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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年2月

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2016.2.26 研究所


 昨日の午後、久方創はパソコンに向かって仕事をしていた。中身はWindowsだが、組み立てた友人のユーモアでオレンジのマークがつけられている。


 メールの返事は、いつになっても来ない。

 自分からまた出すのも、怖い。


 久方はその人物を、なるべく思い出さないようにしていた。

 正確には、毎日思い出して、毎日忘れようとしていた。

 今ごろどうしているだろう、同じようにパソコンかスマホに向かって、仕事をしたり動画を見たりしてるんだろうか、誰かとスカイプで談笑するとか?



 駄目だ、考えちゃ。



 思考をそらすように、窓に目を移した。外は雪、天井からは邪悪なピアノ演奏が聞こえる。今年は去年ほど荒れた天候にはならなかったが、それでも、風の音とベートーベンのコラボレーションはかなり不気味だ。演奏をやめろと言いたいのだが、この音源には絶対に近づきたくない。ポット君は既に助手に叩き出されて、今キッチンで待機している。

 朝、かま猫がいるかどうか下の割れ目を見たら、いるのは確認できたが、呼びかけても出てこない。ここ数日気温の低い日が続いているのに。心配だ。



 自分で弾いてて怖くないのかなあ。風の音にこの曲……。



 久方はたまに天井を見上げて呆れていた。助手のピアノは昼頃から続き、おさまる気配がない。

 よくもあんな、自分とは正反対の人間を探しだして来たものだ。結城を選んだ人間が自分を心配しているのはわかる。こんな自分には過ぎるほど世話になっている。でもこの選択だけは、いつも聡明なあの人も、判断を誤ったとしか思えない。




 いつまでこんなところで暮らすつもりだ?




 突然、頭の後ろで大きな声がした。

 よく知っている声だった。

 もう長い間、自分の一部のようにつきまとい続けている声。

 久方は無視することにした。

 もうこいつとは、関わり合いになりたくない。

 PCの画面に集中しようとしたが、全身が震え始めた。

 きっと寒さのせいだ。


 いや、そうではない。













 朝日で、久方は目が覚めた。

 いつも通りの朝だった。ベッドに横たわったまま、何が起きたか思い出そうとしているところに、ガラスが割れるような始まりのピアノが聴こえてきた。たぶんリストの超絶技巧練習曲だ。しかもたくさんある中から最も朝に相応しくないものを選んでいる。

 久方は着替えようとして、昨日着ていた服のまま寝ていたことに気がつき、そのまま廊下に飛び出して一階に走り降りた。


 柔らかい朝日が、カウンター窓に溢れている。

 雪は止んだようだ。




 俺は敵じゃない。

 頼むから信用してくれ。



 また声がした。

 久方はそれを無視してすぐにPCを立ち上げ、景色も見ず、コーヒーも飲まずに仕事を再開した。本当は昨日終わる予定だったのに。人の意識を勝手に奪って何が『信用してくれ』なのか。久方には全く理解できず、怒りしかわかなかった。話しかけられたところで聞く気になどなれない。今までどれだけ人の人生を破壊したと思っているのか。おかげで町の人にまで誤解されてしまっているし、前だって……と、考えれば考えるほど、過去の嫌な体験や気分ばかり思い出す。

 今日は嫌でもやることを作ったほうがいい。そう思った。

 とにかく、余計なことを考えるのを避けたかった。

作業の続きに着手したが、なかなか集中できない。1つ悪いことを思い出すと、それに刺激されて他のつらい記憶まで飛び出してくる。久方は立ち上がって部屋の中をうろうろと歩いた。仕事をしたいのに落ち着かない。

いつまで、こんなことが続くのか。



 カリカリカリ。



 考えが煮詰まった頃、どこからか、引っかくような音がした。窓に近づき、そーっと外を覗いたが、何も見えない。



 カリカリカリ。



 でも、まだ音はする。

 窓を開けて下を見ると、かま猫が外に出て、くっつくようにして爪で壁を引っかいていた……かと思うと、器用に壁をのぼって中に飛び込んできた。久方は驚いて飛び退いた。

 猫はそのまま、廊下に走っていった。久方は後を追ったが、見つからなかった。どこに隠れてしまったのだろう?



 寒かったのかな。

 まだ人が怖いのかな。

 何があったんだろう?



 席に戻って仕事を再開しようとしたとき、



 ウキャアアアアアア!!



 二階から悲鳴が聞こえ、ピアノが止んだ。

 走り回る足音。『来るな!近寄るな!野性動物にはウィルスキャアアアアア』という間抜けな叫び。ドサッという音と、振動。ヒィーという弱々しい声と、カサカサという音。



 久方は天井を見上げ、ニヤニヤと笑うと、席を立って二階へ向かった。

 まだなついてくれないが、あの猫とは気が合いそうだ。

 ポット君とも仲良くしてくれるだろう。



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