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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2018年1月

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2018.1.25 木曜日 松井カフェ

 今日はずっと雲が空を覆っていて、日差しも少ない。久方創は、どこかの切れ目から光が降りて来ないかと、空をちらちら見上げながら歩いていた。しかし、期待したような光の筋が現れる気配はない。

 松井カフェに着いた。客は少なく、松井マスターが笑顔で出迎えてくれた。少しやせたように見えて久方は心配になった。今まで気づかなかったが腕が異様に細く見える。しかし、女性に体形の話をするのは失礼なので、代わりに、最近店は忙しいのかと尋ねた。


 朝と昼がね、忙しいの。実は誰かがインスタとかいうのにうちの店のモーニングを紹介したらしくて、最近朝から遠くの客が来るの。朝4時に家を出て3時間走ってきましたなんて人もいたの。

 今の時間はすごく落ち着いて、客も地元の人だけになっているけど。

 

 壁の時計を見ると2時48分だった。そろそろ学校が終わる頃だ。早紀が来ないかと久方は思ってドアの方をちらっと見たが、誰かが来る気配はない。

 出窓の近くでねこを写真に撮っていた若い客が、コーヒーのおかわりを注文した。松井マスターはポットを持って歩いていった。後ろ姿がやはり細い。なんで今日はこの人の体形が気になるんだろうと久方は自分を不思議に思ったりもした。たぶん、このカフェが好きだからだ。マスターがまた倒れないか心配だからだ。


 久方さん、もうすぐ引っ越しちゃうんでしょ?

 まりえちゃんに聞いたけど。


 松井マスターがカウンターに戻りながら言った。


 神戸に帰るんです。


 久方は明るく言った。


 僕は元々病気の療養というか、幽霊問題のせいでここに来ることになったんです。でもそれはもう解決した。あいつはいなくなった。僕は自分を取り戻せた。だから故郷に帰ることにしたんです。家族がいる所に。


 そうなの。あの幽霊さんがいなくなった時もさみしくなったりしたけど、あなたがいなくなったらもっとさみしくなるわね。


 この町にはまた来ますよ。

 こんなに自然が美しい所はめったにないから。


 何にもない町だけどね。


 何にもないけど全てがある。そこがいいんです。


 久方は自信を持って言った。


 この町の人はもっとここの魅力に気づくべきなんじゃないかな。


 勇気も最近同じこと言ってて、雪原ばかり撮影しているの。


 そうなんですか。


 早紀の元彼と同じ考えというのは気にくわないが、気持ちはわかる。後で自分も建物のまわりをスマホで撮っておこう、と久方は思った。

 松井マスターが久方に近づき、耳元で、


 あの子は最近、奈美ちゃんに夢中なのよ。


 とささやいた。それから少し離れてニッコリと笑った。


 今日も一緒に家のまわりを撮るんだとか言ってね。


 そうなんですか。


 幽霊さんがいたらなんて言うかしら。


 きっと全力で邪魔しますよ。父親ぶって。


 久方もにっこりと笑った。

 ドアが乱暴に開けられた。トラックの運ちゃんが険しい表情で入ってきて、久方を見ると『おう!』と片手を上げて挨拶し、隣の席に座ると、


 あいつまた変な商売始めたんだよ。


 と言った。ああ、この人は自分を橋本だと思っているな、と久方は気づいた。一瞬、逃げようかと思ったが、


 奥様、今度は何を始めたの?


 松井マスターが助け舟を出した。


 インスタだか何だかで服の広告を始めた。家が変な色の布でいっぱいになってる。そんで、四六時中着替えて変なポーズ取ってる。モデルぶりやがって。


 それは大変だ。

 

 久方は笑ってしまった。


 だいたいあいつが何か始める時は俺に不満がある時なんだよ!


 それから運ちゃんは妻の悪口を言いながらナポリタンをすすり、久方に向かって、


 今日はやけにさっぱりしてるな。


 と言った。久方は、故郷に帰ることにしたと言った。運ちゃんはちょっと悲しそうな顔をした。


 父さんの商売を手伝うんだよ。


 久方は友達に話すように言った。実際、目の前にいる男が昔からの親友のような気がしてきた。たぶん橋本がずっと仲良くしていたせいで、体が覚えているのだろう。


 おやじ、今いくつ?


 もうすぐ60になる。でも仕事を引退する気は全くなくて、死ぬまで続けると言ってる。


 元気だな。でも親なんていつ死ぬかわかんねえから、生きているうちに大事にしないとな。


 そうだね。


 縁起悪い話で悪いけど、俺の父親は61歳で脳卒中で死んだよ。


 運ちゃんがコーヒーを一気に飲んだ。


 あまりにも急だったから家族全員心の準備ができてなくてさ、今でも遺影の前でポカーンとする時があるんだよ。なんでこの人いきなり写真になったのって。


 運ちゃんが立ち上がり、千円札を3枚テーブルに置いて、『これでカレーでも食え』と言った。それから時計をちらっと見た。


 やべえ遅れてる。俺もう行くわ。


 運ちゃんは立ち上がり、


 親父を大事にしろよ。


 と言って、足早に店を出ていった。

 あれも、橋本が自分に残していったものだ、と久方は思うことにした。いなくなった人は、実はいなくなっていない。

 

 僕カレーよりオムライスが食べたいんだけど、いいですか。


 久方は松井マスターに言った。


 もちろんですよ。


 松井マスターは千円札を回収してから、カウンターの奥へ消えた。新しい客が入ってきて店内をきょろきょろ見たので、久方は『空いてる席に座っていいんですよ』と声をかけた。客はクッキー売り場の近くに座って、ハートのアイシングクッキーを手にとって眺めていた。

 ここはもう完全に自分の居場所になっている。

 離れるのはさびしい。

 やはり、年に一度は秋倉に帰ってこよう。

 久方はそう思っていた。そのうち松井マスターがオムライスを運んできて、新しい客に『お待たせしてすみません』と声をかけた。

 ラジオが午後4時を伝え、明るい音楽とDJの声が流れてきた。久方はオムライスを食べた後も、コーヒーをおかわりしてそこにとどまり、店内の雑多な音や声を聞いていた。



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