表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年11月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1031/1131

2017.11.26 日曜日 ヨギナミ

 ヨギナミは自分の部屋で『若草物語』を読んでいた。何日か前、新橋早紀と伊藤百合がこの本の話をしていた時『それ、何?』と言ってしまったからだった。

 二人はヨギナミにいろいろ質問し、小学生が読むような児童文学の名前を並べ立てたが、ヨギナミは一つも知らなかった。そこで、『これだけは読んでおいた方がいい』と、『若草物語』『秘密の花園』『ポリアンナ物語』『あしながおじさん』などを、図書委員長:伊藤に無理やり貸し出されたのだった。

 普通の家の子は、こういうものを子どもの頃に読んでいるらしい。

 ヨギナミは小さな頃から家事と母親の世話に追われていたので、こういった子ども向けの本を全く読んだことがなかった。絵本を読んだ記憶も全くない。

 『若草物語』に出てくる、頭が良くて優しい母親が、この世界では理想とされているらしい。が、ヨギナミの母親とは似ても似つかないので、別世界の話だと思って読み進めても、あまり共感できる所がない。何だかんだ言ってこの子達は生まれつき恵まれていて、最後にはお金持ちのおばさまから大きな屋敷を譲られたり、お金持ちと結婚したりするのだ。

 週末を使って4冊とも読んだが、ヨギナミがいいと思ったのは『秘密の花園』だけだった。あとは明るすぎて、子ども向けだからだとしても、ヨギナミは共感できなかった。

 小さな頃に読めていれば少しは違ったのかもしれない。あるいは、普通に母親に世話される子どもだったら──ヨギナミにとって母親とは、世話『しなければならない』ものであり『世話をしてくれる』存在ではなかったからだ。もし、普通の母親がいて、ちゃんと世話をしてもらえていたら、自分はもっとましな子になれていたのだろうか?

 いや、そんなことを考えても仕方がない。

 伊藤ちゃんに感想を聞かれたらどう答えよう?

 それに、杉浦が、誰もが知っている本を自分が知らないと気づいたら、やはり頭が悪いと思われてしまうだろうか。ヨギナミはそんなことばかり考えていた。杉浦に好かれたくて古典文学はよく読んでいたのに、その前に子どもが読んでおくべきものがすっかり抜け落ちていて、今までそのことに気づきもしなかった。

 今日も受験組は杉浦の家で勉強しているだろう。大学や専門学校に行ける裕福な家の子達。ちゃんと母親に『世話』されていた子達。自分はそういう子達とは違うのだ。現実の世界に、あしながおじさんはいない。平岸パパがここに住まわせてくれるだけでもありがたいと思わなくては。そして、勤務する役所が決まったら、すぐ引っ越しをしなくては。

 ヨギナミは本を閉じ、小さなため息の後、平岸家へ行った。ちょうど平岸ママがパイを焼いている所だった。


 知り合いの奥さんの所で出たパイがすごくおいしくてね。なんとそれは久方さんが焼いたんですってよ!

 もう私、闘争心がわいちゃって。

 出来上がったら届けに行ってくれる?


 30分後、ヨギナミはフルーツパイが入った箱を抱えて林の道を歩いていた。昔の物語を読んだせいか、雪がちらついているせいか、木陰から今にも物語に出てきた少年少女達が出てくるのではないかと思った。どうやら、自分は思ったより、読書を楽しんでいたらしい。


 物語の中の少女達には、必ず友達がいた。

 私はどうだろう?


 ヨギナミは急に自分が一人ぼっちになったような気がした。でもすぐに気を取り直して玄関の階段をのぼり、研究所のインターホンを押した。


 僕は今、とても後悔している。


 出てきた久方創は、暗い顔をしていた。


 まさか、米田の奥さんが平岸の奥さんとつながっているとは夢にも思わなかった。わかっていたら刺激するようなことはしなかったのに。


 ヨギナミは苦笑いするしかなかった。


 こんなでかいの一人じゃ食べ切れないよ。


 久方は頭を抱えた。


 サキを呼んじゃえばいいですよ。


 ヨギナミはLINEで早紀と佐加に連絡した。二人はすぐにやってきた。杉浦と高条、保坂もついてきた。パイはあっという間になくなった。早紀と杉浦が難しい哲学の本の話を始めた頃、ヨギナミはそ〜っと帰ろうとした。


 待って。


 久方創が廊下に出てきた。


 何か、話したいことがあったんじゃないの?


 なぜわかったのだろう?


 私、みんなとは違う子供時代を送ってきたので、少し世の中からズレてるみたいなんです。


 ヨギナミは言った。


 僕もそうだよ。


 久方がそう言って笑った。


 でも、それは大したことじゃないんだ。それに、全くズレてない人なんてこの世にいない。人はそれぞれにどこかがズレてるものなんだと思うよ。


 久方はまだ何か言いたげだったが、高条が廊下に出てきたので引っ込んだ。


 ヨギナミ、最近カフェに来ないよね。なんで?


 お前に会いたくないからだと言いたくなったが、ヨギナミは控えめなので、他にいろいろやることがあって忙しいのだと言って、その場を離れようとした。


 ケーキの新作できたから、また来てよ。


 後ろからそんな声を聞きながら、ヨギナミは走って外に飛び出していった。

 外は寒く、息は白い。

 でも、何かが暖かい。

 なぜだろう?







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ