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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2015年8月

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2015.8.29 サキの日記



 朝、所長からメールが来た。具合が悪くて、しばらく札幌の助手のところに行くことになった、研究所は開いてるから好きに入ってコーヒーでもお菓子でも食べてよいと。


 鍵をかけずに出かけたらしい。危なすぎる。

 だいいち、助手にはこないだ『9月まで帰ってくるな』と言ったのではなかったのか?



 私はもうすぐ帰るのに。

 予定がなくなってふてくされていたら、あかねに今日も研究所かと聞かれた。メールの話をしたら、学校が終わったら不審者が忍び込んでないか見に行こうと言い出した。


 あの二人がラブラブだという証拠があるはずヨ。


 あかねは足取りも軽く学校へ向かった。意外なのは、平岸パパも平岸ママも、『よその家に勝手に入るな』とは言わなかったことだ。朝ごはんの間ずっと所長の話をしてたから、二人とも聞いていたはずなのに。



 友達をぞろぞろ連れてきたらどうしようかと思っていたけど、あかねは一人で来た。長い髪をひとつにまとめて丸メガネをかけ、動きやすい迷彩パンツに大きな懐中電灯、腰には危なげなサバイバルナイフ。気合い入りすぎ。ナイフはクラスの男子に借りたというから、秋倉高校はもしかしたら不良が多いのかもしれない。


 まず、一階のいつものカウンター窓の部屋を一通り漁った。CDとDVDの棚に引き出しがたくさんあるが、中には公共料金の領収書と、ペンや鉛筆があるだけだ。テレビは別に珍しくもない普通のだし、その前にある低めのテーブルとソファーにも変なところはない。反対側の棚には古びたガラスのランプ(製造年を示す表記が裏にあったが、昭和だった)と、中世ヨーロッパの貴族みたいな女性の絵が入った小さなフォトフレーム。誰の作品か知らないが、パステル画だと思う。壁には幸福商会のカレンダー。なぜか秋倉町とは関係のない札幌の時計台の写真が使われている。

 その前に大きめのメインテーブルがあるけど、これも古い黒ずんだ板で出来てること以外には変わったところはない。棚の下の扉まであかねは遠慮なく開けて調べていたが、電化製品の説明書とか、町からの案内とか……そんなのしかない。

 きっとこの中ヨ、個人的なものは……。

 あかねはクリーム色の大きなデスクトップPCの電源を入れたが、当然パスワードが必要だ。あかねがパスワード探しに夢中になっている間に、私はそのパソコンにオレンジのマークがついているのに気がついた。何かの冗談だろうか。画面から見て、OSは普通のWindowsなんだけど……。

 玄関に鍵をかけないくせにこっちはばっちりロックしてあるのね……。寝室を探すわヨ。

 あかねはそう呟いたかと思うと、急に廊下に飛び出した。私はPCをシャットダウンしてから、後を追った。一階のほかの部屋はキッチンとメインの部屋以外使われてなくて、家具も何もなかった。

 あかねはなんの遠慮も躊躇もなく、階段をあがっていく。

 2階の薄暗い廊下を見たとき、私は急に、良心の呵責のようなものを感じ始めた。所長はコーヒーでも飲めと書いていたから、研究所に入ることは許可されているけど、二階に行けとは書いてなかったし、さすがにプライバシーの侵害には抵抗があった。

 しかしあかねは、全く遠慮せずにドアを開けた。


 ベッド発見。ウフフ……。


 その部屋自体には、特に変わった感じはしなかった。一階で使われているのと同じような、使い古された色の木材でできたデスクと椅子。あかねはデスクの引き出しを開けたが、大きいほうにはスケッチブックしか入っていなかったし、中には何も書かれていなかった。デスクの上に固形水彩絵の具のパレットと筆があった。緑と青と白だけが減っている。所長は絵を描くのが趣味なのだろうか。でも話題に絵が出てきたことは今までなかったし、作品も見当たらない。

 小さな引き出しには、鍵がかかっていた。驚いたのは、あかねがヘアピンを使って鍵をこじ開けようとしたことだ。止めたけど無視された。結局開けられなかったからいいけど、私はだんだん、この子が怖くなってきた。


 本棚も同じような色で、たぶん廃材で作られたのではないかと思った。その上のポスターが、地味な部屋には合わない色彩を帯びている。


 フェザーザップ。


 ベッドが乱れているワ。

 あかねがベッドカバーをつまんで臭いをかぎだした。まるで犬が鼻をきかせて何かを探っているかのような動き。

 怪しすぎる。

 ベッドじゃなくて、あかねの行動が。


 シーツが乱れているわ……私の思った通りヨ。


 あかねは満足したのか、薄笑いを浮かべながら廊下に出ていった。階段を降りる足音が聞こえる。でも私はそこから動かなかった。何かが引っかかる。


 本棚を見る。本の半分は洋書で、難しくて私にはわからない題名だった。でもなんとなく、植物とか生物の本のような気がする。残り半分は読んだことがあるか、見たことがある日本語のベストセラーだった。哲学や自己啓発がちらほら混じってて、やはり私の本の好みとかぶる。


 何かがおかしい、もしくは、自分はどこかおかしいと思っている人間の本棚だ。少なくとも半分は。でも、それは珍しいことじゃないと思う。だってみんなベストセラーで、10万人から100万人は読んでる本だから。

 ポスターだ。気になったのは。

 ボーカル兼ギターの高谷修二と、ベースのケンジ、おっさんドラマーの3人が写っている。たぶん人気があったころのポスターだ、10年は前のかもしれない。


 見覚えがあった。

 真ん中の男に。


 うちのバカがファンでCDを持っているから、もちろん名前も顔も知っていたし、ライブ映像を見たこともある。

 なのに、そのポスターの高谷修二は、何かが違っていた。イメージしていたよりも幼くて、なんというか、身近な印象なのだ。


 私はこの人を、個人的に知っている。


 そんな気がした。

 下からあかねが叫んでる声がしたので、スマホでポスターの写真を撮ってから、階段を駆け降りた。

あかねはコーヒーを入れ、食糧庫から勝手にクッキーまで盗み出していた。呆れながら聞いた話では、私がボーッとしている間にあかねは3階まで行ったが、全てのドアに鍵かかかっていて、奥のほうは廊下にほこりが積もったままで足跡もなかったから、手前の部屋しか使ってないみたいだと。

 もうすぐ帰らなきゃいけないのに、所長が何者なのか全くわからない。

 そう呟いてみたら、あかねは満面の笑みでこう言った。


 あんたが帰ってからもアタシがここに来て、

 あの二人のラブラブぶりを探りだしてあげるワ。






 アパートに帰ってから、私は所長にメールした。

 オタクが研究所を探ってお菓子を食べてるから、早く帰るように、あと、ちゃんと玄関に鍵をかけるようにと。

 寝室まで行ったことは、ばれるまで黙ってることにした。ポスターや絵の具のこととか、本当はいろいろ聞きたいことがあったけど。



 返事はまだ、来ていない。


 さっき所長の寝室で撮ったフェザーザップのポスターを見た。曲のことも思い出した。だいぶ前に一曲だけスマホに入れたのを忘れていた。



『こんな言葉を知ってるか

 どんな奇妙も不思議さも

 それだけでくくれるような

 そんな言葉求めてた


 ああ、やめてくれよ

 悲しみを抱かせてくれ

 忘れさせてくれよ

 もう戻れやしないから』



 何かを失ったような歌。私は昔から暗い歌が好きなので、引き寄せられるようにそういう歌ばかり見つけているのだけど。この曲は、フェザーザップの他の曲とは明らかに質の違う歌だった。歌詞も、高谷修二の歌い方も。


 痛み。

 何かを失った痛み。


 声の主の顔をじっと見る。10年以上前のあるバンドのポスター。今はほとんど話題になることもない人たち。


 なぜ、こんなに気になるのだろう?



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