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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年4月

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2016.4.16 土曜日 研究所 修平


 昼前、高谷修平は研究所と呼ばれている建物に向かい、入り口の急な階段を見て顔をしかめてから、ゆっくりとのぼっていった。体力がないので玄関にたどり着いたときは息が切れていた。インターホンを押すと、小柄で、白衣を着た男が出てきた。久方創だ。

「サキ君の同級生?何の用?」

「ちょっと聞きたいことがあるんです。中に入ってもいいですか?」

「ここで言ってくれない?」

「いいんですか、あなたの母親と橋本旭の話ですよ」

 修平が遠慮なく言うと、久方の顔が瞬時に真っ青になった。入り口のドアを閉めようといたが、修平は無理やり抑えた。久方は中に逃げていった。追いかけた。

『修平君』

 先生が出てきた。

『怯えているようだからもうやめたほうがいいよ』

「だめだよ、今聞かなきゃ永遠に聞けない」

 二階の部屋に久方はいた。しかし、さっきとは様子が違っていた。顔つきが険しい。

 修平が部屋に入ろうとすると、

『来るな!』

 久方創がきつい声で怒鳴った。いや、それはもう久方ではなかった。修平にははっきりと見えた。久方の体の隣に、もう一人の人影があるのを。

「橋本旭」

 修平は呆然とつぶやいた。間違いない、前に調べて顔写真を見たことがある。丸顔、日本人にはめずらしい赤茶色の髪、時代遅れの学ラン。

『なんで俺の名前を知ってる!?』

 久方の隣の『もう一人』が言った。修平は今、事の重大さを知った。久方創に会えば、あの女の息子に会えば、『先生』が自分についているのはなぜか、成仏させる方法はあるかわかるかと思っていたのに。まさか自分と同じ状態だったとは。

『橋本ですね。僕を覚えていますか』

 修平の『先生』が、固まっている生徒のかわりに質問した。

 久方の『もう一人』が先生を何秒か見て、泣きそうな顔をした。

『新道?』

『そうです。高校の同級生の新道隆です!』

『なんでお前そいつと一緒なんだ?どうなってる?』

『それが知りたくて修平君は、僕を連れてここに来たんですよ』

 自分の名前が聞こえて、修平は我に返った。そうだ、なぜこうなってるか知りたくて来たんだった。驚きすぎてついぼんやりしてしまった。

「俺が小さいころから、先生の、たぶん幽霊だと思うんだけど、一緒にいたんですよ。でも、どうしてなのかわからなかった。それで、先生の知り合いを調べたんです」

『僕は初島が怪しいと思った』

 先生が言った。

『だから、彼女がどうなったか調べたが行方不明だ。息子が神戸に養子に出されていて、久方という名前だと言うことだけ、修平君が突き止めた』

「だから、あなたに会えばどうしてこうなったかわかると思って……」

『知らねえよそんなことは』

『もう一人』が久方のほうを見た。そう、今や幽霊と久方本体は分離して見えていて、久方は気を失ってベッドに倒れこんでいた。

『これ以上は創の負担になる、もう帰ってくれ』

 先ほどとは違う穏やかな声で、もう一人、橋本が言った。

『あなたにも原因はわからないということですか?』

 先生が尋ねた。すると、橋本が先生をにらんだ。

『原因?お前の予想通りだよ。初島に決まってるだろ?息子に俺を押しつけて虐待していた。それで気づいた周りの人間に引き離された。接近禁止命令が出てる。でもまだしつこく会いに来るんだ。それだけわかったら十分だろう。俺だってとっとと成仏したいが方法はわからない。創に聞いたってパニックを起こすだけだ。いいか、絶対にもうここには来るなよ。これ以上創を追い詰めたくない』

『しかし……』

『いいからもう来るな!俺にはどうにもできないんだ!』

 ほとんど悲鳴のような怒鳴り声がした。修平は『先生』を連れて帰ることにした。せっかく手がかりが見つかるかと思ったのに、久方が未だにこんな状態だったとは。

 建物入り口の階段を降り切ったとき、修平は疲れとめまいで地面にしゃがみこんだ。

『大丈夫ですか?やはり無理をしたんじゃないですか?長く歩いて』

 先生は心配していた。

「違うよ。歩くのはもう平気」

 修平は頭をおさえながら言った。きっと先生は自分にまた迷惑をかけたと思っているだろう。そうじゃない。迷惑なのは初島だ。久方が何も知らないなんて信じられない。せっかく解決策が見つかると思っていたらこれだ。橋本の幽霊に会った衝撃。彼にも解決策がないと言う行き止まり感。それが今の修平を追い詰めていた。これからどうしたらよいか、全く分からなくなってしまった。

「ねえ、新橋さんはもうあいつのこと知ってると思う?」

『知らないでしょうし、言わないほうがいいです。わかりますか』

 先生が強い口調で言った。

『これは非常にプライベートな問題です。久方くんがここに来ることになったのは、あの状態では普通に暮らせないからでしょうね。橋本の言う通り、脅かすべきではない』

「そうか、そうだね」

 修平は立ち上がった、軽くめまいがしたが歩けないことはなさそうだ。ゆっくりとした足取りで平岸家まで帰り、ちょっと具合が悪いので昼飯いらないですと言った後、部屋に戻って死んだように眠った。この日、修平は目覚めなかった。



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