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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2018年2月

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2018.2.27 火曜日 サキの日記

 明日、うちの親がそろって秋倉にやってくる。卒業式に出るためだ。昔の母との関係を思うと不思議な気がする。今はLINEとかで普通にやり取りしているし、インスタもフォローし合ってる。最近バ──いや、父までインスタを始めて、変なポーズの写真ばかり載せるので、スルーしたいのにうっかりコメントしてしまい、奴が図に乗って盛り上がってるのを見て『くそっ!』と思ったりする。


 今日、研究所に行ったら、ダンボールだらけになっていた。引っ越しの準備はもう済んでいるみたいだった。いつの間に作業してたんだろう?私はそれを見て、所長、本当にいなくなるんだ、と改めて実感した。なんだか、それは、すごくよくないことのように感じた。でももう、神戸に帰ることは決まっている。今さら私が何を言ったところでどうにもならない。

 所長は私のためにコーヒーやカウンターの椅子は出したままにしておいてくれた。ポット君が、悲しげな顔をしながらコーヒーを運んできた。

 ポット君は、今日の夕方、岩保さんの所に帰っていった。代理の岩本さんが車で迎えに来た。ポット君はまだその時には電源が入っていて、悲しい表情で私達を振り返りながら車に乗り、腕を振りながら去っていった。なんだか人間よりも人間らしい。将来うちにも1台欲しいなと思った。何百万するかわからないけど。

 所長とカウンターでコーヒーを飲むのも、これが最後かもしれない。

 

 今までのことをいろいろ思い出していたんだけど。


 所長が言った。


 人間って、感情が強く動いた時のことを記憶しがちらしい。だから、怖いことばかり覚えていたりする。でも、実際には、覚えていない膨大な時間があって、そのほとんどでは、悪いことは何も起きてないんだ。

 つまり、平和に過ごしている時間の方が、人生ではずっと長いってことだよね。なんとなくボーッとしたり本を読んだり音楽を聴いたり、町の人と世間話したり──そういう時間の方が、恐怖や不安を感じた出来事よりはるかに長い。なのに僕は、怖いことが起きたほんの少しの時間だけを思い出して、平和な時間を忘れがちだ。

 だから、これからは何か起きたら『平穏な時間の方が長い』ことを思い出して、自分を落ち着けることにするよ。


 つらいことを思い出しがちな私達。

 前の学校のいじめ、畠山のこと(久しぶりに思い出した)、奈々子のこと、私に振り向いてくれなかった結城さんのこと。

 そんなことばかりに注目しがちな私。でも、そんなのはもう過ぎたこと。人生のほんの一部にすぎない。

 それに、私達には未来がある。何も決まってない未来が。


 秋倉は、穏やかな場所でしたね。


 私は言った。


 なんとなく過去も未来も干渉しない別世界みたいな。でも、現実には過去は私の中にあるから、私と一緒にここまでついてきて苦しめられたけど。でも、秋倉にはそういうものを薄ませるというか、なごませる空気がありますね。


 それこそが『何もないことの効能』かもしれないね。


『草しかない町』秋倉で、私達はいろいろなことを学んだ。そのいくつかは言葉にするのが難しい。でも、乱暴にまとめてしまうと、こうだ。


『人生は、大丈夫なんだよ』

『何が起きても、大丈夫なんだよ』


 他にも話さなきゃいけないことがたくさんあったはずなのに、うまく言葉にできなくて、会話は途切れがちになった。そのうち岩本さんがポット君を迎えに来て、その後、姿が見当たらないかま猫を2人で探したけど、2階にも裏の割れ目にもいなくて、見つける前にあかねが怒鳴り込んできたので帰った。


 夕食の時平岸ママが、明日修平が戻って来ると言った。ただ、かなり弱っているので前のようにはいかない、やつれているだろうけど見た目で悪口を言ってはいけないと言われた。あかねは『そんなことわざわざ言う必要ないでしょ』と言って機嫌が悪そうだった。後で平岸パパに聞いた話だと、漫画サイトに載る予定だったマンガがなぜかボツになったらしい。過激すぎたんじゃないかと私は見ている。

 部屋に戻ってから考えた。

 もう、所長と一緒にコーヒーが飲めない。

 それは、私にとってものすごい損失だ。

 でも、仕方ない。

 大学で新しいコーヒー仲間を見つけよう。

 見つかるだろうか。

 たぶん見つかるだろう。

 でも、所長みたいな人には、もう一生出会えないと思う。

 このまま会えなくなっていいんだろうか。






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