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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年2月

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2016.2.13 研究所


 懐かしい人物からメールが来た。



 久しぶり。何年行方不明しとんねん。



 神戸で隣に住んでいた駒だった。久方が唯一覚えている友人でもある。どうやら母にアドレスを押しつけられたらしい。さすがに『北海道に行ってもらう』は冗談だったようだ。



 久方社長にきのうおごってやるって言われて、どこ連れてかれたかわかる?



 すぐわかった。自分の家だ。自分で作ったありあわせのものを食わせるのだ。



 お前の部屋、まだそのまんま残ってた。

 なんで北海道に戻った?

 幽霊の故郷なんか戻ったら、なつかしくなって出てきてしまうやろ。

 せっかくいなくなった母ちゃんに見つかったらどうすんの?

 なんで戻った?



 長く会っていなかったのに、駒は正しく久方を理解していた。知らせていないはずの失敗までも。実際夏にあの恐ろしい『産みの母』が現れたが、自分ではなく別人を探しに来ただけだった。そのせいでパニックを起こして数日寝込んでいた。おかげで、せっかく出会った早紀ともしばらく会えなくなってしまった。


 全て自分が招いた失敗だ。


 急にそのことに気がついた。でも、すぐに頭の中で否定した。ここに来ることを決めたのは自分ではない。

 でも、断ることもできたはずだ。


 なぜ自分はここにいるのだろう?


 答えはあまりにも明白だった。

 でも、久方はそれを認めたくなかった。



 神戸に戻ったほうがいいよ。

 久方社長だって、ほんとは帰ってきてほしいんやと思うけど。

 きのうも、なんとなく、帰ってこんかなみたいな話してた。



 それはしばらく無理だよ。



 頭の中でつぶやいたが、自分でも何が無理なのかよくわからなかった。

 駒は自分を覚えていたのに自分は長い間忘れていた。なぜだろう?そのあとに起きたことが大きすぎたからか、神戸でも自分でいる時間があまりなかったのか。

 久方は昔を思い出そうとした。覚えていることはあった。隣からいつも駒が練習するチェロが聞こえてきたこと、二人でコンサートに行ったこと。でも、それ以外は、あまり思い出せなかった。でも駒は自分のことをよく知っている、つまり、かなり仲がよかったはずだ。なのに、隣に住んでいることすら忘れていた。あとで昔のことをもっと聞いてみたほうがいいかもしれない。



 歩きながら考えたかったので外に出た。今が一番寒い時期だが、今日はなぜか4月なみの暖かさで、空気は春のようだ。数日後にはまた寒くなるが、ここを乗り越えればあとは上がるだけだ。

 雪原は太陽を反射して輝いている。空の色のせいか、足跡は青みがかっている。誰が通ったのだろう?助手は朝から狂ったようにピアノを弾いているし(今日はかなり機嫌が悪そうだ)大きさや形から見ると佐加ではなさそうだ。見渡すと、足跡はまっすぐではなく、酔っぱらいのようにうねり、転んだようなへこみ跡もいくつか見える。



 もしかして……。



 久方はある人を思いだし、嫌な予感がしたので足跡を追ってみた。少し離れた道の向こうで、溝から足が生えてばたついているのが見えた。



 米田さん!?



 久方が慌てて駆け寄ると、それはあの老人、米田だった。2月らしくない暖かさで出てきてしまったのか、またパジャマと、明らかに季節に合っていないジャンパーを着ている。これは確か、現役の頃に仕事で着ていたものだ。前に次男がそう言っていた。近くに飛び落ちていた靴だけは季節相応だが、これもかなり年季が入っていそうだ。スパイクが片方にだけ残っている。



 米田を助け起こして靴をはかせ、自分のコートをかけた。いくら気温が高めの今日でも、真冬だ。寒さでガタガタと震えている。早く暖かいところに移動させなくては。

 米田宅に電話しようとしたとき、助手が目の前の道を車で通った。

 久方と一瞬目が合ったが……そのまま止まらずに走り去った。

 久方は呆然と、車が消えた方向を凝視した。いくらあの助手でもこの状況を無視とはどういうことだ、パジャマの米田を見て何が起きたかわからないわけがない……と怒りを感じ始めたとき、別な車が来た。



 いやーすんませんいつも。



 恒例の次男のお迎えだった。去り際の『一郎は帰らんのか』もいつも通りだ。

 違うのは、米田老人にはいつも必ず迎えが来て、自分には絶対に来ない(しかも同居人まで無視する)ということだった。


 久方は寒さではない何かに震えながら、米田と自分の足跡を逆にたどって帰った。ポット君にコーヒーを頼み、ヒーターの前に座り込み、冷たい助手の行動を面白く脚色して、駒のメールに返信した。ついでに早紀にも送った。



 この二人は『久方創』を知ってる。



 久方は他人のことのように、遠巻きにそんなことを考えていた。



 でも、米田さんは息子の一郎だと思ってる。町の人は別人と仲良くして、僕が誰か知らない。

 昔からそうだった。

 一生このままなんだろうか。



 建物は静かだ。ヒーターの運転音だけが空気を揺らしている。最近は妙子効果か、ピアノが聴こえる時間が短かった。

 助手からは、今日は帰らないというメールが来ていた。

 何があったのだろう。

 いつも説明がないが。

 前は久方が乗っ取られて消えるたびに、助手は慌てたり怒ったり、何かしら心配している様子を見せていた。

 それが最近は、夕飯どきにいなくなっても何も言わないし、困っている様子もない。もしかしたら、もう一人と仲良くなってしまったのだろうか。


 だとしたら、本当に、自分の味方はいなくなってしまう。


 久方はぼんやりとヒーターの前にたたずんで、メールの返事を待っていた。早紀でも駒でも、誰でもいい。今なら妙子でも歓迎だ。


 相手が話したいのが、自分でさえあれば。


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