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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年3月

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2016.3.22 サキの日記


 松井カフェで見ちゃったの。ねこがイケメンに襲いかかるのを。動画録り忘れたのは残念だワ。美形がねこを振り払うために店内を走り回っているのを見てたら、作品の構想が浮かんだの。猫耳の美少年がカフェの青年に恋をして、嫉妬に駆られた飼い主にお仕置きされるのよ。でも、最後には美形の飼い主の毒牙にかかるのよね……ウフフフフ。


 翻訳:猫がイケメンを襲うのを見たから妄想してみたワ。


 朝ごはんを食べに平岸家に行ったら、おはようと言う間もなく妄想を語られた。


 男の子が来たらその話題は禁止だぞ。


 平岸パパが新聞から顔を出して呆れていた。


 朝からカフェな三角関係妄想を語られてゲッソリした私は、もう一匹の猫を見に研究所に向かった。窓の下の割れ目を覗いてみたが、姿は見えない。


 おはよう、サキ君。


 窓が開いて、所長が出てきた。かま猫がいないと言うと、


 さっきまで助手がうるさいピアノを弾いていたから、逃げちゃったんじゃない?


 朝6時に迷惑ピアノが発生したそうだ。助手は時間を気にせずに、弾きたいときにピアノを弾くくせがあって、所長は困っているそうだ。かま猫を見ていないか聞くと、


 きのうタラをあげたときには、いたよ。


 かま猫はキャットフードを食べない。何故かはわからない。サンマやサケは食べる。タラが好きらしい。なぜか鍋の白菜もなめる(でも食べはしない)生ゴミをあさって生きていたのだろうか。

 所長はかま猫のために毎日魚を調理してたそうだ。でも助手が『魚に飽きた』と言い出したので、今日は隣町のショッピングモールに食べに行くそうだ。


 あそこは人が多いから嫌いなんだけど、無理やり車に積まれるんだ、僕は。


 積まれちゃうんだ。

 昼頃まで一緒に、雪が溶け始めた林の中をブラブラ歩きした。フキノトウが出始めている。冬見かけなかった鳥が朝に鳴くのが聞こえるようになったそうだ。


 助手のピアノがなければ今時期からの朝は綺麗なんだけどなあ。


 所長が歩きながら呟いた。『朝が綺麗』って言う言い回しを初めて聞いたような気がする。

 でもそれは事実だ。

 窓から朝日が差し、鳥のさえずりが聞こえ、

 外に出れば、草木が芽生えはじめている。建物がないから、空も山も果てしなく広く、青い。

 林の出口、雪原/草原の手前で、所長は立ち止まって景色を眺めていた。私はかま猫がそのへんに隠れていないか探したが、見つからなかった。どこへ行ってしまったんだろう。

 所長は急に、180度回って、もと来た道を引き返し始めた。今日は遠くに行きたくないみたいだった。



 昼にいったん平岸家に戻ってから、秋倉高校に向かった。図書室が開いてると聞いていたし、あかねに百合疑惑を持たれてる『伝説の図書委員長』がどんな人か見てみたかったから。


 常識だから言わなくてもわかると思うけど、

 借りた本は返してネ。


 委員長は思っていたより地味で、予想より愛想が良かった。『どんなトリートメント使ってるんですか?染めたんですか?』と聞きたくなるほど、見事に真っ黒でつやっつやの髪をポニーテールにしてる。目が小さくて、美人ではないけど、優しそうでにこやかだ。あかねが『返却忘れると家に押しかけてきて怒鳴り散らす』と言っていたから、もっと怖い人を想像していたのに。ケリー・マクゴニカルやスーザン・ケイン、ブレネー・ブラウンも知っていて本も「自分で読んでから貸し出し可能にしたよ」と、カウンターの横を指差した。なぜか下の段に『1%の奇跡』『サイン』『マイ・スウィート・ソウル』その他韓国ドラマのDVDが入っていた。これも元私物?と聞いたら、


 新刊図書の予算にさりげなく入れて買っちゃった。


 と、ちょっとドヤ顔になってにやけた。

 委員長は強者だった。


 これねぇ、本当はThe Willpower Instinctって題名なのに、


 委員長が『スタンフォードの自分を変える教室』を取り出して題名を指し、それから数ページめくって英語のコピーライトを私に見せた。


 なのに日本版の題名に『スタンフォード』って入ってるでしょ?『そんな難しそうな本読めない』って言われちゃうのよねぇ。中身はそんな難しいことじゃなくて、つい誘惑に負けちゃう人か意思力を鍛えるにはって話なのに。

 たぶん日本人が学歴に弱いから、『東大生の何とか』みたいなノリで翻訳本にも大学名入れちゃうのかな。そのほうが売れるんだろうけど、私は大学名なんて求めてないから原題をそのまま題名にしてほしいんだよね。はぁ〜。


 委員長は、カウンターに頬杖ついてため息をついた。長年翻訳ものの題名に不満を持っていたらしく、他にも何冊か『原題と日本版の題が違う』本をいくつか教えてくれた。忘れちゃったけど、確かトマス・スタンリーが一冊混じっていたような気がする。

 図書室には男子の先輩が二人、テーブルを占拠して勉強していたが、こちらにはあまり関心がないようだった。私は一時間くらい本棚の間をうろつき、50年とか60年とか、はるか昔なのにすぐそこにあるような不思議な年代の作文のまとめや日誌(全て手書きのコピーで、紐でとめてある)をめくり、文学の棚でさんざん迷ったあと、幸田文を取り出してカウンターに戻った。委員長は丁寧に紙のカードを取り出して、いつのまにか作られていた私の名前のゴム印を捺し、カードとは別にメモ帳に返却期限を大きく書き、本に挟んで差し出した。この空間は、IDとか検索システムとは無縁なのだろう。

 私の変な視線に気づいたのか、


 これ、卒業式にあげるから。


 と、委員長が『新橋早紀』のはんこを持ち上げて笑った。

 なんだかすごく魅力的だ。



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