2015.12.27 研究所
これから向かいまス。
という電話があった。
今日は猛吹雪の予報が出ていたため、来れないだろうと思っていた。確かに今は雪は止まっているが、一時的なものかもしれない。
『所長』はもう30分、玄関のガラス扉の中から林の道を見ているのだが、まだ誰も来ない。
雪に慣れてなさそうだから、足をとられて遅くなっているのかもしれない。
それか、また道に迷ったか。夏に会ったときも道に迷っていた。しかも今は冬で、景色自体が雪で変わってしまっている。
大丈夫なのだろうか?もう少し待っても来なかったら電話したほうがいいかも……と思っていたら、木々の間から人が現れた。
自分に似た子供が。
いったい今見てるのは何だろう?
久方創は動揺しながら、近づいてくる人に目を凝らしていた。
歩きにくい雪の積もった道、雪かきしたあとにさらに降って浅く埋まっている道を、遊んでいるように楽しそうに飛び越えてくる。これから何が起きるか、どんな辛い目に遭うかも知らない、子供の頃の自分が、こちらに気づいてうれしそうに、軽く飛び上がって手をふり、早足で雪を飛び越えて走ろうとして、転びそうになっている。そんなに喜ぶような価値のない人間だとも、まわりの人間がどんなに残酷かも知らずに、人を信じきっている。
雪と格闘しながら、その子はガラス窓の前にたどり着いた。
もちろんそれはもう一人の久方創ではなく、東京からやってきた新橋早紀だった。こんなに嬉しそうな人間の顔を見るのは久しぶりだ。にこにこ笑っている。
サキ君、久しぶり。
できるだけ落ち着いた声で言いながら、『所長』は玄関を開けた。さっき見たものを、早紀には知られないようにしようと思いながら。
でも、なぜこの子は、
こんなに自分に似ているのだろう?
所長に似た男の子が、よく夢に出てくるんでス。
コートを脱いでコーヒーカップを受け取るなり、早紀は話し始めた。頬が紅潮しているのは興奮しているからか、単に外が寒かったからなのか。
女子高生みたいな女の子が一緒にいて、何かから逃げているか、フェンスがある川辺を歩いているか、どっちかなンですけど、同じ夢をよく見るんですよ。
久方は信じられない思いで、何度か夢の内容を聞き返した。
間違いなかった。
新橋早紀も、自分と全く同じ夢を見ていた。
数時間後、久方は窓辺で呆然としていた。いつもなら気になる外の天候も、今日は視界にすら入らなかった。
なぜ?
やっぱりどこかで会ったのか?
最初に会ったときから、どこかで見た顔だと思っていた。考え方も似ているし、なにより、来たときに見た子供……自分にそっくりな……もしかして、自分ではなく『別人』が会ったのか?でも、それなら自分が覚えてなくても早紀が覚えているはずではないか?
部屋は静まり返っていた。早紀は昼前に帰ったし、助手もいない。風の音も今日は聞こえない。この世の全てが動きを止めたかのようだ。
全て、幻だったのではないか。
急にそんな気がしてきた。自分に都合のいい子供時代の幻を、頭が勝手に作り出したのではないだろうか。実際には存在しない、甘やかされた無邪気な子供、存在してはいけなかった自分自身の幻影を。あまりにも長く忘れようとして神経を悩ませ過ぎたせいで、とうとう頭がおかしくなったのではないか?なにせ自分は元々正常ではないし……。いずれどこかの精神保健施設に閉じ込められて、そこで一生を過ごすことになるかも……。
テーブルの上でスマホがいきなり振動した。
久方は不意を突かれて飛び上がるくらい驚いた。
それは、新橋早紀からの、
『頭が光りすぎ!!』
という題名のメールだった。写真が添付されている。見ると、平岸の旦那が窓辺で新聞を読んでいるが、ライトがハゲ頭に反射し、太陽に負けないほどの光を放っている。ウケ狙いでわざとやったとしか思えないほど素晴らしい構図。
眩しすぎて涙が出てきたよ。
久方はそう返信した。
本気で泣きそうだった。




