2015.8.26 サキの日記
世の中には、怒りを表現できずに抱え込んでいる人がたくさんいて、それが故に怒りを代弁してくれるアーティストが支持される……のではないかと、YouTubeで洋楽のPVをやたらに見ながら考えた。それなら歌詞が乱暴で怒りに満ちていても不思議ではない。
建前では怒りは存在してはいけないことになっているが、本当はどこにでもあり溢れてるものだ。
とりとめもなくそんなことを考えていた。あと数日で私は地獄行きの飛行機に乗らなきゃいけない。もう行かないと決めているけれど、全く行かないという訳にもいかないだろう。
はっきりしない自分が本当に嫌いだ。
劇団長の新井カントクから着信があり、メールも来ていた。帰ってきたら稽古を見にいらっしゃいと。学校を避けるいい口実になるだろう。カントクは日曜に来いと書いてきたけれど。
カントクは私に舞台に出てほしいのだ。バカ親子が同じ舞台に出れば話題にもなる。
学校も嫌だけど、舞台をやりたいかと言われるとそれも微妙だ。道具係とか裏方がいい。それでも要領が悪いからまともにできる気がしない。
舞台の上には怒りがある。
作品にもよるけど。
昼過ぎ、平岸パパが車でレストランに連れていってくれた。平岸ママが何かの集まりで札幌に出かけたから。
着物の先生が京都から来てね、サキちゃんも教わったらどう?似合うよ?
着物は動きにくそうだから嫌ですと言ったら、
あかねも全く同じこと言ってたよ。だけどあいつはこないだ着てたんだよ。秋浜祭に。着物じゃねえよコスプレだよハゲ親父って言われたなあ。でもあれはどう見ても着物だったよ。母さんは『着物で胸の谷間を見せて木刀とは何事だ』って怒ってたなぁ。あかねはほら、反抗期だから、危うく母さんを木刀で殴るところだったよ。
あかねの怒りは何なのだろう?こないだも平岸ママに皮肉を言っていた気がするが。
国道沿いのレストランには、客はほとんどいなかった。半分くらい食べた頃に見たことのあるそばかす顔が店の奥から現れた。
ヨギナミ。
平岸パパがなみちゃんと言って手を振ると、ヨギナミはテーブルを拭いていた手をこちらに振った。私に気づいたかどうかはわからない。白いワイシャツにチェックのスカート。ほかのウェイトレスと同じ制服。知ってる顔にこういうところで出会うと、人柄をよく知らなくてもなんとなく気まずい。
想像してたよりだいぶ若いシェフが席までやってきて、平岸パパと仲良く話しはじめたので、私は聞いてないふりをしてよその席を眺めていた。ヨギナミは別な客の注文を取り、コーヒーを運び、顔見知りらしいサラリーマンと笑いながらしゃべっていた。シェフはちらちらとヨギナミのほうを見ながら、平岸パパの素晴らしいハゲ頭を『あんたが来ると眩しくて照明いらないなあ』と表現した。
自分と同い年の子がきちんと接客の仕事してる。
私には、自分が働くところなんて想像もつかない。
帰りに、平岸パパはお土産の焼き栗をヨギナミから買っていたが、遠くのシェフにごちそうさんと言いながら、こっそりおつりの5000円札をヨギナミのワイシャツのポケットに入れた。私ははっきりそれを見ていた。
所長の野菜にあかねのお米。パパの5000円。
ヨギナミはそんなに貧乏なのだろうか。
実はぼったくり女だったりしないだろうか。私の学校にはそういうのがいる。世の中の他人は、自分にブランドのバッグやレストランの食事を与えるためだけに存在してると本気で思ってるタイプ。まあ、その子がレストランでバイトする姿は想像できないけど。
皮肉なことに、そういうタイプのほうが、私みたいな本の虫や、美人を妬むおしゃべり女より頭が良かったりする。私が世界史のテストに、おしゃべり女が人を貶める噂話に使っている知能を、彼女らは効率的に男のため……つきつめれば、自分のため……に使っている。
真面目な優等生の女の子より、キャバクラやモデル上がりのタレントのほうが世の中にもてはやされることは、もう誰もが知っている。テレビで見るなら明らかにキャバ嬢のほうが楽しいと、私だって思うのだから。そして、会社ではまだ女性の賃金も地位も低い。
今のままではあなた方のほとんどが、将来となりの男子の下で働くことになりますよ。
それが現実なら、もっと効率的で実際的な道を女の子たちが選び初めても不思議じゃない。学校の勉強より容姿を磨くほうが大事だと大っぴらに言いふらす奴が、男女関係なく日本にはたくさんいすぎる。
私はそういうことは一切できない。
一人だけ、避けなくてもいい子の顔を思い出した。頼まれて作文を代筆したことがある。なんと彼女、文章が全く書けない子だった。それなりのレベルの高校にいて、パパが毎月変わるのに。
夏休みは誰のおごりで過ごしているんだろう。それとも嫌いな親と一緒なんだろうか。
明日、一応お土産を買っていこう。
所長を買い物に誘ってみようかな。




