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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2016年2月

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2016.2.12 研究所


 久方創は、疲れはてていた。


 目が覚めたのは正午。全身がだるく、起き上がれない。また眠っているうちに体を勝手に使われていたに違いないが、もちろん何をさせられていたかは覚えていない。何もできないまま、一日が終わっていく。



 一生、こんなふうに過ぎていくのかな……。



 もう一度眠りたいが、暗い考えにとりつかれて、なかなか眠れない。何もできず、まわりの人には誤解されたまま、毎日が過ぎていく。それはもう当たり前の事実になってしまったような気もするし、とうてい受け入れられないことのようにも思うが、まともにそれを感じていたら、一瞬たりとも耐えられないような気がした。結局、自分自身の人生からも距離をおくしか、心を守る方法がない。だからあの子供は怒っていたのだろう。正月に姿を見せた、子供の頃の自分が。一度捨ててしまった自分自身が。

久方はぼんやりと、暗い部屋の天井を見つめていた。こういうとき、普通に『自分一人で』生きてきた人なら、何か思い出すことがあるのかもしれない。よく小さい頃はどうとか、学生の頃は良かったという人の話は聞いたが、久方にはそういう思い出があまりにも少ない。唯一良いことがあったような気がするドイツからも、メールの返事は来ていない。動けずに窓を見やると、空。いつも同じだ。いや、違う。雲の形も光加減も毎日違う。誰かに『いつも窓を見てる』と言われるたびにそう抗議していたのに。でも、こういう疲れはてた日には、なぜか同じに見える。あの頃と。残酷なほど。

 前にもこんな感じの日があった。全身が痛くて動けなかったが、何をしていたかは覚えていなかった。あとで駒に『学校来てなかったけど大丈夫か』と言われて、初めて日付が二つ飛んでいることに気がつき、学校へ行ったら無断欠席で叱られた。



 そういえば……。



 久方はしばらく迷ったが、ゆっくりと起き上がり、神戸の母親に、駒の居場所を知らないか尋ねるメールを送ってみた。

 もしかしたら自分を覚えてくれているかもしれない。

 文字を打っている間も、頭がくらくらして視界が揺れた。久方はまた横になって、何かいい思い出がないか、あまりにも少ない記憶の中を探してみた。やはり夏だ。空は青く、緑も美しい。晴れの日には何もかもが輝いて見える。去年は新橋早紀もいた。



 サキ君、本当に来るかなあ。



 やりとりは夏から続いている。自分にしては奇跡的だ。でも、早紀は4月には来るから、あまり今から連絡しすぎても、うっとおしがられる日が早く来るだけだ。そのうち学校に友達ができるだろうし、彼氏だってできるかもしれない。自分が忘れられる日は必ず来る。


 

 今からもう、それを考えただけで辛い。



 眠気を求めながらも悩んでいたとき、神戸からメールが来た。



 かけるくん、まだ隣に住んでるよ。

 ちょうど渡したいものがあるから、かけるくんに持ってってもらうわ。



 久方は枕に顔を埋めたまま頭を抱えた。冗談だといいのだが。神戸の母はいい人だが、いつも何か頼むと過剰にはりきってしまう。めったに話さない自分が悪いのかもしれないし、誰かと違って自分に興味を持ってくれているからだとわかっているから、文句も言えない。でも、ここ数年会ってもいない人に、いきなり北海道に会いに行けはないだろう(隣のおばちゃんに『悪いけど、ちょっと北海道行ってきて』と言われては、誰だって困惑するに違いない)そして、渡したいものは100%チョコレートだ。バレンタインが近いからではなく、いつもスイーツばかり送ってくる人だからだ。せめて甘くないものにして欲しいが、それすら久方は言い出すことができない。



 目が覚めてしまったので一階に降りた。助手がソファーに座ってテレビを見ていた。テーブルにはお気に入りのパン屋のマフィンとタルト。

 神戸の知り合いが甘いものを持ってくるかもと言ったら、甘党の助手はわかりやすく喜んだ。



 そいつはほんとにお前の知り合いなの?こないだの別人の遊び仲間じゃなくて?



 久方は苦い顔でうなずいた。前にも久方の知り合いだという人間が尋ねてきたが、久方は彼を知らなかった。別人と夜中に出歩いていた男だと、話を聞いているうちにわかった。久方がかつての『口は悪いがおもしろい男』ではないことを知って、その男はつまらなさそうな顔で帰っていった。



 頭が痛むので、助手が差し出したいちごタルトは断り、部屋に戻った。今度は特に思い悩むこともなく、あっさりと眠りに落ちた。助手が破壊的に音痴な弾き語りで『名もなき詩』を歌い始めるまでは。


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