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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2018年2月

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2018.2.26 月曜日 久方創

 久方創は、猟友会の車に乗って森へ向かっていた。

 奈良のとっつぁんが運転する車の助手席で、緊張してちぢこまっていた。後ろにはもう一人、いかつい顔の猟友会のメンバーが乗っていて、今にも発砲しそうな厳しい表情をしていた。

 なぜこんなことになったのかというと、散歩ついでにひょこっと現れた奈良のとっつぁんに、久方が、


 ここを離れる前に森の大木をもう一度見ておきたいんですけど、クマが出るから近寄っちゃいけないんですよね?


 と言ってしまったからだった。それを聞いたとっつぁんは、


 そんなら、俺が一緒についていってやるべ。


 と言い出し、久方がとまどっている間に車と人員を手配してしまった。

 車は雪道を走っているとは思えないスピードで爆走し、あっという間に山の近くに着いた。ここからは歩くしかない。

 久方が指し示した方向は雪が積もっていて道がなかったが、とっつぁん達が持ってきたショベルやダンプでさっさと除雪して道を作っていった。久方はなんだか申し訳ない気がして、ひたすら恐縮しながら2人の後を進んでいった。そうやって、あの大木の前にたどり着くと、久方はその太い幹に手を当てて、小声で、なぜかこう言った。


 僕を産んでくれてありがとう。


 なぜか、そういう言葉がふさわしいように思えた。


 だけど、僕は本当の家族の所に帰らなきゃ。


 久方の心の中で、今までに起きたさまざまなことが現れては消えていった。つらい幼少期、びくびくしていた学生時代、その後も人を信じられずうまくいかなかった人生、そして、秋倉に来てから起きたこと──

 全ては、ここにたどり着くためだったように思えた。

 物思いに沈む久方の後ろで、とっつぁん達は、こんな所に大木があるの知らなかったとか、なんとか観光資源にできないかとか、でもクマは出るし道の整備も難しいだろうとか、そんなことを話していた。



 もう1か所、いや、もう一人、久方がどうしても会っておきたい人がいた。とっつぁん達に丁重に礼を述べて帰った後、久方は勢いでタクシーを呼んだ。

 向かった先は町内の老人ホームだった。

 室内に案内されると、米田老人がベッドで横になり、空中にうつろな目を向けていた。


 もう、こちらの言うことがわからないみたいなんですよ。


 職員が言った。


 そうですか。


 久方はベッドわきの丸椅子に座り、米田さんの顔をじっと見つめた。かつてあの建物に迷い込んできた時にあった妙な覇気は、もう存在していなかった。すっかり弱り、気力をなくしているように見え、久方はいたたまれない気分になりながらも、


 米田さん。


 言いたかったことを口に出した。


 僕は一郎じゃないんです。今まで言えなくてすみません。

 僕は久方創といいます。神戸から来ました。人生に迷って。

 でも、この町で暮らして、いろんな人に助けられて、自分を取り戻すことができました。


 米田老人は何も反応せず、ただ宙を見つめている。


 米田さんに会った時、話はあまり通じなかったけど、存在感に圧倒されたのを覚えています。それは、僕が弱っていたせいもあるかもしれない。だけど、一番はやはり、米田さんが今まで素晴らしい人生を送ってきたから、それがたたずまいに現れたのだと思います。

 いい人生を送ってきたんですね。それだけ伝えたかったんです。


 米田老人は何も言わず天井を見ていた。もういい、これ以上言うことはない。


 僕は神戸に帰ります。

 米田さんもお元気で。


 久方は立ち上がり、深々と礼をしてから、部屋を後にした。

 これでいい。自己満足でしかないのかもしれないが、伝えたいことを口にできた。もうこの町でやり残したことは──

 早紀の卒業式だけだ。

 久方は数日後に迫っている行事に思いをはせた。本来なら自分には何の関係もないことだ。気にせずに明日、神戸に帰ってしまってもいいわけだ。

 でも。

 早紀は特別だ。やはり卒業を見届けてから去りたい。

 久方はスマホを取り出し、早紀に何か言葉を送ろうかどうか、アプリを開いたり閉じたりしながら散々迷って──結局、やめた。





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