2016.2.5 松井カフェ
高条勇気は、猫じゃらしを振ってねこの気を引こうと、もう30分は努力している。かわいい猫の動画を撮るためだ。卒業したら帰ってこいと親には言われているが、本当は戻る気など全くない。勘当されることを予見して、金を稼ぐ方法を考えていたら、窓辺でくつろぐねこが目に入った。
あいにく、カフェの主たるねこは、協力的ではない。『そのヘンな棒はなに?そのフワフワって意味あんの?』という不遜な目をちらっと向ける以外は、丸まったまま身動きひとつしない。
動画のタイトルを『ねこが俺を無視する』に変更しようと考え始めたとき、客が入ってきた。
ねこが急に目を見開いて首を入り口に向かって伸ばしたかと思うと、全身の毛を総立たせた。
おおっ!
勇気が喜んで動画を撮影していると、祖母のマスターが近づいてきて、孫にしか聞こえない声で、
久方さんの陽気なほう。
と言った。
おう。
相手は勇気に笑いかけて軽く挨拶をすると、すぐソファー席に座った。特に話す気はなさそうだ。他の客は勇気に会うと『へー、マスターの孫なの、かっこいいねえ。どこの人?おじいさん変人だったよね。大きくなったねえ。うちの孫も今年中学に入ってねえ。私が若かったら彼氏にしたのにー。昔は美人だったのよ。俺も若い頃は……』と、勝手に自分が話したいことを勇気をネタに話し始めるが、この客にはそんな気配が全くない。
ねこは軽く飛び上がると、シャーという威嚇の声をあげて『戦闘体勢』に入った。勇気は名場面を期待して撮影を続けていたが、祖母が手を振って合図すると、ねこは逃げるようにカウンターの下に走っていってしまった。
いいところだったのに。
『客に飛びかかるねこ』という題名を考えていた勇気はがっかりしたが、興味はすぐ『例の客』に移った。同じ顔の常連が二人いて、ねこが威嚇するほうは年配だから態度に気をつけろと、来てすぐに言われていた。
小柄なその人物は、ソファー席で祖母と、ヨギナミがどうとか、最近佐加をよく見かけるとか話している。小学生のような見た目なのに、話し方も態度もおっさんだ。クラスの女子と知り合いのようだが、勇気はヨギナミも佐加もよく知らず、興味もなかった。残念ながら秋倉高校には、変人はいても美人はいない。それが勇気の正直な感想だ。平岸の胸がやたらに大きいことと、自分を見ながらニヤニヤと薄笑いを浮かべていることにはすぐ気づいたが。保と秀人が揃って『気をつけろ』と言うのもそのせいだろうか。
あいつはサキが来るのを今か今かと待ってるんだ。はたで見ててうっとおしいくらいな。でも本人はただ、困ってる年下の子に親切にしてるだけのつもりみたい。フッ(馬鹿にしたように息を吹いて)ただの親切が窓辺でぼーっとしながら『サキ君本当に来るかなあ』とか呟くかってな!ヨギナミのほうがよっぽどかわいいと思うけどまあ、それは好みだからしゃあないな。佐加は勢いがありすぎて俺でも時々恐いしな。面白い奴だけどな。
誰かが『サキ』という女の子に恋い焦がれているらしい。どうでもいい話だが。かわいいヨギナミってどんな顔だったっけ?勇気は思い出せなかった。あの教室にかわいい子はいないはずだが、それはこの変な人の好みだろう。
勇気は勉強するふりをしながら考えていた。バイト先のないこの町でどうやって金を稼ぐか。やっぱりネットだ。それと、『カフェの孫』という立場を存分に利用することだ。
数学?
いつのまにか『陽気なほう』が隣に来て、教科書を覗きこんでいた。
久しぶりに見たらわけわかんねえなあ。
そう笑いながら問題を指さすと、すれ違いざま祖母に『ごちそうさん』と言い、外に出ていった。
たまにああやってふらーっと来るの。
もう一人の静かなほうはいつ来るのか聞いたら、
最近来ないわねえ。前来たとき具合が悪そうだったから、来にくいのかもねえ。
祖母は心配している様子だ。勇気は秀人にこっそり質問を送った。『久方って人知ってる?』
ヨギナミんちの雪かき手伝ってるちっちゃい所長じゃない?
所長なのか。なんの所長だ。
まあいいや。
勇気はもとの勉強(のふりをした金稼ぎ計画)に戻った。あのロボットを撮れたらちょっとした話題にできそうだ。居場所がわかったらこちらから訪ねてみよう。それともねこを手なずけるのが先か。小学生の頃は、夏休みに来たらすぐなついたのに。歳をとって、飼い主の孫の顔も忘れてしまったのだろうか。
それとも、自分が変わったのか。




