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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年4月

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2016.4.23 土曜日 サキの日記 


 部屋にいてもいつもと明るさが違うと、窓からの光や部屋の空気でわかる。

 今日は素晴らしい天気、いや、天じゃなくて地上の気かもしれない。日光もほどよい、風も気持ちいい。春にしても出来すぎな空気感。さっきから今日の雰囲気(いや、雰囲気って言葉がもう合ってない!)をどう文章にしたらいいか考えてたんだけどまるでいいのが浮かばない。平岸家の三人全員と高谷が『いい天気ですね~』と感心したように言っていた。会話ならそれだけで通じる。全員が、実際にその素晴らしい空気の中にいるから、説明しなくてもお互いに何を言っているか体感でわかるのだ。

 とにかく今日の天気も空気も、ただの晴れた日とは別物。そのせいなのかは知らないけど、平岸ママがはりきって花の形の野菜に彩られた鶏ご飯を私に持たせ、私は素晴らしい空気と日光の中に鶏ごはんの匂いをまき散らしながら研究所に向かった。でも所長はいなかった。当り前だ。こんな絶好の外出日和に、あの自然好きが外に出ないはずがない。助手が来て『久方はたぶん山に行ったからしばらく帰ってこないと思う』と言った。


 それ何?食っていいの?


 鶏ご飯の包みを植えた目で見つめられた。幸いちゃんと三人分あったので、所長の分は食べないでくださいねと言ってテーブルに置いた。助手は自分の分だけ嬉しそうに取り出すと、そのまま私に挨拶もせずに二階に行ってしまった。客と話す気はなさそうだ。見た感じ30代くらいで、やせていて、そこそこかっこいい見た目と言えなくもない。

 外に出たくなったが、一人で草原をうろついて、こんな美しい日に遭難するのもどうかと思って『研究所』と呼ばれているこの建物を外から観察してみた。町の人は所長が来るまではここを廃墟と呼んでいたそうだ。もともと白かったのであろう壁は、上の階にいくほど灰色になっている。裏に回ると、少し飛び出ている部分(倉庫の入り口?)だけがものすごく茶色になっていて、植物のツタが大量にからみついていた。正面から裏にかけて太いパイプのようなものが走ってる。古くて、たぶん日光がない暗い人か夜に見たら怖いのかもしれないけど、今日は明るい空気のせいもあってか、普通の建物にしか見えなかった。それが草原の林の中にぽつんと建っていて、所長という変わった人が住むと、『研究所』と呼ばれるようになるのだ。

 裏の畑に出る。風にそよぐ木々も何もかもが心地よさそう。所長帰ってこないかなと山のほうを見て見たけれど、人影はない。どこまでも草原が続いていて、その向こうに山が見えるだけ。冬に教えてもらった大木の所に行ったのかもしれないと思ったけど、道をきちんと覚えていなかったので、一人でたどり着く自信がなかった。助手に聞いてみようと思って研究所に近づいたら、さわやかな空気を台無しにする弾き語りの歌声が聞こえてきた。曲が何かもわからないけど、それよりも歌がヘタすぎる。ふざけて叫んでいるようにしか聞こえない。まるで中学生男子、いや、小学生男子だ。

 今日という日が変な声で台無しにされそうだったので、早々に研究所を離れた。でも平岸家にもうるさいカッパがいるし、あかねは何かの締め切りが迫っていてせっかくの日に機嫌が悪いし、松井カフェまで歩こうかと思ったけど、あそこにも高条がいるんだった。

 ああ、匿名でくつろげる都会のカフェが今欲しい。どこに行っても知り合いがいるのが田舎だと、私は今日の今日まで忘れていた。というか、実感として知らなかった。

 帰り道風がひときわ強く吹いた。

 草が、木が、一斉に歓喜の声を上げたようだった。

 私は一瞬その中に飲まれ、動けなくなった。

 すぐに声は収まり、私は不思議な世界を一瞬見てしまったみたいに、不思議な気持ちで部屋に帰った。でも、部屋に戻ってからもしばらく、外で得た感覚はなかなか消えなかった。




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