よく聞くと、あさみというのはヨギナミのお母さんの名前で、つまり所長は今日ヨギナミの家に朝からいたそうだ。小倉トーストを提供しにあさみ(学生時代からの友人らしい、知らなかった)の家に行ったら、そこに所長がいて、一緒に小倉トーストを食べてから帰ったと。
あんな早朝にねえ。あさみに聞いたら『よく来るのよ』ってうれしそうに言うんだもの。でもねえ~。
平岸ママは困った顔でテーブルに頬杖をついた。
あさみはねえ、どうにも変わっていると言うか、昔から不安定なところがあるのよ。だから私、奈美ちゃんのことも心配なの。でもねえ、よりによって久方さんがねえ。
私も平岸ママの向かいで同じ顔で同じポーズになっていた。あの所長が、同級生のお母さんと仲良し。
ただの親切で様子見に行ってるだけじゃないですか?
そんな感じじゃなかったのよ、何ていうの、目が合うと、そうなのよ。
そうなのよって何ですか?
何ていうの?ほら、二人の世界よ!
え~……。
私は、たとえば、うちの妙子が所長とつきあっていたらどう感じるかを想像しようとしてみた。何も浮かんでこなかった。だってあり得ない。これは所長に起きたことにしては生々しすぎるような気がする。いや、所長だって生身の人間だし、男だけど。そういえば、私、所長に男を意識したことが一度もない。なぜだろう。
二人でため息をついていたら、平岸パパが帰ってきた。
高谷君は友達とジンギスカン食べ過ぎたから夕飯いらないって。
と言って、ママと私を見てどうしたのと聞いた。平岸ママは手早く今日見たことを説明し、あかねには言わないほうがいい、またあちこちに言いふらすからと言ってから、私を軽くにらんだ。誰にも言いませんよと私は言ったが、所長には『ヨギナミのお母さんと仲が良いんですか?』とメールした。返事はまだない。




