2016.3.2 研究所
昼間、久方は部屋にこもっていた。本当はいつもの窓辺にいたかったのだが、窓から蛮族・佐加美月や変態・平岸あかねが現れたらと思うと怖かった。早紀が月末に来るのに、こんなことに怯えていてはいけないとは思うのだが、今日はどうしても佐加に会いたくない。また別人のことを聞かれたら嫌だからだ。
しかも助手の話だと、別人はヨギナミの母親とかなり仲がよさそうだ。
眠ってたから運び出そうとしたら、怖い顔でコート投げつけられたぞ。
まるで俺は誘拐犯か泥棒猫扱いだ。あのおばさん、お前が寝てるうちにコートの臭いでも嗅いでたんじゃない?
助手は楽しそうに笑い、久方はコートを買い替えることにした。
どうしよう?
これ以上別人と与儀さんのママに仲良くされたら困る。
町の人から見たら、僕があの家に通ってるようにしか見えないじゃないか。
助手は『どうせガキだとしか思われてない』から、そんな心配はないと断言した。でも、久方はピアノ狂いがあてにならないことを知っている。今だって久方が疲れているのを知っているくせに、うるさいピアノを弾いている。しかも曲はメトネルの『悲劇的ソナタ』だ。嫌味すぎる。
カリカリカリ。
ドアから前に聞いたような音がした。
廊下に出ると、かま猫が、助手の部屋のドアを引っかいていた。
何してるの?
話しかけたら、かま猫は期待いっぱいの目で久方を見た。
『開けて』と瞳で訴えている。
久方はしばらくその様子を観察し、あきらめる気がないとわかると、口元だけで笑いながらドアを少し開け、かま猫が中に入っていくのを確認してから、部屋に戻った。
ピアノが止まり、助手が走り回る音が聞こえてきた。久方は壁に耳をあてて様子を伺った。
いいか、おまえは勘違いしてるぞ。
ドラマで銃を突きつけられた人のようなセリフが聞こえた。また走り回る音。
落ち着け、俺はお前の飼い主じゃない。
前の飼い主は引っ越して、もうこの町にいないんだ。
似た顔のメガネだからって俺を追いかけるのはやめキャアアアアア!!
誰に聞いてきたのだろう?松井カフェにでも行ったのだろうか。
久方はそんな話を初めて聞いた。どうして自分に教えてくれないのかと思うと不愉快だったが、久方はかま猫を引き取りに隣の部屋へ行った。助手は前の飼い主と同じくらい冷たい。しかも『やめろ!!来るな!お前は細菌の塊キャアアア』と言うくらい間抜けだ。猫の相手は無理だろう。
久方は怖がる助手の足からかま猫を引きはがし、そんなに菌が心配なら動物病院に連れて行こうと言ったが、『車に乗せる!?絶対嫌だあああ!』と叫ぶ助手に手こずっている間に、かま猫はどこかに行ってしまった。割れ目を見ても、いない。どこかへ行ってしまったようだ。
かま猫、帰ってくるかなあ。
夕方、久方は一階のテーブルで同じ質問を数十分おきにつぶやき続け、助手は『今度同じ質問をされたら殺してやる』と何度も思いながらテレビを見るはめになった。




