2015.1.1 サキの日記
大晦日。
研究所への道に、黒猫がいた。追いかけたけど雪が積もってて、うまく走れない。猫の足跡をたどって、ブーツが埋まるような雪の中をまたぐように歩いたら、カウンター窓に所長の姿が見えた。
猫の足跡は、所長が座っていたちょうど真下のあたりで消えていた。雪と地面と建物の間に隙間ができていて、猫はそこにいた。
こんな真下にいたんだ……。
所長は窓から顔を出して、さんざん探した猫がすぐ近くにいたことに驚いていた。部屋に入れようとしたけど、捕まえようとすると中にひっこんでしまう。所長が鮭とばを持ってきてくれたので割れ目に入れて、私は研究所の中に入った。
平岸家は、あかねと純也さんのケンカに、平岸ママの料理熱が加わって戦場のようになっている。もちろん深刻な争いではなくて、ほのぼの系ホームドラマのだけど。
あかねは昔、純也さんをネタにボーイズラブのマンガを描き、今でも許されていないらしい。
何よ。大人になった記念に、ハードなプレイができる男に描いてあげたのに。
そりゃ怒るでしょ普通。
あかねからは町の噂話をたくさん聞いたけど、どれも派手にラブラブな脚色が加わってそうで、どこまで信じていいかわからない。伝説の図書委員長と町長の娘が、図書室の奥で禁断の関係をもっているとか、仲良しの男子二人が音楽室で激しく愛し合ってるとか。それが本当だったら、秋倉高校はただのハレンチ学園になってしまう。
町の噂も、出所はほとんど平岸さんらしいね。
どうしてあんなに噂が好きなんだろうなあ。
自分も妄想の標的になっているのを知ってか知らずか、所長もため息をついていた。
あかねは前に、『どちらが有利か情報収集が大事』と書いていた。でも、ラブラブな作り話で自分の身を守れるとは思えないから、やっぱあれは趣味だと思う、本人の。
小さな町だからかもしれないけど、所長は噂話に心底ウンザリしてるらしい。特に、平岸あかねには。でもあかねだけではなく、町内のおばあさんとか、草原で見かけた町の人から、あんた何してんのよ?みたいな目で見られることはよくあるそうだ。
気を悪くしないでくださいと前置きして、私はこんな意見を言った。私も『女子高生』というだけで、性的なイメージや青春、かわいいもの好き、おしゃべり、うるさい、そんなイメージで見られがちだけど、全部自分には当てはまってないと。
所長が草原で空を見上げてるのを見て、きっと町の人も、自分の中にある草原や空、過剰に純真な人のイメージと重ねてて、それと所長本人とは関係ないのだろうと。
サキ君。
4月にこっちに来たら、一緒に草原歩こう。
所長は、怒ってるのか、はりきってるのかよくわからない顔と声で言った。
一緒に良からぬ噂に飲まれようよ。何て言えばいいかなあ……住んでみたらわかる。サキ君の意見は当たってるけど、勝手に変なイメージを持たれても困るよ。
二人で歩いたら恋愛関係と間違われて、助手との噂を信じてるあかねはガッカリするでしょう……そう言って二人で笑った。私たちの間では、恋愛なんて言葉は冗談にしかならないのだ。たとえまわりの人が、そういうゴシップを期待したとしても。
所長は不思議な人だ。
兄弟がいたらこんな感じかもしれない。
夕方には帰ったけど、今日の夜を一人で過ごす所長のことが気になった。助手もいないし。
元気だったかぁ!?娘よ!!
平岸家に帰ったらうちのバカがいた。飛びついて来たから思いっきり拳を突き出したらみぞおちに炸裂。奴は寝込んでしまった。
夕飯は、丼からはみ出すような海老天が乗った年越しそば、栗が入った茶碗蒸し、まだ年は明けてもいないのに、おせちの箱がずらっと並んでる。もちろん中身入り。
何売場!?とびっくりしてドアのところで止まってたら、後ろから悪魔のようなあかねの囁きが聞こえた、耳元で。
こんなのはまだ序の口なのヨ……。
本当の作りすぎ地獄はこれから始まるのヨ……。
吐息が耳にかかった。あかね怖すぎる。
とはいえ、ごちそうは本当に美味。苦しくなるくらい食べた。追加で出た竜田揚げはほぼ私が全部食べた。他の人が既に食べすぎでダウンしていたからなのに、肉ばっかり食べるねえと純也さんと平岸ママに呆れられた。
明日は朝6時に初詣だから、早く寝るんだよ。初日の出を見ながら車で行くからね。5時には起こしに行くから。
パパがそう言うと、あかねが、自分は紅白見て除夜の鐘まで起きてるくせにと反撃し、純也さんはこう説明してくれた。
一応寝なさいって言うけど、結局いつもみんなで0時まで起きてて、新年おめでとうって言ってから寝んの。学生がたくさんいたときはかなり盛り上がって、一睡もしないで朝まで起きてる奴もいた。
平岸家には、常に他人の子供たちがいた。
邪魔じゃなかったの?と聞いたら、あかねが割り込んできた。
あたしがオヤジとママの相手しなきゃいけないから、いないほうが迷惑。
別な意味で悲しい答え。あかねはそのまま部屋に戻ってしまい、私と純也さんで残った料理をテレビの間に運んだ。平岸夫婦は既に仲良く並んで座り、テレビを見ていた。バカもようやく床から這い出してきて、料理をだらしなく指でつまんで食い、平岸ママに睨まれていた。
除夜の鐘まで、私たちはそこにいた。
紅白が終わる頃に、あかねがパジャマ姿で戻ってきた。
新年おめでとう。
おやすみ。よい夢を。
そう言い合って解散した。
平岸家は、いがみ合いながらも、
奇妙に結束しながら、新しい年を迎えた。




