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早紀と所長の二年半  作者: 水島素良
2017年11月

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2017.11.21 火曜日 河合先生への日誌 新橋早紀

「神は耐えられないような試練を人に与えない」とかよく言いますけど、あれ、私は間違っていると思います。実際耐えきれなくて死んだり逃げたりしてる人が世の中にはいくらでもいるし。いじめで死ぬくらいなら学校辞めて逃げる方がどう考えても正しいですけど、『逃げることができる』というのも運だと思います。どうしても逃げられなかった子もいる。私は運が良かったし、人にも恵まれていたのでしょう。

 どうしてこんなことを考えたのかというと、今、自分の人生をネタに小説を書こうと思って、昔起きたことをいろいろ思い出して文章にしているからなのです。この学校に来た時先生はこう言いましたね。

「前の学校のいじめっ子と、ここの生徒を同じだと思わないでほしい」

 みたいなことを。実際全然違いました。秋倉の子達は、前の学校の子達みたいな『表面はクールに取り繕ってるくせに内面は崩壊』みたいなのはなくて、みんな素でしたから。もちろん人に気を遣ったり控えめにしたり(特にヨギナミ)することもあるんだろうけど、でも、『自分を良く見せよう』という気が、ここの人達には全くなかったんですよね。それで私もわりと素が出しやすかったんです。そのせいで、自分でも驚くくらいわがままになったり態度が悪くなったりした時もあって、思い出すと恥ずかしいんですけど。修平によく態度の悪さを注意されました。『もっと笑って〜』とか言われたこともあります。

 試練に耐えられるかどうかは、神が与えた重さなんかじゃなくて、私達がそれをどう生きながらやり過ごすか、ということなんだと思います。時に昔のトラウマに苦しんで、時に余計な未来を想像して不安がりながら、今をどう通り抜けていくか。『克服する』とか『乗り越える』なんてかっこいい言葉より『なんとかやってはこれたけど』みたいな表現の方が合っているのではないですか。何が大事なことをガツンとやるのではなく、ただ一日一日、やることをこなしていく。みんなそれぞれに重荷を抱えて『なんとかやっている』それでいいのではないでしょうか。『不安を克服する』みたいな、一気に片付けるような表現のように上手くいく事は、たぶん、あまりないんじゃないかって。

 私は秋倉でその『やり過ごし方』を学んだと思います。こういうのダメですかね?『若いんだからもっと人生を積極的に!』とか『チャンスは全部つかめ!』とか言う人がやっぱ多いですかね?でも、そういう人の言う事ばかり聞いていたら疲れませんか?それで疲れて死んじゃう人もいるんじゃないかって私は思うんですけど。

 私はマイペースに人生を『なんとかやっていきたい』。

 あ、もちろん受験勉強もちゃんとしてますから安心してくださいね。



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