2016.3.12 研究所
何も考えずに眠るなんて、私には無理なんでスよ。
新橋早紀の、いつもよりは抑えめの低い声が、久方の耳元に響く。
寝ようと思って電気消して横になるじゃないでスか。そこからなんでスよ問題は。
暗いじゃないでスか。
でも、活動しなきゃいけない昼と違って安全な状態で視界から刺激が減るじゃないでスか。邪魔されずに自分の世界に入り浸ってしまえるんでス。だから眠れないんでス。もったいなくて。
早紀の言う安全な状態には縁がない。何をしていても別人に意識を奪われる可能性がある。眠っている間すら。それでも、言いたいことはわかる。安全に考えられる時間と機会が与えられていたら、眠らずに考えたい。色々なことを。今は生きているのが辛くて、すぐに眠ってしまいたいことのほうが多いのだが。
一瞬しか見えないこととか、感じ取れないことを大事にしていたいんでスよ。所長が空とか雲の中に毎日違うものを見ているのと同じで、私も見てまスよ。街中とか家の中とか、スケール小さいし、あんまりうまく言えないでスが。
自分は常に意識が曖昧で、景色に感動はしても、何かをちゃんと見ているかと言われると、急に自信がなくなる。
本当は、何も見えていないのではないかと。
所長。大事なのは、雲や街並みそのものではなくて、私たちがそこから何を感じたり得たりしたかでス。みんなそういうものを主観的だとかどうでもいいとか言うけど、私は大事にしたいんでスよ。みんなはまわりに追いつくために速足で道を通り抜けていくけど、雑草が花を咲かせていたら、ちゃんと気づいて立ち止まりたい。そういう人が一人か二人はいてもいいと思うンでス。
今日の早紀は、いつもよりさらに大人ぶっているように思えた。




