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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2018年1月

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2018.1.27 土曜日 ヨギナミ

 シフォンケーキを作るときは、メレンゲの泡をつぶさないように手早く混ぜること。

 ヨギナミは平岸ママと一緒にシフォンケーキを作っていた。もちろん、杉浦塾に差し入れするためだ。平岸ママのご厚意というか完璧主義で、ケーキはきれいにラッピングされた。

 届けようと思って外に出ると、雪が強烈な勢いで降っていた。コートの襟元をきつく締めて、ヨギナミは歩き出した。

 草原にも、駅前通りにも、人はいなかった。杉浦の家だけが人の気配に満ちていた。

 出迎えてくれたのは保坂だった。


 なんかうまそうなもの持ってるべ。


 とうれしそうに言った。

 中に入ると、伊藤ちゃん一人で勉強していて、杉浦の姿がない。


 なんか、本の話でモメて、2人でどっか行ったべ。


 なので、ヨギナミは廊下の本棚の奥まで行ってみた。すると、話し声が聞こえた。これは早紀だ。


 だから、私は精神に年齢なんてないんだと思う。見た目だけは変わるけど、人はいくつになっても少年少女のまま。老人ホームのおばあちゃん達も、中身は少女なんじゃないかって思う時がある。大人らしくふるまわなきゃいけない場面はあるけど、でも人ってじつは、歳を取ったりしないんじゃないかな。少なくとも精神的には。


 すると杉浦がこう言った。


 君は偉大な文学作品に精神の成熟を感じないかね?老人ホームのご婦人方を少女呼ばわりすることは失礼だと思わないのかい?

 人間の精神というのは、歳を重ねるごとに完成されていくものだよ。

 いつまでも少年少女なんてとんでもないね。


 でもさ、何の経験もない人がすごい作品作ることもあるし、わかんないじゃん。芸術家とか漫画家だと30代くらいですごいの描く人多い気がするし。それって、たぶん少年が歳取って力を持ったからじゃないのかな。少年である自分を表現する力を。


 だからそれを成熟と言うのではないのかね。


 うーん、なんか違う気がする。そうじゃなくて、自分の本来の精神を利用するスキルを外付けで持てるみたいな?精神そのものは変わんないんじゃないかな。


 2人はずっとそんな話をしている。お互い、自分の意見を譲る気はないらしい。

 ヨギナミはそっとその場を離れた。こういう話を自分にふられてもきちんと答える自信がない。

 だから、自分は杉浦に好かれないのだ。

 でも、早紀はなぜあんなことができるのだろう?難しい本を読んできたから?きっとそうに違いない。

 部屋に戻ると、伊藤ちゃんがシフォンケーキの包みを持ってニコニコしながら、


 これ、開けていい?


 と聞いてきた。いつのまにかテーブルには皿と包丁とフォークが用意されていた。


 キャー!おいしそーう!


 伊藤ちゃんが叫びながらケーキを切り分け、皿に盛った。保坂が杉浦を呼びに行った。


 おぉ、ヨギナミ、ありがとう!


 杉浦がケーキを見て笑った。来てよかったと思った。早紀はケーキとヨギナミを交互に見た。


 これ、自分で作ったの?


 平岸ママに教えてもらった。


 ヨギナミって、何でもできるよね。うらやましい。


 早紀が言った。なんだそれは、嫌味か。


 私、今年のバレンタインは手作りして修平に贈ろうかと思ってるんだけど〜、


 伊藤ちゃんが言った。保坂が口笛を吹き、杉浦が『おぉ〜!』と言った。


 でもさ、弟にその話したら『姉ちゃんのチョコなんか食ったら病気が悪化するからやめた方がいい』って!失礼じゃない!?


 それから、『私も平岸ママに教わりたい』と言った。早紀が『いいじゃん。聞いてみる』と言ってスマホを手に取った。


 明日平岸家に来いって!


 早紀が叫んだ。


 平岸ママ、絶対はりきってるよ。明日大変かも。


 早紀はそう言って楽しそうに笑った。

 みんながケーキを食べ終わった後、


 さあさあみんな、そろそろ勉強に戻ろう。受験日まであと二週間くらいだろう。


 杉浦が勉強の再開を告げた。ヨギナミはお皿とフォークをキッチンに片付けに行った。キッチンも本だらけだ。


 私、ここに住めると思ってたんだけどなあ。


 ヨギナミは皿を洗いながらそう思った。この家は昔から来ていて慣れているので、ほとんど自分の家のように、何がどこにあるか知っている。いつか杉浦と結婚して、ここに住むことになるだろうと思い込んでいた。

 今思うと、浅はかな夢だった。

 ヨギナミは皿とフォークを元の場所に戻すと、部屋に戻り、『帰るね』とだけ言って外に出た。

 雪はさらに激しくなっていた。

 帰り道、顔に雪つぶてを浴びながら、ヨギナミは泣いた。なぜかわからないが、やたらに涙が出てきて止まらなかった。

 今まで、人生で夢見ていたことが、消えようとしている。

 そんな感触があったからだ。『誰かの奥さんになりたい』という子供じみた、でも、大切だった夢。

 早紀は間違っている。人の精神だって歳を取る。苦労した時に、夢破れた時に、悲しみと向き合わなければならなくなった時に。

 誰にも会いたくなかったのでアパートの部屋に戻り、ベッドに突っ伏してまた泣いた。どうしたらいいか、全くわからなかった。本当に、もう杉浦に好かれるのは無理なのだろうか。

 しばらく経って涙が引いてきた頃、


 明日、カフェのPR動画撮るから来てくれない?


 高条からだった。

 ヨギナミはしばらくその文面を眺めてから、


 いいよ。


 と返事した。どうせ明日は伊藤ちゃんがチョコレートを作りに来る。早紀もそこにいるだろう。

 今、早紀と一緒に何かする気にはなれない。






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