2018.2.2 金曜日 ヨギナミ
家庭科室の棚の奥に、昭和50年の缶詰が眠っていた。
ヨギナミはそれを恐る恐る手に取ってながめた。古めかしいデザイン、賞味期限は40年前に切れている。今と違って、缶切りがないと開けられないつくりになっていて、振ると、パシャパシャと怪しい音がする。
これ、どうしよう?
ヨギナミが口元をゆがませて笑う。高条はずっと動画を撮っている。
開けない方がいいよ。
絶対開けない方がいいって!
高条がはしゃいだ声で言った。
そのまま、博物館か、科学の研究してるところに寄付しよう。きっと中身が発酵して、独自の微生物が新しい生態系を作ってるって。
やだそれなんか怖い。
ヨギナミは缶をもとの場所に戻した。あとで先生に相談することにする。
家庭科室を出て廊下を歩く。2人は、廃校になる前に校舎の中を記録すべく、いろいろな教室を回っていた。
音楽室の前を通ると、保坂が『木立よ』の伴奏を練習している音が聞こえる。あとで寄ることにして、写真室に向かう。
ここには暗室があって、昔はここでアナログ写真を現像していました。
ヨギナミが部屋を紹介する。ここはもう長いこと本来の目的では使われず、男子のたまり場になっていた。お菓子の空や、ペットボトル、なんと灰皿まで置きっぱなしになっている。
不良がいるね。
ヨギナミが灰皿を指さして笑った。
写真残ってないかな。昔の秋倉が写ってるやつ。
高条はヨギナミにスマホを渡して、自分で棚を探り始めた。ヨギナミは画面越しにその姿をじっと見た。
高条って、なんでこんなにかっこいいんだろう。前の学校でもモテたのかな。そういえば、仙台の話はほとんど聞いたことがない。
ねえ。
ヨギナミは思い切って聞いてみた。
高条って仙台にいたんだよね。向こうでも動画ばっか撮ってたの?
2011年の3月11日からずっと撮ってる。
高条が棚のアルバムを取り出しながら言った。
何もかも一瞬でなくなるってわかったから、何でも記録したくなって。
そうだったんだ。
ヨギナミはそれ以上何も聞けなかった。高条はアルバムをめくり、ニヤッと笑った。
若い頃の河合先生が写ってる。
高条がアルバムの中身をヨギナミに向けた。まだ20代くらいの、メガネをかけていない、ポロシャツを着た河合先生が、なぜかグラウンドの真ん中で腰に手を当てて笑っていた。
若い!でもなんの写真だろうねこれ。
場面が謎すぎるから後で本人に聞こう。
棚からは他にもいろいろな写真が出てきた。運動部の写真が多かったが、昔は生徒が多かったので、ブラスバンドや合唱の写真もあった。あとは、写真部の学生が芸術性を狙ったような、アートのような写真も多かった。
ひたすら手のひらだけ写してるね。
手相でも気にしてたのかな。
スマコンに見てもらったらどんな人かわかるかも。
あいつ手相も見るの?
棚の写真をひととおり物色した後、高条が、
学校ってさ、実は何でもできる場所だよね。
と言った。
スポーツも音楽も写真も科学実験もできる。こんな万能な場所ってなかなかないと思わない?
いっそここ、大人向けのアミューズメントパークにしちゃえばいいんだよ。何でもできて楽しいし、知的好奇心も満たせる。
ここって本当に取り壊しになるの?
ヨギナミが尋ねた。
まだ決まってないんじゃない?あー、ここにパソコンと動画撮るのに使う道具を完備すれば、本当に何でもできる空間なんだけどな〜。
2人は写真室を出た。
でも、昔はあんなに人多かったんだね。
ヨギナミが言った。
高度成長期は人口も多かったらしいよ。
高条がヨギナミを撮りながら言った。
いろんな人がここに来て、出ていったんだな。
2人はなんとなくしんみりしながら、音楽室に戻った。練習に飽きた保坂が、ジャズみたいな曲を殴るように弾いているのが聴こえた。
そろそろここに入ろう。
2人は音楽室のドアを開けた。
ここは音楽室です。
ヨギナミが高条のスマホに向かって言った。
ホウッ!
保坂が変な声で叫んだかと思うと、
ようこそ俺の部屋へ!
と言って、ガーシュインのswaneeを弾き始めた。しかし、途中で『フォッ!』『ホウッ!』と叫ぶのが邪魔だ。
ほんと学校って、なんでもありな空間だね。
ヨギナミが半ば呆れてつぶやいた。
そうだね。
高条が言った。
もっと早く気づいて、いろんな設備を有効活用すべきだった。
保坂はそのままノリノリで3曲ほど弾いた。その後3人でカフェに行き、『自分ならあの空間を何に使うか』という話で盛り上がった。
アミューズメント計画を熱心に語る高条を見ながら、ヨギナミはさっき言われたことを思い出していた。
2011年の3月11日からずっと撮ってる。
高条は決して、悪ふざけだけで動画を撮っていたのではなかったのだ。何かを失ったことがあるから、普通の日々が貴重だとわかっているから、撮って残そうとしていたのだ。けっこう真面目な人だったのだ。
ヨギナミ、どう思う?
高条が急に話をふってきた。ヨギナミはきちんと聞いていなかったので一瞬とまどったが、すぐに微笑んで、
いいと思う。
と言った。
すごくいいと思うよ。




