2018.2.3 土曜日 研究所
久方創は猫達と遊びながら、ちらちらとカウンターの方向を気にしていた。早紀がそこに座って、ずっと勉強しているからだ。
杉浦がお母さんと出かけるって言ってて、今日は塾がないんです。
部屋でも集中できないんでここで勉強してもいいですか?
そうして、もう2時間近く居座っているのだった。そろそろ昼になる。昼食を作ってあげた方がいいだろうか。それとも平岸家に一度帰るつもりなのか。尋ねようと思っているのだが、集中している様子なのでなかなか話しかけられない。
迷っているとインターホンが鳴った。
玄関に行くと平岸あかねがいて、手にバスケットを持っていた。中身はスープとサンドイッチだった。平岸の奥さんが作ったのだろう。
昼食持ってきてやったからありがたく食べなさい。
あかねが言った。早紀が後ろから走ってきて、あかねからバスケットをひったくってまた走っていった。お腹が空いていたらしい。3人で昼食をとることになった。
久方は、サンドイッチをぱくつきながらあかねと話している早紀を見ながら、
僕は、どれほど、この子を愛しただろう。
と、過去の自分を懐かしむような気持ちでいた。もちろん早紀のことは今でも好きだ。気持ちは変わっていない。しかし、いつかのような『どうしても手に入れたい!』という渇望するような状態ではなくなっていた。
きっと、幽霊がいなくなって、自分を取り戻したからだろう。
でも、もし早紀があの日道に迷わなかったら出会っていなかっただろうし、その後、頻繁に訪ねて来てくれていなかったら、ここまで心を開くこともなかっただろう。幽霊にまつわる一連のことも解決せず、今の自分もなかっただろう。
そう思うと、早紀にはいくら感謝しても足りない。
久方さん、さっきからずっとサキを見つめてるわね。
あかねがニヤニヤ笑っていた。早紀の顔がちょっと赤くなった。
もうすぐお別れなんだなと思って。
久方が言った。
お別れじゃないですよ。LINEだってfacebookだってあるんですから。
早紀が言った。
でも実際に近くにいるのとは違うと思うけど?
あかねはそう言って、最後のサンドイッチを口に放り込むと、『原稿描かなきゃいけないから』と言って帰っていった。
早紀は元どおりカウンターの席で勉強を再開し、久方は皿やコップを片付けにキッチンに行った。
僕と一緒に神戸に行かないか。
相手が同じ歳くらいの大人だったらそう言えたかもしれない。しかし、早紀は未来ある若者だ。これから大学へ行って芸術の世界へ行く。輝かしい未来がある。何も持っていない自分が若者の世界を壊してはいけない。
部屋に戻ると早紀は勉強に集中していた。同じ空間にいたかったから久方はソファーに座った。テレビはもちろんつけない。シュネーが近づいてきたので背中をなでてやった。かま猫は今日ストーブの近くにずっといて動かない。
1時間ほど経った頃、早紀が手を止めて立ち上がり、久方の隣に来てソファーにどかっと腰を落とした。
この建物、もうすぐ取り壊されちゃうんですよね?
うん。福祉施設を新しく建てるって。
私がお金持ちだったら、ここを買って保存しておくのに。
僕も同じ気持ちだよ。でも、それだと心が前に進めないかもしれないな。
久方は言った。
僕達はたぶん、新しい居場所を自分で作らなきゃいけないんだ。
ここで休むのはもう終わりにして。
早紀は少し考えてから、
でもやっぱり、ここにはなくなってほしくないです。
と言って、
帰ります。
道具を片付けて出ていってしまった。
早紀も、ここを離れるのはつらいらしい。
その気持ちの中に、少しは、自分を想う気持ちが混じっていればいいのに、と久方は思わずにいられない。そんなのはわがままだとわかっていても。




